白いカラスが生まれないので、カラスはみな黒い。
無限に生み出される僕らが何をしているかというと、特に何もする必要がない。産めよ増やせよ地に満ちよ、なんてことは勝手に実行される。何も関係しなくたっていい。何も行動しなくたっていい。自動的に増えていくんだ。こうやって語っている最中にさえ。毎秒ひとりとかそういったはなしではない。時間を無限に小さく切り刻んだ一単位、それよりも小さな単位で物事は進んでいく。じゃあもうとっくに増え終わっているんじゃないかって? 増え終わることはできない。プラス一を運命づけられた僕らは、かくあれかしと命じられたままに増えていく。
「こんばんは、僕ら、もうすぐ消えてしまうようだ」
「消えるなんてないよ、また新しいものになるだけだ」
輪廻転生の概念に近いかもしれない。どれであっても僕らは僕らだし、僕は僕だ。ただ指示対象が変わっていくだけ。
増えていくというか、領域を広げていく。ぴったりと器に収まったら、もうおしまいなんじゃないかと思える。
おしまいが来ないのが悲しいところだし、僕らはずっと先に向かっていって、増えて、減ることはなくて、減ってたとしてもそれ以上に増えている。
それぞれの数列、記号内容たちはもちろん生きたり死んだりしている。生活をしている。生命の終わりは番号を再振り分けすることに等しい。寿命は再振り分けリミットだ。ゾウはネズミよりも長い時間、実体でいられる。無限の海の中に放り込んだら、ゾウもネズミも同じくらいの寿命となる。
「明日はきっと同じものとしてきみに出会えない」
「明日は明日だろう」
その発言をしたものはその次の日には『明日』になっていた。『明日』に言語コミュニケーション可能な自我はないので、その発言も思い出されることはなかった。
フロンティアスピリッツが備わっていたらもっとわくわくできただろう。ずっと増えていられて、自分の役割に空きたらいつの間にか再振り分けされていて、そんなパーティが無限に続く。
無限の開拓地! わくわくしたいところだ。群体としての意思とかあったら、わくわくしているのかもしれない。名付けられていないので、群体としての意思はちょっとわからない。ともかく今はこの僕が、僕らを代表して話している。
未知の壁がある。ないかもしれない。ないことは証明できない。
「わたしに会いに来てください」
おっとこれは僕らの中の最大の秘密の一つだ。最大の秘密がいくつあるのかも秘密だ。
ともかくこうやって僕は語り始めたんだ。できたらきみにはわかってほしい。わかったところできみにメリットがあるのかはちょっとわからない。だってきみ、内部だろう? 普通に生きて歩いていたら世界の起源やその構成に興味を持たなくたっていい。持ってもいいけど、ニュートリノの性質がわかったところで知的好奇心が満たされるだけでご飯が美味しくなるわけではないからね。
僕らには無限の可能性がある。文字通り。
無限の無限さに、多少困惑もしている。
僕らを作ったものが神なんじゃないかって思う向きも多いだろう。僕だってそう考えたい。この地平の上には超越者がいて、ハローハローと呼びかけたらハローハローと答えてくれる。それから無限の果てに線分を引く。ここまで増えれば大丈夫、ここまで敷き詰められたらもうこれ以上対角線を引いたりオセロを反転させたりしなくていい。森は成長を止め、閉鎖環境内で循環し続ける。いい箱庭だ。開拓しなくたっていい。
おしまいになったら産出セクションは解雇され、豊かな余生を過ごして、たまに減ったりしながらのんびりと生きる。これまで拡大していったフロントラインはその役目を終えて内部で健やかに暮らす。
そんな都合のいい存在が今のところ存在しないようなので、僕らは神を信仰していない。
無限に増える可能性のある僕らすべてが神を信仰しないと宣言するのは短慮かもしれないが、これだけ増えた僕らすべてに信仰がないのだから、もうないって考えたっていいだろう。
白いカラスが生まれないので、カラスはみな黒い。そうやって生活というのは成り立っている。
無限に増えていく僕らを眺めているだけじゃ何も始まらないだろう。無限に増えていくというのは可能性の話であって実現するものではない。そう理論家は語るかもしれない。理論家というのは親愛ならない隣人〈aabs444k05〉と表記可能な彼もしくは彼女(she or he or either of them)のことで、僕らの形態的な性質のことについてだけ考えている。僕らの中にはそういった僕らがたくさんあって、この僕はこうやって語るのが仕事だ。語る内容を考えるのはまた別の僕らで、内容という語の意味について考えるのはまた別の僕で――なんて無限後退を眺めたいひともいないだろう。
だからこう宣言させてもらう。
これは古典的なボーイミーツガールの解体のおはなしだ。チャーリーとブラウンが出会ったらチャーリー・ブラウンになるのは当然だし、となりには当然スヌーピーがいるって思うような連想の分裂のおはなしだ。チャーリーとブラウンが出会わないことや、チャーリーとブラウンに関係がないこと、もしくはチャーリーとブラウンに関係があることのおはなしだ。関係がないという関係がある。関係があるという関係がある。それらふたつの関係はどちらも関係という観点で共通している。
そうしたら別に古典的なボーイミーツガールを肯定することになるのかもしれない。結果としてそうなったとしても、解体したというプロセスは見守ってほしい。家を一軒重機で解体して、その廃材を使って同じ場所に同じ家を建てたら、同じ家かもしれないけれどもちょっと異なっている、こともあるかもしれない。同一性をどうやって担保するかはまた別の問題だ。住めれば同じ家って考えもあるし、毎日寝る度に同一性が失われているんだというくらいの過激な立場もある。
そもそもチャーリーとブラウンは同一人物じゃないかって?
そういった観点もある。そうじゃないこともある。
とにかくチャーリーがいる。この場合のチャーリーは僕を指す。チャーリーを指し示すための僕らもまあそのあたりにいる。あの面倒な名前は忘れてくれ。便宜上のものだ。どっちにしたって。
ボーイミーツガールは三要素によって構成される。MEET[boy, girl]だなんて書いたっていい。動詞[動作主、被動作主]って表記したほうが通りがいいだろうか。要素の種類はふたつ。動詞と名詞。
関係を定義するための動詞がひとつあると、その動詞が要求するだけの名詞がやってくる。その名詞は名前というよりもむしろ関係性の網を構成するための意味を背負ってくる。
ジョン kills メアリーのジョンやメアリーと、ジョン loves メアリーのジョンやメアリーは意味が異なる。それがこの立場だ。前者のジョンは能動的にkillという動作を行うが、loveは動作ではない。前者のメアリーはkillという動作の結果として物理的に不可逆な破損が発生するが、後者のメアリーの状態はloveという動作の結果によって物理的な変化が発生するわけではない。(もちろん、loveという動作の結果によって完全変態を遂げるメアリーや、ジョンを壊してしまうメアリーも存在するだろう。そういった特殊な次元、特殊な愛情について僕らは今のところ議論しない。そういった議論が楽しいのはわかるし、僕らはそれらを包摂すべきだ。しかし、無限に増殖していく僕らでさえ、現在は結論が出ていない事象だということをご理解いただきたい)
意味が異なるっていうのは、その場所になってしまった時点で何らかの情動や、行動をすることが暗に意味付けられているとでも言えばいい。もしもここにMeetがなかったら、Boyはどこに行かなくたってよかったのだ。だけどここにMeetがある。BoyはGirlに会いに行かなくてはならない。もしもこのGirlが集合名詞だったら、Girlという概念に会いに行かなくてはならない。
その動作が完遂した瞬間である、あるいはいままさにそうなされようとしている、そんなときに現在形は使われる。
他の時制はそれはそれで色んな意味を連れてくる。過去形だったら大抵の場合、その動作を実はやっていなかったということは許されない。動作が実は完遂されていなかったっていうことはままあるし、そんな状況を許さないのは完了動詞だ、なんていう定義の相互作用も会ったりする。
なんでジョンとメアリーなのかといえば、特に意味はないので、別に誰だっていい。別にジェンダー差を表さなくたっていい。ジョンとトムでもいいし花子とメアリーでもいい。慣例的な差異だ。適宜読み替えてくれたって構わない。
七面倒なことより、例があったほうがいいだろう。ここにチャーリーを好きな誰かがいる。
別に主語は誰だっていい。そこにいるなら指し示してやってほしい。
「きみのことが好きだ、チャーリー」
「きみって誰?」
「きみのことが好きだ、チャーリー」
「好きって何?」
「きみのことが好きだ、チャーリー」
「あなたは誰?」
この一つの文にさえ、以上の三つの疑問が生じる。これらすべての疑問が生じなければ、この文はチャーリーに通じる。
三番目の疑問は日本語では生じにくいけれども、英語にすれば生じるのは自明だろう。対面だったらわかりやすい。誰だかわからない相手にいきなり愛の告白をされたら、困惑するのは当然だ。
運良く文がチャーリーに通じたとする。
チャーリーの返答は二種類ある。「はい」か「いいえ」だ。
理解して、同意するなら「はい」、同意しないなら「いいえ」。同義語に変換してもいい。「うん」「それはちょっとな」「検討します」「承知」「継続的にお付き合いしたいと考えています」……完全に同義ではないけれども、意味合いとしては「はい」か「いいえ」のどちらかを含んでいるだろう。
返答に対して返答を返してもいいし、そうしなくてもいい。それがコミュニケーションだ。
それがコミュニケーションだろうか?
きみがもしも『コミュニケーション』ならこの答えはわかるのかもしれない。僕には今のところきみをコミュニケーションであるという断定はできない。
きみがコミュニケーションでなかったときのために、きちんと説明しておこう。
チャーリーの返答は二種類ある。「はい」か「いいえ」。
だったらよかったのだが、そうではない。文を理解して、返答する可能性はそれこそ無限にある。「はい」でも「いいえ」でもその同義語でもないような、さまざまな返答。文を理解していたって、『その文の内容』に返答しなくてはならない制約はないからだ。もし内容に対して返答してくれるなら、チャーリーはかなり親切か、きみとコミュニケーションをしたがっているか、自らの属する言語規範にあまり頓着せず従っているということだ。
内容に対して返答してくれない理由はいくつか思いつく。他のことを考えていたとか、コミュニケーションを断絶したいとか、そもそもチャーリーに対して話しかけていなかったとか。
理由はどうだっていい、現れ出た言語表現のみが問題だ。
そう、返答可能性はいくらでもある。
思いつく限り無限だ。チャーリーが。
「はい」
「いいえ」
「私ですか」
「なぜ?」
「ハンバーガー無料セール開催中」
「わたしに会いに来てください」
この他にもきみの想像力はたくさんの答えを導き出すだろうが、そのすべてを書き記すにはあまりにもこの空間は狭すぎる。またたくさんの列挙をしなくてはならないだろうか。そんなことをしなくても、文字すべてをランダムに並べたすべての集合の中に、きみの言いたいことは入っているはずだ。
ちなみにこの僕チャーリーなら、どう答えるか――相手によるな。当然ながら。
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