第7話 感染4日目

優子の家は幸太郎の実家から自転車で10分くらいのところにある隣町だ。

優子は東北の出身で関東の大学に入学が決まって実家から出てきた。

その時から一人暮らしを始めている。二人は大学一年生の夏くらいから付き合い始めた。お互い入学して一目見た時から意識しあっていた。クラスで顔を見る程度だったが、それだけで気持ちが華やいだ。声をかける機会もないまま夏を迎えた時、偶然にも食堂で席が隣になった。そこから話すようになったが、初めての会話は何を話したのか覚えていない。たわいもない会話だったのだろう。

ただ何を二人で話すにしても、いつどこに二人で出かけるにしても、妙に馬があった。会話が途切れて無言の時間が続いても、その静かな沈黙すら心地よかった。二人の意識が溶け合うような時間だった。何回かデートを重ねるうちに二人は付き合うことにした。


優子から預かっている合鍵で部屋に入ると彼女はベッドの上で静かに座っていた。

「優子!大丈夫か!」幸太郎が聞くと優子は黙って頷くだけだった。

幸太郎はハッとした。自分の声は優子にはどんな風に聞こえているのだろう。

「幸太郎君?だよね?」

「そうだよ。俺だよ。」戸惑いながら幸太郎はこたえる。

「予想はしてたけど、幸太郎君の声、女の人の声に聞こえるんだ。症状が出た時にすぐ家族や友達に連絡を取ってみたの、それで話しているうちに法則性があるみたいっていう話になったの。」


優子の話によると

男性には全ての人間の声が同一の男性の声に聞こえる。

女性には全ての人間の声が同一の女性の声に聞こえる。

というものでさらに声の種類は一種類だけということだった。

つまり誰が話しかけても聞いている側にとっての声は一種類の人間の声でしか聞こえないということだ。

地球には何十億という人間がいるのに、これでは一人しかいないのと変わらないのではないか。幸太郎はそんなふうに思っていた。

幸太郎は症状が出ておらず視覚、聴覚でこれまでと変わらず優子を認識できる。

ただ彼女の側からは幸太郎を話す内容でしか認識できない。

それが脳裏によぎった時、優子の記憶と自分の記憶それしか二人をつなぎとめておくものがないことに不安と何か高尚なものを心の中に感じた。


「落ち着かないから座ってよ」優子にゆわれたのでとりあえず、隣に腰掛ける。

緊張状態にあったせいか座った瞬間、疲労感を感じた。

「ちょっとごめんね」すると優子は突然幸太郎の顔を触り始めた。

両手でペタペタと額や頬ほを触る。口元を撫であと耳のあたりも指の腹で触る。

優子の指は暖かく石鹸の匂いがするそれが心地よくとてもくすぐったく幸太郎は思わず

「どうしたの?」と聞く

「本当に幸太郎君か確認してるの」

首を触った後胸や腹の辺りまで触る。幸太郎は不謹慎にもこの時優子を抱きたいと思ったがその代わりに

「こんなのでわかるの?」と聞いた。

「わかるんだよ」

女性とはそういうものなのだろうかと幸太郎は思った。触れ合うだけで姿形だけでなく頭の中で考えていることまで分かればいいのにとも思った。

優子のことをとても心配したという思いも抱きしめたいという欲望もそっくりそのまま伝わればいいのにと思った。テレパシーみたいなものがあればいいのにと。

「やっぱり幸太郎君だね」

このままで欲望に負けてしまいそうだと思い話題を変えることにした。

「優子食事はどうしてた?」

「こうなってしまってからまだ食べてないの」

「そっかじゃ作るよ」

幸太郎は冷蔵庫の余っている食材を見てカレーを作った。

これならスプーンですくうだけなので食べやすいと思ったからだ。

「幸太郎君のカレー美味しね」優子の食べる姿は今までの彼女と全く変わらず、目が見えないというのを感じさせなかった。彼女は食事の時の姿勢も良くスプーンを口に運ぶ仕草にも無駄がなく、幸太郎はその姿がとても美しいと感じた。その時だけは全ての不安を忘れることができた。

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