2.すずらんのピアス
ランチのラストオーダーの13時30分が過ぎ、15時になったトラットリア【ルナ】の店内には客はひとりもいない。
店の表にはcloseの看板がかけられている。
15時からディナーが始まる18時まで一時クローズとなるこの店で
トイレの清掃を終え、化粧室の清掃に取りかかった彼は床の上にキラリと光る物を見つけた。腰を屈めてそれを持ち上げる。
ピアスだった。クリア素材の緑色の葉と鈴のような白い小花がついている。花は鈴蘭だろうか。
雪斗はこのピアスに覚えがあった。今日、ランチタイムが始まってすぐに来店した客がこれと同じものを耳につけていた。トマトのカッペリーニを注文したあの女性だ。
彼女は会計前に確か化粧室に向かっていた。その時にピアスが片耳だけ外れてここに忘れてしまったようだ。
彼女達が店を出たのは13時が近かった。この2時間の間に忘れ物の確認の電話は特になかった。
どうしようか……。あの女性客がまたここに来るとは限らない。女性客の連れの方は以前にもここを訪れていて、予約の名前も連れの女性名義だ。
すずらんのピアスの持ち主である彼女の名前が〈そのみ〉と言うことしか知らない。
連れの女性が彼女をそう呼んでいた。
雪斗はピアスを丁寧にスラックスのポケットにしまった。すずらんのピアスの彼女がまたここに来てくれることを彼は期待していた。
その頃、園美はラフォーレ原宿館内の床を目を凝らして見下ろしていた。真緒も下を向いて歩いている。
「やっぱり見つからないね」
「うん。ホントにどこで落としたんだろ」
左耳につけていたすずらんのピアスがなくなくっていると気付いたのはついさっき。真緒に指摘されて気が付いた。
園美のヘアスタイルは巻いた髪の毛で左耳が隠れている。右耳のピアスは見えるが、左耳のピアスは髪の毛の間から見える程度。落としたとしてもすぐにはわからない。
真緒が園美の左耳のピアスがなくなっていると気付いたのもラフォーレ原宿の洋服屋で服を見ている時だった。
「あーあ。これ、ハンドメイド作家さんにオーダーして作ってもらったモノなのに……」
「また似たようなピアス探しなよ。すずらんモチーフって沢山あるよ」
「うん……」
似たようなモノを探せばいい、それはそうだ。世の中には類似品が溢れている。
それでも本当に気に入ったモノの類似品も代替品も存在しない。
彼女は右耳につけていた片方のピアスを外してポーチにいれた。気に入っていた物を失う時は誰かと別れた時と似ている。
また次を見つければいい、他にいくらでもいる。そうやって強がっても失くした直後はどれだけ想いを絶ち切ってもやっぱり失ったモノが一番なのだ。
「もしかしたらパスタ食べたあのお店かも?」
真緒の思いつきに園美はあっ……と閃いた。会計前にトイレに立ち化粧室でメイク直しをした時、落としたのはあの時ではないのか。
「今から戻ってみる? それともお店に電話する?」
「いい。お店の人も忙しいだろうし……」
ラフォーレ原宿からあの店まですぐに戻れない距離ではない。だけど園美は躊躇した。
また、あの人に会ってしまった時の自分がどうかなるんじゃないかと怖かった。
この感情はよくわからない、でもわかっている。まだ名前をつけていないだけでこの感情の正体が何か園美は知っている。
彼をたった一目見ただけで、園美はその感情の沼に落ちてしまった。どこまでも続く終わりのない感情の底無し沼。
帰宅をしても考えるのはどこかに忘れてきたすずらんのピアスの片割れと、あの人のこと。
後ろ髪を引かれながら置き去りにしたモノは園美の意図しない、シンデレラのガラスの靴だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます