第19話 「赤ひげ」1965年 脚本 井手雅人・小国英雄・菊島隆三・黒澤明

「赤ひげ」1965年 脚本 井手雅人・小国英雄・菊島隆三・黒澤明 黒澤映画と俳優


 東宝はこの映画で、三船敏郎の次の看板役者として加山雄造を売り出そうとしたが、 いかんせん加山では、他の監督ならいいが、黒澤映画の俳優としてはお話にならない。

「赤ひげ」の青年医師 保本登(加山雄造)は、高名な医師を父に持つ「親の七光」のボ

 ンボン。そのわがままで苦労知らずの坊やが、三船敏郎扮する医師「赤ひげ」の元で、様々な苦労を背負う患者たちに教えられて成長する、という、まさに加山にピッタリの役どころなのだが、保本も加山もまるで成長しない。主役の三船も、脇役の根岸明美も土屋嘉男も香川京子も山崎努も二木照美も三井弘司も左卜全も、全員が素晴らしい演技を加山に見せている(教えている)のに、加山ひとり学んでいない。「加山雄造」という役を演じるのに忙しくて、「保本登」という役になりきれないのだ。

 黒澤映画の俳優たちは、わずか数カ月間の映画作りの過程で、演技がその役を突き抜けてくる。「野良犬」で、木村功という、加山と同じく若くて二枚目の役者は、狂気と純情を表現していた。ところが、この「赤ひげ」の撮影期間は二年間もあり、更にその三年前の「椿三十郎」の若侍役の時から、役者としての加山には全く進歩が見られない。自分で考えて工夫した跡が見られない。「どん底」で、役作りのために前歯をすべて抜いた中村雁治郎のような迫力がない。画面を引っ張る力、観客を引きずり込む強さがないのだ。

「隠し砦の三悪人」で、上原美佐という素人女優は、本当に美しい顔だちをしていた

 。しかし、内面的にかなり努力したおかげで、お姫様の性格・気性・雰囲気が非常によく出ていた。

「時間よとまれ。いま君は美しい」とはファウストの言葉だが、加山は(親からもら

 った)能面のような美しい顔のままで、時間(成長)が止まってしまったかのようだ。周囲から甘やかされたせいで、強烈な緊張感・危機感を持つことができず、ついに役者としての狂気を見ることができなかった。


 黒澤学校の落第生

「天国と地獄」で、見事な運転手役を演じた俳優 佐田豊は、黒澤映画に出演することがいかに名誉であり、且つ重荷であったかについて、謙虚にこう語っている。

「あの役は私には重すぎた。撮影が進むうちにだんだんむずかしくなり、手も足も出

 なくなった。息もできないくらい苦しかった。皆さんに迷惑をかけるのが辛くて死んでしまいたい位だった。毎日、食事も喉を通らなかった。・・・私は黒澤学校の落第生ですが、あの作品だけが私の一生の記念です。「天国と地獄」という作品がなかったら、私の一生は何もなかった、と思います。」

 これは、むしろ「赤ひげ」における加山の言葉であるべきだろう。


 赤ひげの言葉

「この病気に限らず、あらゆる病気に対して治療法など無い。医術などといっても情

 けないものだ。医者にはその症状と経過は分かるし、生命力の強い固体には多少の助力をすることができる。だが、それだけのことだ。」

「現在我々にできることは貧困と無知に対する戦いだ。それによって、医術の不足を

 補うしかない。貧困と無知さえ何とかできれば病気の大半は起こらずに済むんだ。」

「病気の影には人間の恐ろしい不幸が隠れている。」

 真実から目を背けない、という武士の魂がなければ言えないセリフである。

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