第16話 「悪いやつほどよく眠る」 1960年 脚本 小国英雄・久板栄二郎・黒澤明・菊島隆三 ・ 橋本忍
「悪いやつほどよく眠る」 1960年 脚本 小国英雄・久板栄二郎・黒澤明・菊島隆三 ・ 橋本忍 悲劇と喜劇
日本の伝統
1945年の終戦から、この映画が作られた時点までの間だけでも、Wikipediaで調べ
れば、多くの瀆職(とくしょく)・疑獄事件が起きている。1948年の昭和電工疑獄事件、1954年の造船疑獄事件、1958年のグラマン疑獄事件等々。
日本における官庁と民間企業の汚い関係というのは、決してなくならない。社会がそういう仕組みになっているからだ。アメリカのように、(財閥が掌握する)民間企業が政治・経済・軍事・マスコミ(つまり国家そのもの)を完全に握っている社会では、「疑獄」など起こりようもない。
太平洋戦争終了後、天皇に代わって日本の神となった占領軍は、日本をアメリカ並の民主主義(民間企業が国家を動かす)にすることもできた。だがそうすれば、日本は瞬く間に民間企業が成長し、今度は経済を武器としてアメリカに反抗するのは間違いない。
そこで、日本の民間企業を弱体化させ、逆に役人・官庁の権力を温存・強化したのである。
壮大なる茶番劇
瀆職(とくしょく 公務員が私利私欲のために職責を汚すこと)とは、主に上級公務員が計画的に行う犯罪であるが、「悪い奴ほどよく眠る」に見る如く、彼らはこれを罪とは考えていない。ドストエフスキーの「罪と罰」という小説は、当時のロシアの役人・インテリがもつ、この高慢な意識(公務員は何をやっても犯罪にならない)がテーマである。
映画のラストで、公団の副総裁岩淵は「黒幕」からの電話に、こう受け答えをする。
「岩淵です。わざわざどうも。ハハ、これで何もかも。ハ、ハ、本当にご心配をおかけいたしまして。ハ、ハ、つきましては私の一身上のことでございますが、この際、公団のためにも身を退いた方が。ハ? 一時、外遊? ハ、ハ、私もそのように考えて。その後の身の振り方につきましては、何分よろしくご配慮を。ハ、ハ、では、お休みなさい。ハ? いや、これはどうも・・・なにしろ、昨夜は一睡もしなかったものですから、つい夜昼をとりちがえまして。ハハハハ・・・じゃ、これで失礼致します。」
そうして、岩淵は電話に向かって深々と頭を下げる。
電話のこちらの世界では、嘘と殺人、家族の崩壊といった悲惨なドラマが繰り広げられている。日本政府の高官・代議士でさえ、いつでも何かに怯えてビクビクしているにもかかわらず、本当に悪い奴は電話の向こうで、「これからゆっくり眠る」ところだ。
この時、日本は昼頃である。では、いったい電話の向こうは何時なのか。
岩淵は「夜昼をとりちがえた」のではない。電話の相手はまさにこれから眠る時間なのだ。だからその前に、「外遊」というヒントを黒澤は残したのである。
日本の悲劇は、海の向こうの人間にしてみれば喜劇であり、精神安定剤でもあるのだろう。
絶望の底で何を見るか
この映画のあまりにも悲劇的な終わり方には、誰もががっかりする。結局、善は悪に勝てないのか、と。
しかし、武道家黒澤の狙いはそこにある。すなわち、打たれて叩かれてぶちのめされ、絶望のどん底に落ちてこそ、今まで見えなかったものが見えてくる。現実を正しく知ることができれば、前向きな発想で正しい道を歩むことができるのだ、と。
黒澤が見せた悲惨な結末とは、本当に絶望しなければ本気になれない日本人へのエール(応援)なのである。
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