第12話 「七人の侍」 1954年 脚本 黒澤明・橋本忍・小国英雄

「七人の侍」 1954年 脚本 黒澤明・橋本忍・小国英雄 誰が最後に笑ったか


 春。ある山奥の村。秋になると山賊(野武士)がこの村を襲いに来るという話を聞いた村人たちは、「毒を以て毒を制す」のごとく、別の野武士を雇って山賊と戦う決意をする。


 最大の見どころ

 野武士の襲撃を知った村人たちが広場に集まり、途方に暮れ、泣き伏している。

「神も仏もねえだよ」「年貢だ賦役だ戦だ、水飢饉だ。そのうえ野武士(山賊)だ」

「神様は百姓なんぞ死んじまえとよ」「本当だ。死んだ方がましだ」「諦めて、黙って山賊にも年貢をやる(税金を払う)しかねえ。長いものには巻かれろだ」

「そうだ! 代官所に頼もう。年貢取り立てるばかりが能じゃあるめえ。代官所になんとかしてもらおう」

 これに対して、全員が「駄目だ、駄目だ」と手を横に振る。「代官所のすることは

 わかってる。野武士がいなくなってから大きなツラして焼け跡見物するだけだ。」

 全員「そうだ、そうだ。役人は何の役にも立たねえ」「いっそ、全員で首をくくって死んでしまおう。そうすれば、役人がビックリして飛んでくるだろう。」 涙、涙。

 この絶望こそが、この物語の原点。役人は野武士と同じくらい冷酷に税金を徴収するくせに、いざという時には頼りにならない、というのである。そこで、村の長老に相談すると。「町へ行き、腹を空かした別の野武士(任侠)を雇い、自分たちで山賊と戦おう」ということになる。黒澤が「七人の侍」で描こうとしたのは、弱きを助け強気をくじくという、「日本の任侠」があるべき、本来の正しい姿であったのかもしれない。


 同じ武士でも、金の計算ばかりの役人武士と、ガッツのある体育会系武士と二種類

 ある。

 1849年ペリー艦隊という「海賊」が日本を襲った時、「幕府のサムライ」はおろおろするばかりで何もできず、結局、アメリカに脅されて不平等条約を結ばされた。百姓町民は絶望し、在野の武士たちは怒った。その絶望と怒りこそが、薩摩や長州という「野武士」による倒幕運動の原動力になった。


 映画のラストで、良い野武士(任侠)はこう言う。「勝ったのは百姓たちだ」と。 

 だが、果たして本当にそうだったのか。悪い野武士は全滅したが、一方で、「自分では戦わない」役人武士は相変わらず、年貢だ賦役だ戦争だと、過酷な「義務」を村人に吹っ掛けてくるだろう。やはり、「最後に笑うのは役人」なのではあるまいか。


 黒澤映画の中でも、とくにこの「七人の侍」が欧米人に好まれるのは、「全編これ

 戦い」がテーマだからだ。若い武士と村の娘との恋にしても、親爺と娘の「戦い」が軸になっている。欧米人はかつてのペリーと同じで、金でも恋でも、戦って奪うものという心理的な前提で行動している。ただ、百年前に比べると、彼らのやり方はかなり巧妙になっていて、「協力・援助・友達」といいながらアジアから奪う、というスタイルではあるが。


 この映画のもう一つの見どころは、俳優左卜全の演技だろう。黒澤はそれまで「醜聞」や「白痴」でこの俳優を脇役として使用していたが、「七人の侍」で、あらためて左卜全の特異な演技力を見いだした。1957年に公開された映画「どん底」は、彼のために作った映画といってもよい。この映画では、主役であるはずの三船敏郎を左卜全が完全に「食って」いる。なにが凄いといって、「泣きながら笑う。笑いながら泣く」という演技ができるのは、「虎の尾を踏む男たち」のエノケンと、この左卜全だけなのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る