第5話 虎の尾を踏む男たち」1945年 脚本 黒澤明
虎の尾を踏む男たち」1945年 脚本 黒澤明 アメリカに逆らった日本
1185年、平家追討に勝利した源氏の大将、源義経は、兄、頼朝の不信を買い、今度は自分が追われる立場となる。逃避行の途中、安宅の関所を通過しようとする一行七人は、そこで出会った一人の強力(ごうりき : 荷物持ちの人夫)と共に、苦難のすえ関所を通過する。
この映画で黒澤は、エノケン扮する強力の口を借り、第二次世界大戦当時の日本の立場を切々と語らせる。
「ふん、面白くもねえ。将軍様ともなりゃあ兄弟喧嘩も大がかりになんのか知れね
えが・・・ 実の弟を獣のように駆り立てて。可哀相なのは義経様だ。音に聞こえた源氏の御大将が身の置き所ひとつねぇたぁ」と涙ぐむ。
→ 日清·日露·第一次世界大戦と、西洋諸国の先兵となり、アジアで戦争に首を突っこんできた日本。特に、アメリカはいやがる日本を無理やり開国させ(ペリーの来航)、兵器を売り込み、近代戦争(植民地獲得戦争)のやり方を「懇切丁寧に」日本に教え込んだ、いわば日本にとっての「兄」ではなかったか。
日本という弟は、この「兄」の援助を受けて中国(清帝国)を朝鮮半島から追い払い、中国の属国であった朝鮮をその軛(くびき)から開放し、今度は、満州・朝鮮に攻め入ろうとしたロシアを駆逐した。言わば「兄」の代理として、日本が必死で守った朝鮮半島。
ところが、今度(第二次世界大戦で)は、その「兄」によって日本はそこを追われ、日本という国自身も存続が危うくなってしまった。
錦の御旗をかかげた正規軍から、一転して賊軍となり、武士から山伏に身を変えて山野を逃げる弁慶が、悲哀と自嘲を込めて言う。「野に伏し山に伏し、苦行するのを山伏と申すなら、今や我ら一同、まぎれもない山伏じゃ」。
敗戦まぢかの時期(昭和20年)、落ち武者として海や陸でアメリカ軍に追い詰められ、死んでいった多くの日本の兵隊を思い、(黒澤は)こう嘆くのである。
黒澤はエノケンという、チャップリンに劣らぬ日本の誇る喜劇の名俳優を、伝統芸能である歌舞伎に登場させることで、日本の歌舞伎という「小さな国の物語」を「世界に通用する芝居」にまで引き上げた。服装や音楽だけでなく、精神面で西洋人の意識に入り込んだのである。
エノケン演ずるこの強力こそ、ドン・キホーテのサンチョ・パンザ、あるいは、トランプのジョーカー(おどけ者だが、時に強力な助っ人となる)である。つまりこの強力は、重苦しい軍国主義の蔓延する日本社会に現れ、与えられた色眼鏡でしか事実を見れない人間に、ズバッと現実を語り、人の心を開かせるという役割を持つ。歌舞伎の世界に登場した稀代の狂言師・エノケン。歌舞伎役者スタイルの大河内伝次郎(弁慶)と狂言師エノケン(強力)の絶妙の対比というコラボ(融合)は、黒澤映画の中でこそ可能となった。
あくまでも武士の意地を貫く弁慶と、不遇のなかでも気品を失わない義経。彼ら武士の魂に感じ入り、身の危険をも省みず、武士と庶民の垣根を超えてこれを助けようとする強力の俠気。武道家黒澤が見た、大衆の武士道。それが「任侠」なのである。
勝者が次の瞬間には敗者となる。勝利と敗北とは、ほんの紙一重の差で立場が逆転
する。この原理を剣道の世界で知る黒澤には、義経たちの運命とその無念がよくわかった。そしてその気持ちを強力に代弁させ、且つ、敗戦がほぼ確定した当時の日本という国にオーバーラップさせて「来るべきアメリカ軍の占領のためにこの映画を作った」というのは、あまりに考えすぎであろうか。(実際、この映画の撮影中に敗戦となり、映画の真意を知らない進駐軍が撮影所へ見物に来て、楽しんでいたという)
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