第10話 あとがきにかえて 兵法とはなにか

 兵法とはなにか

 これを端的に表現する話が日本にある。

 ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の「Com m on Sense 常識」という話である。


  あらすじ

 ある山奥の寺に、坐禅と読書をして暮らす一人の僧が住んでいた。そして、寺を支える善良な人たちの中に、一人の猟師がいた。ある時、僧が猟師に「長年の修行の功徳によって、普賢菩薩の御姿が見えるようになった。今夜、一緒に拝んでみたらどうか」と誘うと、猟師は喜んでそれに従った。その晩、経を読む僧の後ろに座る猟師は、同じく隣りで読経を聞いている寺の小僧にその事を尋ねてみると、やはり何度も菩薩を見たと言う。

 深夜に近くなった頃、僧と小僧は本堂の開いた扉から表を向いてひれ伏した。しばらくすると白い大きな光が近づいてきた。そしてそれは「像に乗った普賢菩薩」となって三人の前に現れた。僧と小僧は感激し、さらに大きな声でお経を読み始めた。しかし、猟師はその後ろで立ち上がり、弓を放って「普賢菩薩」を射抜いてしまった。大きな雷鳴のような音と共に「菩薩」は消えた。

 半狂乱の僧は烈火のごとく怒り、猟師の行動を非難した。

 しかし猟師は平然として言った。「和尚。あなたはただひたすら坐禅をし書物を読むことで菩薩を見ることができたと言いました。だが、あなたのような「悟り」を開いた方ならいざ知らず、ここにいるお経の意味もわからぬ小僧や、ましてや仏の嫌う殺生を生業にしている無学な猟師の私にも、なぜそれが見えたのでしょう。あの普賢菩薩とは本物ではなく、化け物に違いない」と。

 翌朝、寺の本堂から続く血痕の先には、矢の突き刺さった大きな狸の死骸があった。


 僧は本をよく読み修行をつんでいたが、手も無く狸に騙された。しかし猟師は、無学で信心のない男だったが、現実世界の経験から得た確かな常識を持っていた。事実を正しく見れない弱い心が、ストレートな人の心を曇らせ、見るはずのない幻影を見せる。だが一方で、自然に備わる理に忠実な心で危険な幻影を見破ることのできる人間がいる。

 ここに我々は、兵法を知る手がかりを見ることができるだろう。

 ( 毒蛇・毒虫・毒草だらけの山の中を歩き、危険な崖をよじ登り、川を渡り、動物たちと知恵比べをし、熊や猪と命がけで戦う。猟師とは、自然で素直な目で物事を観察し行動する者でなければ、逆に自分が動物たちの餌食になってしまう。常に戦う感性で物事に取り組むという点では、まさに兵法家なのである。)



 相打ちの思想 - - -  真理のうらおもての中で 

 相打ちの思想とは、絶対的基準にもとづく西洋の精神世界と対等に戦う( つき合う) ことのできる、日本でただ一つの思想である。それは「カミカゼ( 体当たり攻撃) 」のことではない。

 「真剣勝負とは、決死の覚悟で目的を達成し、なおかつ生き残ることが大切なのであり、必死という名の自殺とは違う(故坂井三郎氏談)」。

 相打ちに持ち込むために前へ出て、相打ちに勝つために前へ出る。死ぬために前へ出て、生きるために前へ出る。ごく普通の人間であった宮本武蔵は、自らの内に存在するきわめて当たり前の「常識」によって、人間自らが作り出した「人間の弱さとその処方箋である宗教」を乗り越え、真の自由に辿り着いた。相打ちの思想とは、真理を反転させることなのである。

 

 だが、生と死、勝者と敗者とは、果たしてどちらが真実なのか。

 それは、黒澤明の映画「羅生門」に描かれた世界でもある。一つの事実を見る人間が四人いれば、四つの異なる事実が存在する。絶対的な真実は一つでも、相対的に見れば、四つの事実は四つとも真実となる。

 武蔵の行った斬り合いも日本拳法の殴りあいも、真の勝者とは誰なのかという問題に、我々は遭遇せざるを得ない。敵を斬り殺して生き残った側が真に勝ったといえるのか。日本拳法で相手よりも多くポイントをとった側が勝者なのか。

 インドを独立に導いた、偉大な「非暴力の兵法家」マハトマ・ガンジーは言った。


 「私は自分が死ぬ覚悟ならある。しかし、私に人を殺す覚悟をさせる大義はどこにもない」

 "I am prepared to die, but there is no cause for which I am prepared to kill . "

 

 「( 非暴力に対して) はじめに彼等は無視し、次に笑い、そして挑みかかるだろう。そうしてわれわれは勝つのだ」

 "First they ignore you, then they laugh at you, then they fight you, t hen you win. "

 人生を戦う戦士である我々は、単にそれを結果として見せるために雇われたピエロにすぎないのかもしれない。


 デュマ作「三銃士」のモットー「One for All .  All for One. 」( 勝利のために個人の利益は犠牲とならねばならない。しかしまた、勝利とは個人のためにある)

 真理の矛盾の中にあって、人は命がけの選択を繰り返す。


ISBN978 -4-9904107-0-4 C0295


2008年4月5日

著者 平栗雅人

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

武蔵と日本拳法   2008年 4月5日 初出 @MasatoHiraguri

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る