第9話 第五章 真剣勝負の心
「身は捨ても名利は捨てず」
「数度の勝負に一命をかけて打ち合い、生死二つの利をわけ、刀の道をおぼへ、敵の打つ太刀の強弱をしり、太刀の刃むね( 背) の道をわきまへ、敵を打ち果す所の鍛練を得るに、ちいさき事、よはき事、思ひよらざる所」
「命をばかりの打あいにおゐて、一人して五人、十人とも戦い、その勝つ道を確かに知る事、わが道の兵法也」
二天一流と日本拳法に見る真剣勝負の心
六十数度の殺し合いに勝利したという事実は、武蔵の偉大さを知る上での傍証( cor roboration)でしかない。しかし、ひとえに殺し合いという現実から導きだされた、即理主義ともいうべき武蔵の思想は、日本拳法という武道となって再び現実化している。
太刀を振りきらずに寸止めで戦いを終えるというのは、殺さないということ。しかし、生死が判定の基準でなければ、本当のところはわからない。勝ったつもり、勝ったはず、負けていないはずという、憶測・推測の感情を押し殺したまま判定に同意するしかない世界では、どうしてもあいまいさが残る。
日本拳法では、直接、突いて蹴って投げて止めを刺す。だから、誰もが勝負の判定に納得できる。日本拳法における一本とは、武蔵の場合でいえば太刀を振りきることであり、戦う二人の一方が死に一方が生き残ることを意味する。誰に対しても公明正大な絶対の真実、人の評価を超えた現実がそこにある。
「五輪書」に残された武蔵の言葉には、一瞬の閃光の中に生死が分かれる世界でしか見れない真実がある。この言葉を辿ることで、我々は自身の現実を見いだしていけるに違いない。
真剣勝負とは
「またたき(瞬き)をせぬように」
一瞬の間に生死が分かれるのが真剣勝負の世界。
「太刀を能く構え、敵の太刀を能く受け、能く張る( 打つ) とおぼゆるは、鑓・長刀を持て、さく(柵)にふりたると同じ」
太刀を格好よく構えて、敵の太刀をチャンバラのように受けて打ち返すなどという行為は、竹でつくった防御用の柵越しに鑓や長刀を振り回しているようなもので、まるで攻撃になっていない。
「敵を打つ時は、又さく木をぬきて、鑓・長刀につかふほどの心也」
敵と戦うときには、柵にしている竹や木をひっこ抜いて武器にするくらいの根性がなければならない。
「太刀にては人の斬れざるもの」
真剣勝負とは太刀( 武器) で勝つのではない。ものと心と時を駆使する総力戦である。
「剣術実の道になつて、敵と戦い勝つ事、此の法、少しも替る事有るべからず」
現実の追求
「人をきりころさんとおもふ時は、つよき心もあらず、勿論よわき心にもあらず、敵の死ぬるほどゝ思ふ儀也」
「何事も斬る縁と思うこと肝要也」
「とにもかくにも、斬ると思ひて、太刀を取るべし」
「構えると思わず、斬ることなりと思うべし」
「速きと云ふ所、実の道にあらず」
「上手のする事は、緩々と見へて間のぬけざる所也」
構え
「太刀の構えを専らにする所、ひがごとなり。世の中に、構えのあらん事は、敵のなき時の事なるべし」
「構えると云ふ心は、先手を待つ心也」
「( 二天一流における) 勝負の道は、人の構えをうごかせ、敵の心になき事をしかけ、或は敵をうろめかせ、或はむかつかせ、又はおびやかし、敵のまぎるゝ所の拍子の理を受けて、勝つ事なれば、( 二天一流では) 構えといふ後手の心を嫌ふ也」
「我が道( 二天一流) に「有構無構」といひて、「かまへはありて、かまへはなき」といふ所也」
「いかなる難所なりとも、構なき様に確かに踏むべし」
前へ出る精神
「我事において後悔せず」
前へ前へと進むことで問題を解消する。失敗を成功に転じ、不幸を幸いに変化させる。悔やんだり、恨んだりしない。前向きな性格で陰を陽に、負を正に逆転させる。これぞ真の兵法家。
「道においては、死を厭わず思う」
「敵は四方よりかかるとも、( 自分は敵を) 一方へ追い回す心」
「少しも敵をくつろがせざるやうに勝つ事肝要也」
「勝負の道におゐては、何事も先手先手と心がける事」
「太刀の先を、足にてふまゆると云心也」
「( 二天一流とは) 人を追廻し、人に飛びはねさせ、人のうろめくやうにしかけて、確かに勝つ所を専とする道也」
相打ちの精神
「敵も打ださんとし、我も打ださんと思ふ時、身も打身になり、心も打つ心になつて、手はいつとなく、空より後ばやにつよく打つ事、 是無念無相とて、一大事の打也」
「かつとつといふ事」
「はりうけといふ事」
「打出すくらいを得て、右の太刀も左の太刀も、 一度にふりちがへて、」
「太刀の道をうけて勝つ道也」
「理を受けて、敵のする事を踏みつけて勝つ心也」
「まぶれあいたるそのうちに、利を以て勝事、肝要也 」
先の先
「先の次第を以て、はや勝つ事を得る物なれば、先と云事、兵法の第一也」
「人に先をしかけられたる時と、我れ人にしかくる時は、一倍もかはる心也」
「はるにて先をとり、打つにて先をとる所、肝要也」
「間の拍子をよく知りて、先をしかくる所肝要也」
「敵の心変わるとき、我も心をちがへて、空なる心より、先をしかけて、勝つ所也」
「敵の心のきわまらざる内に、我利を以て、先をしかけて勝事、肝要也」
「太刀にても、身にても、心にても、先を懸れば、いかやうにも勝つ」
智力を駆使して勝つ 場と間合いと拍子
「兵法の智力を以て、必ず勝つ事を得る」
「我が道におゐては、少しもむりなる事を思はず、兵法の智力をもつて、いかやうにも勝つ所を得る心」
「敵の流れをわきまへ、相手の人柄を見うけ、人のつよき・よわき所を見つけ、敵の気色にちがふ事をしかけ、敵のめりかりを知り、其の間の拍子をよく知りて、先をしかくる所肝要也。物事の景気と云事は、我が智力強ければ、必ず見ゆる所也」
「兵法の戦いに、その敵その敵の拍子をしり、敵のおもひよらざる拍子をもつて、空の拍子を智恵の拍子より発して勝つ所也」
「我が太刀の道をも知り、いかようにも敵の打つ太刀知るる所也」
「敵の打ちかかる時も、太刀の道を受けて勝つ」
「その時の理を先とし、敵の心を見、我が兵法の智恵を以て勝つ」
「場の徳を用いて、場の勝ちを得る」
「敵の強弱、手だてを知り、兵法の智徳を以て、万人に勝つ」
「太刀の徳を得ては、一人して十人にかならず勝つ事也。一人にして十人に勝つなれば、百人して千人に勝、千人にして万人に勝つ。然るによつて、わが一流の兵法に、一人も万人もおなじ事にして」
「敵の心を受け、色々の拍子にて、いかようにも勝つ所也」
「観・見二つの見やう、観の目つよくして、敵の心を見、其の場の位を見、大きに目を付て、其の戦いの景気を見、折節の強弱を見て、まさしく勝事を得る事、専也」
戦いの要諦は、場と間合いと拍子にあり。場を観察し間合いを測り拍子を創出する。これによって、拍子は拍子となり、ストーリーができてくる。
理に忠実に 天の目線で戦う
「兵法、至極して勝つにはあらず。自ずから道の器用有りて、天理をはなれざる放か」
「何をか奥と云い、何をか口といはん。道理を得ては道理をはなれ、兵法の道におのれと自由あり」
「理を心にかけて、兵法の道鍛練すべし」
「理を以て渡を越す」
「兵法の理にて確かに勝つ」
「理を受けて、敵のする事を踏みつけて勝つ」
「兵法の道理を能く知り、敵に勝つ」
「物事に勝つという事、道理なくしては勝つ事あたわず」
「兵法の道、正理を以て人を追い回し、人を従える心肝要なり」
「直なる所を本とし、実の心を道として、兵法を行う」
「その道の利を以て、上は勝つと見ゆれども、心を絶えさざるによつて、上にては負け、下の心は負けぬ事あり」
「無理に強く斬らんとすれば、斬れざる心也」
理に忠実であるが故の注意点
「道々事々をおこなふに、外道と云心あり」
「この道にかぎつて、少しなり共、道を見ちがへ、道のまよひありては、悪道へ落つるもの也」
「此の道に限って、直なる所を広く見たてざれば、兵法の達者とは成りがたし」
二天一流という道は理に徹することを本分とするが、そうであるからこそ、真理を見まちがえると大変危険なことになる。
絶対に勝つという心
「強く勝つ事」
「一人の敵に自由に勝つ時は、世界の人に皆勝つ所也」
「身にても人に勝ち、又此道( 兵法) に慣れたる心なれば、心を以ても人に勝つ。此所に至ては、いかにとして、人に負くる道あらんや」
「この利心に浮かびては、一身を以て、数十人にも勝つ心のわきまへあるべし」
「勝つ道を確かに知る事、わが道の兵法也」
「兵法の理にて確かに勝つといふ所をのみこみて、たゝかふ所也」
「敵の心をよく斗て、勝つ道多かるべき事也」
「確かに勝つ所を弁ゆる事也」
「少しも引く心なく、強く勝つ利也」
「無刀にて勝つ心あり」
「他の兵法、いかさまにも( なんとしても) 人に勝つと云ふ理を知らずして、・・・」
「( 二天一流とは) 確かに勝つ所を専とする道也」
「敵の心のねぢひねる所を勝つ事、肝心也」
「正しく勝つ事を得る事、専也」
「身にても、心にても、先を懸れば、いかやうにも勝つ位なり」
強者の心 心で勝つ
「太刀の長きを以て遠く勝たんとする。それは心の弱き故なるによつて、弱き兵法と見たつる也」
「兵法自由の身になりては、敵の心をよく斗て、勝つ道多かるべき事也。工夫有べし」
「兵法の目付は、大形人の心に付けたる眼也」
「静かなる時も心は静かならず。何と速き時も心は少しも速からず」
「心は体につれず、体は心につれず」
「我一流におゐて、太刀に奥口なし。構えに極りなし。たゞ心をもつて、其の徳をわきまゆる事、是れ兵法の肝心也」
「我が兵法におゐては、身なりも心も直にして、敵をひずませ、ゆがませて、敵の心のねぢひねる所を勝つ事、肝心也」
「敵を矢場にしほし、即時にせめつぶす心、兵法の専也」
「底を抜くといふ心。敵の心を絶やし、底よりまくる心に敵のなる所、見る事、専也」
「敵をひしぐ心にて、底まで強き心に勝つ」
「ひしぐといひて、かしらよりかさをかけて、おっぴしぐ心也。ひしぐ事弱ければ、もてかへす事あり」
「少しも引く心なく、強く勝つ利也。敵の強きには、其の心あり。まぎるる、と云ふ事、一足も引く事をしらず、まぎれゆくと云ふ心」
武蔵の文章
「兵法の道、二天一流と号し、数年鍛練の事、初めて書物に顕はさんと思ひ、時に寛永二十年( 164 3年) 十月上旬の頃、九州肥後の地、岩戸山に上り、天を拝し、観世音を礼し、仏前に向ひ、生国播磨の武士、新免武蔵守藤原玄信、年つもつて六十」
「我、若年のむかしより、兵法の道に心をかけ、十三歳にして初めて勝負をす。その相手、新当流有馬喜兵衛といふ兵法者に打ち勝ち、十六歳にして但馬国秋山といふ強力の兵法者に勝ち、二十一歳にして都へ上り、天下の兵法者に会い、数度の勝負を決すといへども、勝利を得ざるといふ事なし。その後、国々所々に至り、諸流の兵法者に行き合い、六十余度迄勝負すといへども、一度もその利を失はず。そのほど、年十三より二十八・九までの事なり」
「我、三十を越えて跡をおもひみるに、兵法至極して勝つにはあらず。自ずから道の器用有りて、天理をはなれざる故か、又は他流の兵法不足なる所にや。
その後、尚も深き道理を得んと、朝鍛夕練してみれば、自ずから兵法の道に合う事、我五十歳の比也。それより以来は、尋ね入るべき道なくして、光陰を送る。兵法の利にまかせて、諸芸・諸能の道となせば、万事において、我に師匠なし。今、此書をつくるといへども、仏法・儒道の古語をもから( 借り) ず、軍記・軍法の古きことをも用いず、此一流の見たて、実の心を顕す事、天道と観世音を鏡として、十月十日の夜、寅の一てん( 午前四時三十分) に、筆をとって書初むるもの也」
「それ兵法といふ事、武家の法なり」
以下、「地の巻」序文の名文句が続く。
「いつどこで誰が何をどのように」という、文章の基本を踏まえた、まさに「理」に即した書き出し、拍子に適った名調子。「兵法の身をもって常の身」となす、武蔵の面目躍如たるものがある。
句読点が多い。それは読む者が誤解しないように文章を区切る、武蔵の慎重さを物語る。そのために、同時代の類書に比べて隙のない、誤解されることのない明確でリズミカルな文章になっている。武蔵はビジネスマン。自分で実証したことがない能書き( 効用・効果) を主張せず、他人から借りた美辞麗句を使わない。切れば血が出るリアリティがそこにある。
武蔵の兵法観
「天を拝し、観世音を礼し、仏前に向ひ、生国播磨の武士、武蔵守藤原玄信」
一 「天を拝し」
武蔵はひれ伏して、天を礼拝する。天の理に忠実に従う、ということ。
天の助けを期待するのではない。天によって与えられた機能と機会を自分自身で活用し、自分で生きぬく。運用するのは自分次第だが、とにもかくにも素材としての理を提供してくれているのは天である。だから武蔵は、天に対して頭を下げる。
天の理を知り、それを運用することのできる体質を自己の内に作り上げるのが、武蔵の兵法であり、目に見えない何かに頼む・すがることによって安心感を得ようとする、宗教的なアプローチとはちがう。兵法(武士の戦い方)とは、自分と理の関係について観察と実験をくりかえし、その関係を確かなものとして、自分の中に確立しようとする科学なのである。
日本人は何に対しても簡単に頭を下げるが、戦国時代の武士や現代の西洋人は、人に自分の頭の後ろを見せない。西洋人が首を垂れる( 日本人のお辞儀) は、教会で神にお祈りを捧げる時とギロチン台に首をのせる時だけ。人間が人間に頭を下げるということは、武士にとっては身の危険から、西洋人にとっては宗教上の理由から行わない。
二 「観世音を礼し」
天の理を人に知らしめる、予告、兆し、ヒント。キリスト教でいえば、天使に相当する存在。
これらに対して武蔵は、礼をする。光、音、味覚、触覚によって世界( 天理) を知るとは、正に「座頭市」の世界である。
三 「仏前に向ひ」
最後に仏。仏とは釈迦のこと。釈迦は武蔵と同じ人間であるから、これと対等に向かい合う。
武蔵は、天と人間とを明確に分類している。絶対的な天の理と、時代や社会の変化を受けてころころ変わる人間の法( 考え、アイディア) とを区別するのが、武蔵の兵法なのである。
「実の道をしらざる間は、仏法によらず、世法によらず、おのれは確かなる道とおもひ、よき事と思へども、心の直通よりして、世の大かねにあわせて見る時は、その身その身の心のひいき、その目その目のひずみによつて、実の道にはそむくもの也」
「世の中の兵法、剣術ばかりにちいさく見たてゝ、太刀を振り習い、身をきかせて、手のかるる所を以て、勝つ事をわきまへたるものか。いづれも確かなる道にあらず」
真の兵法とは、勝負全体・戦争そのものに勝つ思想であり、戦いにおけるあらゆる要素を含む総合的な「戦争の芸術的手腕( Art ) 」でなければならない。天に通用するほど確かで普遍的な価値をもつ芸術にまで戦いに対する自分の意識を高めること。それが武蔵の思想=二天一流という兵法なのである。
武蔵の教育観
「今日は昨日の我に勝つ」
「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を練とす」
「いづれの道におゐても、人にまけざる所をしりて、身をたすけ、名をたすくる所、是れ兵法の道也」
「極意・秘伝などゝいひて、奥・口あれども、敵と打ち合う時の理におゐては、表にてたゝかい、奥を以てきると云事にあらず」
「我兵法のおしへやうは、初めて道を学ぶ人には、その技のなりよき所をさせならはせ( 慣れさせ) 、合点のはやくゆく理を先に教え、」
「心の及びがたき事をば、其人の心をほどくる所を見わけて、次第次第におおかたその深き所の理を後に教える心也」
「我が道を伝ふるに、誓紙罰文など、云事を好まず」
「此道を学ぶ人の智力をうかゞひ、直なる道をおしへ、兵法の五道・六道の悪しき所を捨てさせ、おのづから武士の法の実の道に入り、疑いなき心になす事、我が兵法の教えの道也」
「大きなる所よりちいさき所を知り、浅きより深きに至る」
敵
「兵法の智力を得て、我が敵たるものをば、皆我卒なりとおもひとつて、なしたきやうになすべしと心得、敵を自由にまはさんと思ふ所、我は将也、敵は卒也」
イエスの示した「愛の兵法」により、当時、一ローカル宗教でしかなかったキリスト教は巨大なローマ帝国を取り込んだ。同じく命がけで戦う男、宮本武蔵は、自分を殺そうとする敵を許すことはなかったが、部下のごとく自分の意図する方向へ導き、勝負に勝ち続けた。敵を形而上(目に見える現象の奥にある本質的な存在として)で取り込めば、物理的な勝利も後からついて来る。肉体的に敵を殺す前に精神を殺す。敵の心をリードし圧倒することで飲み込んでしまおうという武蔵兵法の精神は、地の巻、大工の項においては、「針と糸」のたとえで示される。
真似ではなく鍛練
「仏法・儒道の古語をも借らず、軍記・軍法の古きことをも用いず、此一流の見たて、実の心を顕す事」
「見るとおもはず、習うとおもはず、偽物にせずして」
「人につかざる所肝要也」
人の真似をしない、追従しない。
「とりわき兵法の拍子、鍛練なくしては及びがたき所也」
「是れ兵法の達者、鍛練の故也」
「敵を打果す所の鍛練を得るに、ちいさき事、よはき事、思ひよらざる所也」
「世の中、人の物をしならふ事、へいぜいも、うけつ、かはしつ、ぬけつ、くゞつゝ、しならへば、心、道にひかされて、人にまわさるゝ心あり。兵法の道、直に礼しき所なれば、正理を以て、人を追いまはし、人をしたがゆる心肝要也」
修行・修業という「人の業をし習う」( 人間の真似をする) のではなく、鉄を叩いて鉄にするが如く、自己の内なる利( 理) を掘りおこす。
「免許皆伝者」とは、どこまで他人の技術の真似ができたか、という話。
だが、二天一流とは思想であって技術ではない。ルソーやマルクス思想の免許皆伝者などいないように、二天一流においても、後に続くのはその理解者たちである。
武蔵は天から与えられた自分の内なる理を開拓し、磨くことで、オリジナルな戦い方を作り上げた。「二天一流」というソフトウェア( 考え方) を理解すれば、具体的な戦い方は個人個人で異なる。それこそが、「二天一流の奥義」なのである。
科学する心 確実性の追求
「( 二天一流は) 確かに勝つ所を専とする道也」
「今、世の中に兵法の道、確かにわきまへたると云武士なし」
「背く拍子わきまへ得ずしては、兵法たしかならざる事也」
「打つと云う心は、いづれの打にても、思ひうけて確かに打つ也」
「此一つの打と云心をもつて、確かに勝つ所を得る事也」
「いづれかきわめんと、確かに思ひとつて、朝鍛夕錬して、磨き果せて後」
「この兵法の理にて、確かに勝つというところを飲み込みて、先の位を知って、戦う所也」
「敵の顔たて直さざるように、確かに追いかける所肝要也」
「その利を受て、確かに勝ち知るべきもの也」
「敵うろめく心になる拍子を得て、確かに勝つ所を弁ゆる事也」
「他流の道を知しらずしては、我( 二天) 一流の道、確かにわきまへがたし」
「確かに書き顕し、善悪理非を知らする也」
「いづれも確かなる道にあらず」
「確かなる道にてはなき事也」
「細かにちいさく目を付くるによつて、大きなる事をとりわすれ、まよふ心出できて、確かなる勝をぬかすもの也」
「武士は兵法の道を確かに覚へ、其外武芸を能くつとめ、武士のおこなふ道少もくらからず」
「何れの太刀にてもあれ、打ち所を確かに覚へ」
「常識」を得るために
第一に、よこしまになき事をおもふ所
第二に、道の鍛練する所
第三に、諸芸にさはる所
第四に、諸職の道を知る事
第五に、ものごとの損徳をわきまゆる事
第六に、諸事目利を仕覚ゆる事
第七に、目に見えぬ所をさとつてしる事
第八に、わづかなる事にも気を付くる事
第九に、役にたゝぬ事をせざる事
此の如き理を心にかけて、兵法の道鍛練すべき也。
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