第6話 第二章 二天一流とは その一 戦いから見た二天一流
戦いから見た二天一流
二天一流とは、二本の太刀( =剣、刀) で戦うことを特徴にしているが、太刀の使い方そのものに特別な技巧や華麗な技があるわけではない。あくまで目の前の敵に現実的に勝つことを目的にしている。飯を食う時には右手に箸、左手に碗をもつ。西洋人は、ナイフとフォーク二つの武器で肉を切る。無理のない戦いとはそういうものである。
二天一流における戦いのポイント
一 敵の中心部(機能中枢)への攻撃
敵を攻撃する目標は、その顔面を第一とする。
二 相打ちで勝つ(敵を止める)
動いている人間の顔を正確に攻撃するのはむずかしい。そこで武蔵は、戦いを相打ちに持ちこむことによって、敵の動きを止める道を選んだ。自分も敵も相手を攻撃する動作に入る瞬間、その動作は必ず一旦止まる。そこを自分がコンマ一秒早く相手を斬る。この相打ちという機会をしかし、武蔵は自分から前へ飛び込んで作り出した。これが「二天一流の相打ち」である。
三 前へ出る
相打ちに勝つ(先の先を取る)ために、武蔵は必ず前へ出た。互いが同時に打ち合うという五〇:五〇の最後の所で、自分が一歩敵をリードするために。集中の自由は攻撃側にある。武蔵は自分のタイミングで勝つために前へ出て、コンマ一秒敵に先んずる相打ちを行ったのである。
前へ出ることを意識する、常に心がける。これが実は非常に重要なテーゼなのである。
そして、これら三つの行為を確実に勝利へつなげるのが、「場と間合いと拍子」という武蔵独自の考え方。二刀によって作り出した場に敵を引きこみ、自分の間合いとリズムで敵を圧倒して勝つのである。
武蔵が真に偉大であったのは、この考えを太刀による打ち合いの場面に限定するだけでなく、戦い全般に適用した点にある。場と間合いと拍子という考え方で、戦う二人の間、更には周囲に存在するあらゆる現象をとらえ、勝利のために再利用した。太刀で勝つのではなく、常識で勝つというのはそのことである。
たとえば、前章で指摘した「五輪書」と「二天記」を時間差で出版するという手法。ここにも、武蔵の兵法を見ることができる。
顔面攻撃
「敵の顔を突く心あれば、敵の顔、身ものる( 反る) ものなり」
顔面攻撃
敵のヘッドクォーター( 頂点・頭) を攻略せよというのは、二天一流における最も重要な教えである。
武蔵は巌流島での小次郎との勝負のように、一対一でじっくり戦うことなどほとんどなく、複数の敵を相手にすることが多かった。その場合、敵の大将を潰さなければ本当に勝ったことにはならない。武蔵は、敵が大人数であればその大将を、一人の人間を攻撃する時にはその顔面( 頭部) を集中的にねらった。ここを突かれたり斬られたりすれば、人の動きは止まる。確実な顔面攻撃は、最も合理的に戦いを終結させることができる。
一八六七年、京都近江屋で暗殺された坂本竜馬は、頭に二打の太刀を受けてその場で絶命したが、同じく襲撃を受けた中岡慎太郎は、顔面を小太刀で守ったために、全身二十一箇所を斬られながらも二日間存命した。手足ならまだしも、頭をやられてはどうにもならない。
武蔵は時代劇で見るような、太刀を上から振りかぶって斬るというスタイルではなく、太刀を持つ位置からそのまま突くという攻撃を主体にしていた。リズムとタイミングで勝つために、斬る方向と逆方向に、一旦太刀を持っていくという助走を嫌ったのである。それによって太刀に威力がなくても、敵の顔面に太刀の切っ先をぶち込めば、二刀の内のもう一刀がすぐに第二撃をあびせることができる。
また、攻撃がはずれたとしても、顔面を攻撃されると人の体は反りかえる。重心が後ろにきてしまう。これが、攻撃する側にとっては勝ったも同然というほど大きなメリットとなる。上体が反り返った人間など死に体である。
顔面攻撃の危険性
敵の体の中枢をねらい、組織の頂点を一気に攻略することは正しい。しかし、手足を斬るのと違い、敵の中心部を一撃で叩き潰すというのはきわめて困難である。
ここに、最大級の効果を得るためには最大限の危険を冒さなければならない、というボトルネックが立ちふさがる。理論的には正しいが運用するのは不可能、という矛盾である。しかし武蔵は、この攻撃にこだわった。敵を止めるということと、場と拍子を機能させれば、相打ちは相打ちにはならない( 敵は死んでも自分は生き残れる) と判断したからである。
敵を止める
「役にたゝざる事をば、敵にまかせ、役に立つほどの事をば、おさへて、敵にさせぬようにする所、兵法の専也」
「敵の起こる強き気ざしを、利の拍子を以て止めさせ、止みたる拍子に、我が勝利をうけて、先をしかくるもの也」
「敵の技をせんとする所を、おさゆるといひて、わが方より、其利をおさゆる所を、敵につよく見すれば、強きにおされて、敵の心変わる事也。我も心をちがへて、空なる心より、先をしかけて、勝つ」
敵を止める
零戦パイロット故坂井三郎氏によれば、「敵も自分も秒速一〇〇メートルという高速で移動している空戦の場で機関銃の弾を当てるとは、地上でいうと、全力疾走しながら針の穴に一発で糸を通すほど困難であった」という。アメリカでは当時、五機撃ち落とせばエースの勲章がもらえたほどである( 坂井氏は六十四機撃墜) 。
真剣勝負でチャンスは一度しかない。一発で相手をしとめるには、動いている敵を止めるしかないのである。
一 敵は止まる
敵の心と体が一致していない瞬間。たとえば、武蔵が左の太刀を突きだし、敵がそれに気をと
られている瞬間に武蔵の右の太刀が敵を突く。緊張状態が続くと、人は必ず無意識に息抜きをしようとして止まる。そこを敏感に感じとって打ち込む。息を吸う時、瞬きをする時が危ない。
二 敵が止まる
戦いの間、武蔵は決して止まらずに前へ出る。すると、敵は後ろへ横へと押され、ぎりぎりのところで反撃しようとして、自分から止まる。
三 敵を止める
二刀の利を活かして連打し、敵の動きを強制的に止める。敵に反撃の「は」の字もさせずに一方的に攻撃し、追撃し、そのまま斬る。敵が怯んだ瞬間、敵はこちらの攻撃から目を背けて硬直する。敵の心を止めながらもう一方の太刀で決めるのである。
「枕をおさえる」「剣をふむ」「かげをうごかす」「かげをおさゆる」「うつらかす」「むかつかせる」「うろめかす」(火の巻)
自分が止まる
「此の打ち合いの利と云ふ事にて、兵法太刀にての勝つ利をわきまゆる所也。細やかに書き記すにあらず。稽古ありて、勝つ所を知るべきもの也。大形兵法の実の道を顕す太刀也」
「此一つの打と云ふ心をもつて、確かに勝つ所を得る事也。此儀、能く鍛練すれば、兵法心の儘になつて、思ふ儘に勝つ道也」
自分が止まる
空中戦の時、照準器に敵機をとらえて機関銃の発射ボタンを押す瞬間、坂井氏は必ず後ろをふり返ったという。ともすると、敵を追いかけ追い詰めることに夢中になり、自分の後ろに別の敵がくっついていることに気がつかない。そして、発射ボタンを押す瞬間、飛行機の姿勢も自分の思考も停止する。そこを後ろから撃たれことを避けるために。
矛盾
動いている敵を確実にしとめるには、敵が止まった瞬間に打つしかない。敵がこちらを攻撃する姿勢で止まる瞬間である。しかしその敵を攻撃するためには、自分もまた止まらねばならず、それは敵にとってチャンスとなる。この矛盾を、武蔵はどう解決したのか。
止める自分と止まる自分 二人の武蔵
武蔵は佐々木小次郎の燕返しなどという小手先の技術を必要としない。水の如く静かに前進し、火の如く大胆に踏み込む。二刀による打ち合いの利( 一刀が止まる時にはもう一刀が攻撃する)によって、武蔵は自分が止まる瞬間をつくらない。戦いの流れを止めないというのは、二天一流と日本拳法に共通する最も重要な考え方である。
この二刀による相互補完作用によって、敵から見れば武蔵は常に動き、止まる時がない。敵を止める流れは止めず、自分は確実に止まる。そして「一つの打と云ふ心をもつて」確かに勝つ。
武蔵の矛盾の解決方法はこれである。
フェイントという踊りで相手の攻撃を誘う他の流派に対し、武蔵は自分のリズムで動き、相手が攻撃のために止まる瞬間を自分で作り出した。そのため、相打ちにおいて「決して利を失うことなし」であった。
晩年、熊本において柳生新陰流の免許皆伝者と武蔵が( 道場で木刀を使用して) 戦ったが、三度戦い三度とも武蔵が勝った。柳生新陰流の使い手である渡辺幸庵( 一五八二〜一七一一) に言わせると「但馬守( 柳生宗矩) にくらぶれば、( 武蔵は) 碁にて言えば井目強し」であると。
矛盾の解消
「いづれも敵を追いかける」
「敵は四方よりかかるとも、一方へ追い回す心」
「( 二天一流とは、自分の) 身は強く直にして、人を追廻し、人に飛びはねさせ、人のうろめくようにしかけて、確かに勝つ所を専とする道也」
前へ出る
武蔵が二本の太刀を持って構えている絵があるが、太刀を握る両の手をだらりとだらしなく下げている。我々が知る一般的な剣道の構えとは異なる。しかし、これこそが「武蔵の構え」なのである。
武蔵は敵の顔面を打つために、あえて自分の顔面をがら空きにし、敵の心、敵の太刀をそこへ誘いこんだ。敵が武蔵の顔面めがけて斬りこんでくるその瞬間、敵は止まる。武蔵は一刀を敵の太刀と相打ちにさせながら、同時にもう一刀で敵の本体(肉体)を攻撃するのである。
武蔵は敵の太刀を受け止める、ということをしなかった。前へ出ながら攻撃するために二刀を使用したのであって、防御のために二刀を用いたのではない。両手で思いっきり斬りつける敵の太刀を、いくら武蔵の力が強くても片手で握る太刀で受けきれるものではない。敵の太刀を自分の太刀で軽く接触させて受け流す程度の受けである。
二刀を使って「場と拍子」という独自の空間をつくり、敵が攻撃したくなるように、しかも武蔵の都合のいい場所へ攻撃してくれるように誘導する。敵がそうするようなチャンスを、自分が前へ出ることで作り出した。前へ出るから、(自分が勝つ)相打ちに持ちこめるのである。
敵の攻撃を前へ出て避けるという考え方は、一六〇〇年九月十五日、関ヶ原の戦いで薩摩藩主島津義弘が、戦場から退却した時の行動に見ることができる。
小早川秀秋の裏切りによって西軍( 石田方) は総崩れとなり、数万の東軍( 徳川方) は西軍正面を守る千五百人の島津軍へ一気に押し寄せた。この時、島津軍は後ろへ退却せず、逆に前へ、しかも最も強力な敵の主力部隊である徳川家康の本陣へ向かって突撃し、そのまま敵中を突破して戦場から離脱した。この恐るべき退却を人々は、特に「島津の退き口」と固有名詞で呼ぶ。薩摩の剣法示現流の原点がここにある。
「おびやかす」「まぶるる」「かどにさわる」「うろめかす」「三つの声」「まぎるる」「ひしぐ」「底を抜く」(火の巻)
場と間合いと拍子
「観見二つの見やう、観の目つよくして敵の心を見、その場の位を見、大きに目を付けて、その戦いの景気を見、その折節の強弱を見て、まさしく勝つことを得る」
場と間合いと拍子
物理的・心理的な場と間合いをとり、拍子( リズム) によって敵を翻弄する。
「五輪書」空の巻で述べられる「観見」とは、この場と拍子をコントロールする力のこと。敵と自分との状況、すなわち戦いの場を観るのが観の目であり、攻撃の拍子(リズム)を見るのが見の目である。
武蔵は二本の太刀によって仮想空間という場を作り、同時に二刀を別人格のようにしてあやつり、自分のリズムを生み出した。
二本の太刀は、敵との間合いやその構えに応じて変幻自在に空間を移動する。移動する二点を結ぶ軌跡が面となり空間となることで、敵は武蔵との正確な距離をつかみにくくなる。しかも、右の太刀は左の太刀の動きを知らず、左の太刀は右の太刀を見ない。それぞれの太刀は一つのリズムで調和しながら、独立して敵への攻撃を行う。
こうして武蔵は、一見バラバラに見えながらも協調する二刀の運動によって敵の心を制し、確実に敵を止めて勝利した。
「太陽を背にする」ことだけが場を得るということではない。拍子といって太刀一本ではリズムは作れない。二本の太刀によってこそ、敵を取りこむ場と独自のリズムを生むことができる。
この仮想的な場とリズムによって敵の理(利)を奪い、自分に有利なタイミングで勝つのである。
他流派のように、敵の動きに過敏に反応し、細かく間合いをはかったり、タイミングを取るためにちょこちょこ動きまわったりしない。どんどん前へ出て、自分の場とリズムを強制的に敵におしつける。太刀が一本の場合であれば、押し込む力の虚(陰)をとられる。ところが、二刀が互いの虚を補完しながら前進することによって、完全なる実(陽)による攻撃が可能となるのである。
間合いとは、相手との距離のことであるが、必ずしも三十センチとか一メートルといった絶対的な距離のことではない。自分にとって最適な射程距離のことであり、相手との距離が一メートルあっても、自分の踏み込む力・脚力によっては、三十センチにもなるし二メートルにもなる。
また、武蔵の兵法は「場と間合いと拍子」を形而上的に見ることを特徴にしていた。精神的な場や間合い( 相手の距離感) を重視したのである。二刀といって必ずしも太刀を意味しない。二つの武器のことであり、肉体と精神、裏と表といった二の関係を利用するということなのである。
場
「場の徳を用いて、場の勝ちを得る」
「場のくらいを見わくる所」
「敵に場を見せずといひて、敵に顔をふらせず、油断なくせりつむる心也」
場
一 物理的な場
敵と自分の立つ位置の高低の比較。
昼は太陽、夜は月、家の中であれば灯の位置という、光と影の強弱、陰陽の場。
足場( 平坦な硬い土、砂利道、沼、草場、等々) の良し悪し。
二 心の場
敵の心を読む。敵の心を知る手だてをつかむ。
敵の心と自分の心との強さを比較する。
自分の心と敵の心の場に高低の差をつける。
三 太刀の場
敵と自分の太刀の長さ( 間合い) 。
敵と自分の太刀の高低( 敵の構えに対する自分の太刀の位置) 。
敵と自分の太刀の置かれた環境( 障害物が近くにないか、隠れた敵がいないか) 。
この三つの場を見るのが「観」の目であり、さらに武蔵はそこにもうひとつの場を作る。
一刀は前へ突きだし、もう一刀はその後ろに引いたり、左右に広げて二刀の間に空間を作る。
敵は自分と武蔵との間の場よりも、この変幻自在な仮想空間としての場の方に気をとられ、現実の武蔵との距離を一瞬、見失う。真剣勝負では「一瞬」が生死を分ける。
戦う二人の間に存在する体格の大小、腕力の強弱、太刀の長短という肉体的・物理的な絶対要因は変えられない。だが、仮想空間という新たな場の創出によって、絶対的な世界は相対的な関係に置き換えられる。誰が見ても絶対に体の小さな者であっても、仮想空間の力によって、目の前の敵には実際以上に大きく見える。
拍子
「兵法の戦いに其敵其敵の拍子をしり、敵のおもひよらざる拍子をもつて、空の拍子を智恵の拍子より発して勝つ所也」
拍子
単に、武器の量が二倍になったということではない。武蔵の「二刀流」とは、戦いの質を劇的に変化させたという点に意義がある。
一本の太刀では単調なタイミングでしかない。だがこれが二本になると、それぞれの太刀が独立しながらも協調して運動するためにリズムが生まれる。一個のピアノのキーが二個になれば音楽となるように。二刀のあいだを振り子のようにしてタイミングを行き来きさせることで生まれる無形の、しかしながら極めて強力なこの武器を、武蔵は「拍子」とよんだ。二天一流における拍子とはリズムのことであり、タイミングだけを意味する他流派の「拍子」とは違う。
二人がそれぞれ別個の動きをしてもリズムにはならない。敵と自分という二人の人間の間に発生するのはタイミングであって、リズムではない。しかし、戦う二人の間で争われるタイミングの取り合いという動きは、一方の武蔵が二本の太刀の間に生み出したリズムによって大きく影響をうける。敵は武蔵のリズムに引きこまれて、攻撃のタイミングを誤るのである。
二刀による空間( 場) をいかに効果的に運用するか。いかに自分の拍子( リズム) で敵のそれを崩し、戦いの流れを自分の側に引き込むか。それは教科書に書かれた技術を真似たり、用例を暗記して行う戦い方ではない。その場その瞬間に自分の感性で場を読み、敵の心を知り、変幻自在な「場と拍子」を作り出して敵を圧倒するという戦い方なのである。
こうした「創作」に徹することで、武蔵はあらゆる戦いを勝ちぬいた。敵の戦い方につき合うというよりも、いつでも自分の場と拍子へ敵を引きこんだのである。
だからこそ武蔵は、多くの武士の中でただ一人、「芸術家」となり得た。今、自分が存在する場における時間と空間を瞬時に切りとり、理にかなった表現方法で現実を再構成する。このプロセスとは、芸術のそれと全く同じではないか。
拍子の達人武蔵は、歌舞音曲にも通じていたのである。
「世の中の拍子あらはれてある事、乱舞の道、楽人、管絃の拍子など、是皆よくあふ所のろくなる( ひずみのない) 拍子也。諸芸諸能に至りても、拍子をそむく事は有べからず」
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