第25話 魔獣ベヘモス 前編
俺たちの目の前で、こちらを気にも留めず、魔食会の面々は緊急会議を開いていた。
「おい、魔獣牧場はここだけじゃなかったのかよ? というか大型の魔獣が脱走ってやばいだろ……」
「大型の魔獣には大人しくさせる魔道具を嵌めておったんじゃが……」
「我々を連邦の軍隊だと勘違いして、早まった奴が一斉解放装置を作動させた。そうだな? ダークエルフ」
キセーラが語気を強め、魔食会の面々が縮こまった。
なんでそんなもの作ったんだ。
「いずれにせよ、地下迷宮から魔獣を連れ出すなんて犯罪行為です。特定魔獣種法を違反しています」
「なんだそれ?」
「まあ、簡単に説明するとですね……」
一つ、召喚獣以外の魔獣の飼育を原則禁止。
二つ、地下迷宮から魔獣を地上に持ち込むことの原則禁止。
三つ、野外へ放つことの禁止。
四つ、飼養等の許可を受けていない他者への譲渡や販売の禁止。
だそうで、特定外来生物法に似た法律だった。
「頼む! 見逃してくれ! 我らも逃げた魔獣を討伐するから、この通りじゃ!」
魔食会の長が平伏し、他の魔食会メンバーたちも一斉に平伏した。
「うーん。お兄さん、どうしよう?」
「まあ、冒険者さんたちが頑張るんだろうし……。ぶっちゃけ強い奴とは戦いたくねえな……」
「シドー、絆(ほだ)されてはダメだ。ここで許しては、こいつらは同じ過ちを繰り返すだろう」
「理屈はそうなんだろうけどな……」
彼らの処遇に俺が頭を悩ませていると、魔食会の一人がキセーラの前に進み出た。彼の手には人面茄子があった。
「私はこれでも神聖処女隊だったのだ。賄賂なんぞで絆されはせんぞ」
「ハイエルフ様、どうかこれで手打ちに……」
キセーラが人面茄子を見ると顔色が変わった。
「……これは恋茄子(こいなすび)か?」
「ええ、これで意中の相手を落とすことが出来ます」
「……良し! これで手打ちとしよう! ――痛っ!!」
俺のチョップによる制裁を喰らったキセーラが、頭を両手で押さえる。
「何が、良しだ! お前が一番絆されてんじゃねえか! 賄賂云々はどうしたよ!」
「い、いやこれは惚れ薬的な物で、賄賂では……」
「なお悪いわ!」
モイモイが溜息をついて前に進み出る。その顔は効果的な解決策を思いついたようだった。
「シドーさんもキセーラも甘いですね。交渉とはこうするのです」
魔食会の面々が息を飲む。
「罪に問われたくないのであれば! 銀貨二〇〇枚で手打ちと致しましょう!」
……おい、これって。
魔食会の長が銀貨が沢山入った袋を捧げる。
「ははぁ~! これでどうか! お許しくだされぇ!」
「うむ! これであなたたちは許されましたぁ!!」
銀貨が沢山入った袋を覗いてご満悦のモイモイは、魔杖の石突を地面に立てて鳴らした。モイモイが行ったのは、金欲しさが故の恐喝である。ゲス過ぎて乾いた笑いが漏れる。
「ねえ、お兄さん、これって強と……」
「ラハヤさん、それ以上言ってはダメだ。こいつらと仲間なのが恥ずかしくなってくるから」
魔食会の面々が安堵し、ラハヤが困った表情を浮かべ、モイモイとキセーラが満足な笑みを浮かべていた頃である。
『グゴオオオオォォウ!!』
魔獣ベヘモスの咆哮が響いた。音が近い。ベヘモスはおそらく近くにいるのだろう。
「ベヘモスがこちらに来ているのか!?」
魔食会の長が驚愕する。他の魔食会の面々も、恐怖に顔を青くさせていた。
「ラハヤには
キセーラがラハヤに向けて
小屋の鎧窓を開けて辺りを見渡すと、魔獣ベヘモスが地響きを立てながら通り過ぎて行った。その大きさは前に倒した時の個体とは、比べものにならないほど巨大だった。頭から尻尾の先までの大きさは、三〇メートル近い。
体色は褐色で、丸太の如く太い尾を揺らす姿は筋骨隆々。太い前と後ろの脚には熊の爪を持ち、顔は狼でサイのような立派な角を持つ。口から見える牙は研ぎたてのナイフのように鋭い。
「あれは成獣のベヘモスですよ。あれぐらいになると軍隊でも倒せるかどうか」
「お兄さん、ベヘモスは下山してる、よね? このままじゃバレーナが危ないよ」
「そこの若いの!」
魔食会の長が俺を呼ぶ。
「何ですか?」
「我らが育てていたベヘモスは魚しか食べておらん! しかも与えていたのは干し魚じゃ! このままではバレーナの民家に下げられた干し魚の匂いに釣られるのは間違いない!」
「シドー、考えている暇はないぞ。今すぐにでも下山してベヘモスに追いつかなければ」
「あー、くそっ、また厄介事かよ」
俺たちは急ぎ下山し、ベヘモスを追う。下山に四〇分近く掛かったが、これでも急いで下山したのだ。
ベヘモスの巨躯を視認できた頃には、連邦の数百の軍隊が長槍を構えファランクスを敷いていた。連邦のファランクスに対峙したベヘモスは咆哮を上げる。
「不味いですよ。相手は完璧な獣と呼ばれるベヘモスです。一撃の元に倒さなければ、喰らった攻撃を元に進化してしまいます!」
「お兄さん、あれを見て!」
連邦の後列に配置された弓兵隊が一斉に矢を放った。
絶え間ない矢雨がベヘモスに降り注ぐ。無数の矢がベヘモスに刺さった。
『グゴオオオオォォウ!!』
咆哮を上げたベヘモスの体表にある毛が、ぶくぶくと鱗に変化する。これが完璧な獣と呼ばれるベヘモスの本来の力なのだろう。
「おい、哺乳類から爬虫類みたいになりやがったぞ……」
ベヘモスの体に刺さった矢が抜け落ちる。既に全身の毛を硬い鱗へと変化させていた。
褐色の大きな鱗が矢を弾き飛ばしている。
バレーナの干し魚を目指してゆっくり前進するベヘモスの姿は、サイのような一本角を持つ翼のないドラゴンのようだ。
数百のファランクスが前進して、ベヘモスに長槍を突き立てているが、効いている様子はない。それどころか、ベヘモスの口から繰り出される竜巻のようなブレスで、吹き飛ばされている。
そのような光景が三〇〇メートルほど先で起きていた。
「シドー、魔獣ベヘモスを倒すには一撃の元に葬り去るか、再生や進化の速度を上回るほどの損傷を与え続けなければならない」
「誰ができるんだよ、そんな芸当」
俺は断じて敵を圧倒する英雄などではなかった。高校生ときに正義の味方になりたいと思ったことはある。それは結局、成れもしない儚い夢でしかなかった。
俺はどこまで行っても間の悪い男でしかなかったのだ。
自衛隊を辞めざるを得なくなった理由だって、神馬に轢かれてこの世界に来たのだって、たまたま神様を殺して喰ったのだって、全て俺の間の悪さが原因なのだ。
魔獣牧場を見つけてしまったのも、こちらにその気は一切なかった。現在の最悪な状況も。まるでドミノ倒しだ。堪ったもんじゃない。
けれども、どうやら俺は、例え戦う姿が滑稽でも人のために働きたいらしい。この性格は矯正不可能なのだろう。
「お兄さん、行くの?」
「軍隊が苦戦している以上は行かなきゃ」
ドヴァさんからもらった魔石実包もある。俺は銃袋から取り出した猟銃のチャンバーを開けた。
「シドーさん。その魔石実包を貸してくれませんか? 私はさっき強力な魔法を使ってしまったので、エンチャントしか使えませんが、魔石とエンチャントによる複合魔法なら致命打を与えられるかもしれません」
「なら私も掛けよう」
「私もお兄さんのそれに、初速を上げるエンチャントを掛けるよ」
「ラハヤさんも使えるんだ」
さっきラハヤさんが誤射しちゃったのは、咄嗟(とっさ)のことで掛けてなかったからか。今までクロスボウにしては精度が良かったのもそれか。
ラハヤの新しく見えた長所と短所だ。誤射した理由が明確で笑える。
「あれ、お兄さん笑ってる?」
「ん、ああ、皆が一緒に戦ってくれるなら何とかなりそうな気がして」
「シドーさん、早くやりましょう」
俺は黄色い魔石が弾頭になった魔石実包を、弾差しから取り出した。
「良し、頼む」
「
モイモイが弾頭に火焔をエンチャントする。弾頭が赤く輝く。
「
キセーラが神性をエンチャントする。弾頭が赤と黄色に輝く。
「
最後にラハヤが疾風をエンチャントした。弾頭が赤、黄、緑と三色の輝きが混ざり金色に輝いた。
四人の力がこの一発に集まったのだ。四人で戦えば、必ずベヘモスを討伐できる。
「みんな、行こう」
俺は胸を張って一歩前に踏み出した。
「シドーさん、シドーさん」
「どうした?」
「私たちは一緒に戦えません」
「……なんだって?」
俺は面食らって後ろを向く。そこには小型の魔獣の群れがいた。
「シドー、すまないな。我々はあいつらを相手しなくてはならない。シドーが一人でベヘモスを倒すんだ」
「お兄さん、えっと、ごめん」
三人が俺から離れ、魔獣の群れに向かっていく。クーまでもが俺を置いて魔獣の群れと戦うようだ。
結局、俺一人で戦うのかよ!! ちくしょう!!
切ない現実に泣いた。気を取り直した俺は、前に駆けだし草原に伏せるとレーザー距離計で測距する。
「おいおいマジかよ」
バッテリーがとうとう切れた。このタイミングで精密射撃が出来なくなってしまったのだ。
連邦軍の被害が拡大する前に、遠距離から一発で仕留めるつもりが御破算となってしまった。恐ろしいベヘモスに近づくしかない。
「あー、くっそ!」
俺は急いで脱包し、実包を詰める順番を変える。確実に一撃で仕留めるには、氷属性の魔石実包を四発ベヘモスの足に当てて、凍らしてから隙を作るしかない。
そして心臓を狙えば片が付く。
エンチャントされた魔石実包を弾倉に込めてから、氷属性の魔石実包を弾倉に込める。
そこへ蹄の音が聞こえた。音に振り向く。そこにはロバに乗ったゴブリンの二人組が、馬を牽きフサリアの羽根飾りのような物を持っていた。
しかし、その羽根飾りに本来あるべき飾りは鳥の羽根ではない。干し魚だった。しかも大きな鱈めいた魚である。それが羽飾りのように連なっている。
「シドー様!! この馬と、この干し鱈の飾りをお使いください!」
「あの、なんで干し鱈?」
「あのベヘモスの飼料で御座います! これを見せれば街の方には行きませぬ!」
「ああ、なるほど」
俺が囮になるんだな。
ゴブリンがロバから降りて俺の後ろに回り込む。干し鱈の飾りを二本俺のベルトに差し込むと、縄で落ちないように固定した。
これではまるで一人だけ羽飾りが間に合わずに、干し鱈で代用したフサリア騎兵だ。
「これで良し。では馬にお乗りください」
「……分かった」
珍妙な格好になってしまった恥ずかしさで死にそうだ。目頭が熱い。
それに俺は馬に乗れても馬の上から銃を発砲したことがない。しかも俺の猟銃はレミントンM700である。このような使用は想定されていない。外せば馬上で装弾は出来ないだろう。肉薄するしかない。
「あー! ちっくしょう!! やるしかねえんだろ!? やってやるよ、このやろう!!」
気合を入れた俺は馬を駆けさせた。左手で猟銃を保持し、右手で手綱を引いて、ぐんぐんとベヘモスに接近していく。
風を切って駆け、干し鱈の匂いを漂わせ、ベヘモスの前に躍り出た。
連邦の将が俺を見て叫ぶ。歓喜と驚愕が混じった声だった。
「あれは誰だ!! なぜあの者は干し鱈を背中に背負っているのだ!?」
ちくしょう、やっぱ目立ってやがる……!!
兵士の一人も叫んだ。
「あれはきっと干し鱈の騎士だ! 俺たちを助けにやって来たんだ!」
干し鱈の騎士ってなんだよ! ふざけんな!
俺も心の中で叫んだ。
目の前にいるベヘモスが涎を垂らし、目の色を変えて向きを変える。こちらに接近してきた。巨体の癖に早い。突進する牛ぐらいの速度だ。
「餌が喰いたきゃこっち来いよ!!」
俺は馬を駆けさせベヘモスに肉薄する。ベヘモスの臭い匂いと、干し鱈の匂いが混じるまで接近した。
ズバァーン!!
すれ違いざまに右前脚に一発。命中。ベヘモスの右前脚が凍り地面にくっついた。このまま時計回りに足を凍らせる。手綱を引きながら素早くボルトを引いて排莢と装填を済ませる。
「グゴォォオオウ!!」
ベヘモスが空に向かって咆哮し魔法を放つ。赤い魔法陣が何十と発生し、空から炎球が降り注いだ。
凍った足を溶かすつもりなのか!?
火柱の間を縫うように駆けさせ、右後ろ脚に向けて発砲する。
ズバァーン!!
ベヘモスの右後ろ脚が凍った。
直後にベヘモスの太い尾が、俺を薙ぎ払おうと横に振るわれた。
馬をジャンプさせて躱す。素早くボルトを引いて排莢と装填を済ませる。すぐさま左後ろ脚を目掛けて発砲した。
ズバァーン!!
ベヘモスの左後ろ脚が凍る。
同じように排莢と装填を済ませ、左前脚に向けて発砲した。
ズバァーン!!
左前脚が凍り、ベヘモスが悲鳴を上げる。
もがくベヘモスの横に馬をつけると、排莢と装填を済ませ、両手で猟銃を構える。ベヘモスの心臓に狙いをつけた。
息を整えて――
「グゴォォォォォォォォ!!」
ベヘモスが咆哮を上げると、ベヘモスの体が燃え始めた。タールのような汗を流し、そこから炎が出ている。
「……あ、やべえ、氷が溶けてやがる」
ベヘモスがこちらを睨み、大口を開けた。ベヘモスの口の奥で竜巻のようなものが渦巻いている。驚いている暇はない。
硬い頭蓋骨がある頭は狙いたくなかったが……やるしかない。
「くそったれ!!」
銃口から金色の魔法陣が次々と多重展開した。
ズバァーン!!
魔法陣を通り抜けることで金色の弾丸が加速された。やがてプラズマ弾のようになり、ベヘモスの大きな頭を貫くと大きく溶かした。
俺は魔獣ベヘモスを倒したのだ。
大地に音を立てて倒れたベヘモスを見た兵士が歓声を上げ、俺は腰の力が抜けて落馬した。ラハヤたちがこっちに走り寄る姿が見えたが、俺は疲れたのでそのまま目を閉じ、少し休むことにした。
「うっわ、だっせえ」とか言ったモイモイは後で制裁しよう。そうしよう。
異世界マタギ!! -元陸自の転移猟師が神様食べたら呪われたので解呪するために狩猟しつつ狩りガールと世界を跨ぎます- 瀬戸R @SetoR
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