第22話 百年の恋だって湯冷めする

 帝国南の街シュトガルド。


 その街は近づくに連れ硫黄の匂いがする、まさに温泉の街だった。


 門兵に滞在許可証を見せ街に入る。


 門を抜けると絵葉書のような木組みの家の街並みが見えた。屋根は煉瓦で美しく、通りは整えられた石のタイル。道行く人々は多種多様だ。


「早く宿を見つけて温泉に行きましょう!」


 荷台からモイモイが俺を急かす。


「分かってるから、いい子に座ってなさい」


 馬車を預けることができる高めの宿屋にチェックインした俺たちは、夕暮れ時であったのもあり、近くの温泉に入ることにした。


 この温泉は女湯、男湯、混浴の三つに分かれており、温泉の管理人が言うには混浴は夫婦用とのことだ。


「じゃあ、私たちはこっちだから」


「ああ、また後でな」


「シドーさん、間違っても混浴に入るんじゃありませんよ?」


「入る訳ねえだろ……!」

 

 腹の立つことにモイモイは俺のことを変態だと思っているようだが、混浴は夫婦用と聞かされて入る訳がない。


 ラハヤとモイモイが女湯に入り、俺は男湯に入った。


 意外なことに男湯には俺以外に誰もおらず、広い浴場を独り占めできた。湯からは微かに硫黄の匂いが漂い、別府に旅行した時を思い起こさせる。


 体を洗って湯に入り、一時の幸福感に包まれていると入り口から入ってくる人影が見えた。


 俺と同じく男性だろう。目を閉じて温泉を満喫する。


「シドーもいたのか」


 ……んん?


「ちょっと待て、なんでここにいる!?」


 キセーラが俺の横で湯に浸かっていた。ここは男湯であったはずだ。


「私が見た時は混浴用だったぞ」


「いや、違う、そうじゃない」

 

 夫婦用であるはずの混浴にしれっといるのがおかしい。いつの間にか混浴になっているのも、おかしな話だ。ただでさえ、熱い湯に浸かっているというのに、裸の女が隣では頭に血が上って脳内血管が切れてしまう。


 俺はさっさと出ようと立ち上がる。


「あの、ちょっと、放してくれないか」


 キセーラが俺の腕を掴んで放さない。強引さが怖い。


「こっちを見もしないな。私は一緒に入ったって構わないんだぞ?」


「いや、そう言われても……」


 ――って目、怖っ!!


 横目で見えたキセーラに俺は恐怖した。まず目が危ない。目が潤んでいるのだが焦点が定まっていないのだ。少し口が開いた顔で息も荒い。妙に顔を火照らせて、そわそわと落ち着きがなかった。嬉しい以前に恐怖だ。


 こ、この女やべぇ……。


 この恐怖は肉食獣に狙われる草食獣のそれだ。俺は恐怖の源を本能的に理解し、そっとキセーラの手を振り解いた。


「……あー、じゃあ、ごゆっくり」


「ふふ、恥ずかしがるなんて可愛い奴だ」


 俺は早歩きで風呂から出た。


 着替えながら、何となく近頃感じる視線の主はキセーラではないかと思い始める。どうもここ最近、彼女と良く会う。というより、俺たちが行く先にいるような気がするのだ。


 けれども、彼女は廃砦で共に戦ってくれた頼れる奴だった。彼女がいなければ俺は、もっと痛い目に遭っていたはずであるし、どちらかと言えば恩人だ。やらかしたモイモイとブラックリリーの尻拭いを、黙ってさせてしまった負い目もある。


 彼女が変人だと決めつけるのは早計だ。


「体調が悪いだけ、だよな。多分……」


 着替え終わった俺は扉を開けて廊下に出た。


 男湯と書かれていた扉の前には、清掃中の標識があった。もし、あのまま居たら、ずっと二人きりだったということだ。


 管理人や店の人が間違えたのだろうか、それとも――


「……いや、止《よ)そう、俺の勝手な推測で寝れなくなる」


 キセーラのストーカー疑惑が湧いた次の日。


 その日の朝を俺はモイモイのやらかしたアレを解消するため、一人で商人組合に出向いた。


 宿屋で『この歳でバツイチ……』とか何とかモイモイが抜かしていたが、自業自得である。


 この世界はハンコ文化とサイン文化が同居している。ゴブリンの役人に聞くところによると、やっぱり『古川三郎が偽造しにくいハンコを伝えてくれた』のでゴブリンたちが広めたのが起源であった。


 不正取引防止や詐欺防止に丁度良かったので広まったのだ。


 俺は悪法の穴を突かれて、結婚詐欺めいたことをやられたがな。


 ただ実印に彫られていたのは名前ではなく、代々の家々に伝わる紋章だった。俺の場合はそんなものはないので、鹿の角と銃弾の紋章にしてもらった。実印の作成は魔法で動く機械であっという間だ。銃弾は理解してもらえなかったが、手帳に描いて見せたので問題はなかった。


 こうして俺は婚姻届を見ていない身でありながらバツイチとなる。


 ああ、本気で泣けてくる。この世は無常。俺の春はどこにあるというのだ。


 心を曇らせながら街を散策していると、キセーラが話し掛けて来た。


「シドー、また会ったな」と彼女は嬉しそうだ。


 胸当ての付いた緑の服にスカート、下に黒いスパッツのようなボトムスを着たキセーラも街の散策をしていたようだ。表情も昨日の温泉で会った時のような異常さはない。あれは見間違いだったのか、俺の思い過ごしだったのだろう。


「二人はいないのか?」


「今日ぐらいは一人でぶらっとするのもいいかと思ってな」


「そうか……。なら今日は私と一緒に街を回るのはどうだろう? 丁度私も一人だ」


 太陽に照らされて輝く金髪を揺らして笑うキセーラの笑顔は、俺の傷心を癒してくれる気がした。それに彼女は、ラハヤと違って大人の女性だ。これぞ春なのかもな。


「あー、一緒に回るか? でも何で俺なんかに?」


「シドーは少し自分を過小評価し過ぎるようだ。廃砦でのお前は正しく英雄だった。リッチーを前にして恐れない男を私は知らない。そんな男、シドーが初めてだったよ」


「そう、なのか」


「それほどあのフィリバールと言うリッチーは、挑んでくる冒険者を返り討ちにしていたのさ。それをああも容易く倒してしまうとは、思い出しただけでも笑えるよ」


 面と向かって褒められるのはキャバクラに行った時以来だが、キセーラのはキャバ嬢の嘘くさいのと違って心の底から褒めてくれているようだった。照れくさいが自然と顔がにやける。


「そりゃあ、どうも……」


「なあ、シドー。周りを見ろ、みんな恋人連れだ」


 通りは若いカップルか飼い犬を連れた御婦人ぐらいだった。若いカップルたちは宿屋に入っていったり、宿屋から出て来たりしている。ここはそういう通りなのだろう。


「あ、ああ、確かに多いな」


「なら私たちも手を繋ごう。ほら」


 キセーラは積極的だ。今まで積極的な女性と言えば、資産に目が眩んだ兎獣人のニーカか、借金返済のために俺の報奨金を、結婚詐欺めいた方法で掻っ攫っていったモイモイぐらいのものだった。その積極性は総じて良くない。


「えっと、本当にいいのか?」


「もちろんだ。ほら、こうやって繋ぐんだぞ?」


 キセーラが強引に指を絡めて来た。恋人繋ぎと言う奴だ。少し鼓動が早くなる。


「何だか気まずい……」


「そうだ、シドーに食べてほしいものがあるんだ。昼も近い、そこの腰掛けで休憩しよう」


「お、おう……」


 俺は言われるがままに二人でベンチに座る。少々用意が周到過ぎないかとも思ったが、元の世界で恋人に振られている俺にとっては些細なことだった。


 これぐらいの強引さなら、強引に始まる恋と言うのも中々に良い気がする。


「食べてほしいのはこれなんだが……」


 キセーラが広げたのは、色の濃い肉の生ハムが挟まれたサンドイッチだった。しかも、この世界では高い白パンで挟まれている。


「とても美味そうだけど、何の肉だ?」


「これは馬肉の塩漬けで、パンに挟んでも美味しいはずだ。だから、な? 食べて見てくれないか?」


 上目遣いで説明され、思わず俺は生唾を飲み込んでしまった。


 俺はサンドイッチに手を伸ばす――


 しかし、それを制止する大声が響いた。


「そいつの食べ物は!! 食べてはいけません!!」


 ぎょっとして声の方向を見ると、モイモイとラハヤ、魔狼のクーまでいた。


 ラハヤとモイモイは走って来たのか肩で息をしている。


「どうしたんだ?」


「お兄さん! それは食べちゃダメ!!」


 ラハヤも必死で制止する。食べては駄目とはどういうことだろうか。


「そうは言ったって……」


 俺はサンドイッチを手にすると口に運ぼうとした。


 その時――クーが俺の手からサンドイッチを奪い去る。


「おい、なにしやがる!! この駄魔狼!!」


 クーが地面に落ちたサンドイッチを全て平らげた。そうして、おもむろに立ち上がると犬を連れた御婦人に駆け寄った。


 クーが御婦人の飼い犬に覆い被さる。飼い犬を襲われた御婦人の絶叫が響く。


「イヤャァァァァァァァ!! わたくしの!! わたくしの、ワン、ちゃん、がぁ!!」


 ハ、ハッスルしてるぅぅぅう!?


 クーが腰を一心不乱に振っていた。激しく前後に違法行為だ。


 クーが雄だったのかという素朴な疑問は吹き飛ぶほど、息を荒くしたクーは手当たり次第に飼い犬に襲い掛かっていた。


「うわわわ、どうしよう、お兄さん、あ、あれ……!!」


 両手で口を塞ぎ驚くラハヤ。


「わ、私のクーがド淫乱に!?」我を失ったクーを止めようとモイモイが駆け寄るが、最早クーは制御不能だ。


「お、おいキセーラ……。俺に、な、ななな何喰わせようとしたんだ?」


 キセーラはそっぽを向いて、俺と目を合わせようとしない。


「馬肉って言ってたよな?」


「あー、あー、あれだ、間違えてユニコーンの肉が混入していたようだ。あ、はは……」


「おいお前」


「いやいや、良くある話だ。野草と間違えて毒草を贈ってしまったりとか、混入していたりとか、年に一度ぐらいはある話だ」


 言い訳を宣っているが、キセーラの目が泳いでいる。冷や汗も掻いている。こいつは確信犯的だ。


「その、モイモイさんが本を解読して分かったんだけど、キセーラさんは、お兄さんの、その……」


「そうか! 私の本を拾っていてくれていたみだいだな。礼を言う。さて、その本は誰が持っているのかな?」


 立ち上がって逃げようとするキセーラの肩を俺は掴んだ。


「待て、逃げるな」


「……強引な男は嫌われるぞ?」


「私が説明しましょう!」


 モイモイが高らかにキセーラの本を掲げる。


「おい、モイモイ。その本に何が書かれてあった?」


「そこのエルフがド淫乱であることが書かれてありました」


「全く、この私を淫乱扱いとは……」


「ほう、認めないのならば! 私が今ここで朗読してもよろしいんですよ?」


 どや顔を披露したモイモイ。それを見るキセーラは顔をわななかせていた。


「ふ、ふはははは!! なあ、シドー、そこのモイモイとやらは半分魔族だぞ? だからゲスくて魔力が高いんだ」


「モイモイが半分魔族?」


 そう言えば、自己紹介の時に種族は教えてもらっていない。しかもキセーラの言う通り、モイモイは若干ゲスい。俺はキセーラの肩を放す。


「シドー、分かってくれて嬉しいよ。流石、私の見込んだ男だ」


「お、お兄さん!?」


「いや、だってキセーラの言うこと合ってるだろ?」


 早くもぐぬぬ顔になったモイモイは、杖の石突を地面に打って鳴らした。


「ええ、そこの淫乱エルフの言う通り、私は半分魔族です。証拠はこれになります」


 モイモイがローブを下に下げ胸元を見せた。こいつが下着の上を着けてないことよりも、聖杯を模されたさかづき模様の赤い紋章に驚いた。


「ルキフェルの血筋だな」


「始祖は確かにルキフェルです」キセーラの詰問にモイモイが頷く。


「私、昨日一緒に温泉に入ったけど気が付かなかったよ?」


「大切なラハヤを怖がらせたくなかったので、魔法で隠してました。シドーさんにも見せたのは誠実かつ正直であることの証です」


「そうか……」


「シドーはどちらを信じるんだ? 片方は魔族、片方は神性を持つエルフの私」


 大事(おおごと)になっている。モイモイがいつもやらかしているのは事実だし、キセーラが俺の手助けをしてくれたのも事実だ。判断に困る。


「いや、待てよ? 俺が本を見れば全て片が付くじゃねえか」


 こんな大事にならなくてもいいよな?


「そ、それは困る!」


 俺はモイモイから本を受け取り内容を見た。本の題名は『シドー観察日記』


 そして俺は驚愕した。


 そこには俺のトイレや水浴びの様子が事細かに書かれていただけでなく、俺が荷台で寝ている時に、俺の上で寝るキセーラの様子が日記形式で書かれていた。


 それはストーカーの日記だった。寒気がする。鴨天を食べたのもキセーラだった。このやろう。


「……誰か俺の記憶を消してくれ」


「待ってくれ! 私に説明させてくれないか?」


「何を今更説明することがあるんだ」


 その後のキセーラの弁解はこうだった。


 本国に報告した所、俺が黒魔導士と繋がりがあると疑いを持たれた。


 俺たちの無実を証明するために、俺を観察していた。決して邪まな気持ちでいたのではない。ということらしい。


「それに私が居れば、精霊国に入国できる。あの国はエルフか、エルフの信用を得た者しか入国できない。ラハヤの呪いを解くために手伝える」


「ラハヤの呪いはどうやって知ったんだ?」


「彼女が水浴びしている時に紋章を見た。左の内股。股間のすぐ下だ」


 ……そんなところにあるのか。


 ラハヤが頷いている。事実ではあるようだ。


 キセーラの処遇はどうしたものか、その日の内には決められそうになかった。

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