第21話 追跡者(ストーカー)
その日の夜。
俺はラハヤとモイモイが寝るテントを立てていた。
「お兄さんだけ荷台で寝るの?」
「一緒に寝る訳にはいかないだろ。ラハヤさんやモイモイだって若いんだから自分のことを大事にしないとさ」
「……私は別に」
「ラハヤも早く寝ましょう! 明日だって早いんですから」
「俺も火の後始末をしてさっさと寝るかね」
ラハヤが「うん。じゃあ、また明日ね」と言ってテントの中に入る。
火の後始末をした俺も、荷台で寝ることにした。
大きく伸びをして夜空を見上げる。満点の星空は俺の故郷である北海道に似て美しい。まん丸の月も輝いている。
そんな美しい夜空を見ながら、ふと我に返ってしまった。
……ジムニー大丈夫かなぁ。また俺は世間を騒がしているんだろうか? 親戚の牧場に迷惑かけてなければいいけど。
景色に感嘆していたはずが、元の世界のことを思い出して嘆きだけになってしまう。ここに来てから早くも二ヵ月近く過ぎているのだ。残して来たものを心配するのは無理からぬこと。少し悲しい。
俺は荷物を整えて、寝床を作り仰向けに寝転んだ。
やはりこの世界は思考停止しなければやっていられない。
早く寝てシュトガルトを目指そう。拉致されたと思わずに観光であると言い聞かせれば、少しは気分も安らぐと言うものだ。
深く目を閉じレム睡眠に至る。
『……はぁ、はぁ、はぁぁぁ』
クーだろうか?
荒い吐息が顔に掛かる。これは夢か、それなら、なぜクーが出てくるのだ。あいつはラハヤたちと寝ている。
『……はぁ、くっ、あぁ』
荒い吐息が顔に掛かる。ベルガモットのような柑橘系の香りがした。爽やかな香りだ。
『……く、ふっ、ん、んん、あぁ、はぁ』
荒い吐息が顔、いや口に掛かる。
俺は飛び起きた。周りを確認するが見えるのは荷物だけで誰もいない。時刻は早朝の五時頃だ。朝日が昇り始めている。
荷台から降りて辺りを見る。野盗がいるのなら、この街道は危険だということだ。
テントを覗くが、ラハヤとモイモイはぐっすり寝ていた。彼女たちの間にはクーが寝ている。狼の癖にいいご身分だ。
馬車の馬を見る。馬は既に起きて草を食んでいた。
もう一頭の馬の様子を見ようと裏に回ると、女のエルフが馬を撫でていた。
ショートヘアの金髪で碧眼。背丈はモイモイより高くラハヤより低い。その人物は神聖処女隊を辞めたキセーラ・マクセルだった。
「シドーだったのか。奇遇だな」
キセーラが微笑み挨拶する。いつもながら、軍人めいて凛とした声だ。
「ああ、奇遇だな。廃砦の騒動の後、すぐにいなくなったから、どうしたのかとは思ってた」
俺は驚きつつもキセーラの姿を見て安心していた。
「本国に報告していたんだ。シドーはシュトガルドに向かっているのか?」
「え、ああ。そうだよ。観光街って話だから、まあ、観光も兼ねてだな」
「そうか。実は私もなんだ。シュトガルドはエルフの観光客も多いだろう? だから私も行ってみたくてな」
彼女は冒険がしてみたくなったと言っていた。この世界の冒険は危険が伴う観光のような物だ。
今まで俺が感じたように、新たな発見や体験を喜べる利点もある。ユニコーンの管理などという閉鎖的な職場にいた彼女の目には、全てが新鮮に映っていることだろう。
「では、またな」
「ああ、キセーラも気を付けて」
キセーラは去った。
その日の昼頃である。ラハヤとモイモイが川で水浴びを終えて、俺の番となった。二人が水浴びへ行く時、モイモイに「覗きはダメですからね」と忠告された。もうちょっと胸に脂肪を蓄えてから言えと、俺は言いたい。
そうして桶で川の水をすくって川辺で頭を洗っていると、また鴨天が飛び去った時のような視線がした。誰かにじっと見つめられているような気配だ。
「誰だ? 気のせいか?」
水浴びが終わり、草原で用を足している時も同様の視線を感じた。
穴を掘って用を足した跡に土を被せる。未だに視線を感じるが姿は見えない。
そんな誰かの視線を感じ、三日目の朝を迎える頃には神経質になっていた。
「お兄さん、大丈夫?」
「なんだか見られてる気がするんだよ」
「シドーさんは神経質になっているのでは?」
「俺もそう思いたいけどよぉ……」
「もしくは自意識過剰になっているとかではありませんか?」
この日の朝方にまた顔に掛かる吐息を感じたのだ。しかも、何故か俺の胸がはだけていた。訳が分からない。
「あ、雨が降って来たみたい」
雨だ。しとしとと降る雨が次第に強まっている。
「近くの村に行くか」
「それはいいですね。久しぶりにベッドで寝たいです」
近くの村に行き、保存食と引き換えに村長の家に泊まらせてもらう。
村長に案内され、部屋に向かっているとキセーラの姿があった。雨が急に降って来た時にとる対応は同じ、ということだろうか。キセーラも衣服を濡らしていた。
「あれ? キセーラも避難してるのか?」
「ん? ああ、そうだ。急に雨が降られたからな。ふふ、お前と一緒だ」
首にタオルを掛けるキセーラは、俺を見て笑うと部屋へ戻った。
俺たちもまた、借りた部屋に入る。あの視線の主は一体誰なのだろうか。野盗であるなら気を付けたほうが良いだろう。
「今は考えても仕方ねえか」
その日は村に泊まり、翌日を待つことにした。
村長宅の厨房を借りてラハヤが料理しているというので、僭越ながら俺も手伝うことにした。ラハヤは芋の皮を剥いている。鍋の中を見るに、ポトフのようなスープを作っているようだ。
「お兄さん、手伝ってくれるの?」
「まあ、そりゃね。お礼に村長さんたちの分まで作るなら時間かかるだろうし」
「うん。ありがとう、助かるよ」
野菜を切りながらラハヤと他愛ない談笑をしていた。
俺の過去とか。彼女は俺の自衛隊時代について興味があるようだった。
これは余り面白い話ではない。俺は言葉を濁した。人に話すべきではないのだ。
それでもラハヤは「教えてほしい」と言った。
自衛隊を辞めざるを得なくなったあの時の話は、今でも鮮烈に覚えている。綺麗さっぱり忘れようと思っても、忘れられるようなものではなかった。
「あまり面白い話じゃないよ? 治安の悪い国に派遣されて、車両で巡回してたら助けを求める現地住民がいてさ。見に行ったら現地住民の家族が銃を突きつけられて殺されそうだったんで助けたんだよ。そしたら色々な人に酷く怒られて、居られなくなって辞めたんだ」
本当に偶然、現地住民の処刑現場に出くわしてしまったのだ。安全だと言われていたルートだった。それは突発的な事故のようなものだった。駆け付け警護ではない、あれは駆け付けられ警護だった。
こんな偶然に当たるなら、宝くじにでも当たったほうがマシだ。誰もがそう思っただろう。
「助けたら怒られるの?」
傍から聞けば酷い話に聞こえる。
だが、俺は
素手で行けばまだ良かったはずだ。冗談抜きで。
LAV(ラヴ)に乗った同僚や上官からの罵倒を受けながら、俺は走り現地住民を保護した。
その行為で小規模な交戦に発展させてしまったのは言うまでもない。こちらに損害がなかったのが不幸中の幸いだっただけで、仲間を危険に晒したのは紛れもない事実だ。
罵倒されて殴られて帰国した時には、悪い意味で有名人だった。
銃所持許可が下りたのは、これまた偶然俺の味方になってくれた警官たちが口利きしてくれたからだ。
本来ならば、あのようなことをしでかした俺に下りるはずがない。
起訴されなかったのは、俺のことを泣きながら怒ってくれた上官が裏で助けてくれたからだ。
本来ならば、あのようなことをしでかした俺は起訴されて刑務所にいる。
「ほら、面白くなかっただろ?」
「……お兄さんの国の事情とかは知らないけど。私はお兄さんがどうなっても、お兄さんの味方になりたいって思うよ」
「そっか」
少ししんみりとしてしまった。もしあの時のどん底にいた俺の隣りにラハヤが居てくれたら、ガチで恋をしていただろう。
しかし、現在は色々と吹っ切れている。今では苦い思い出に過ぎず、すっきりと晴れやかであるし反省している。
『辞めてもお前の生き方は変えなくていい』と世話になった上官が言ってくれたから、生き方も変えていない。結局俺という男は何も変わっちゃいないのだ。
ふと背後に視線を感じる。前より強い。刺すような視線だ。
「お兄さん?」
「いや、また背後から視線が……」
「誰もいないよ?」
ラハヤの言う通り背後には誰もいない。気配も消えている。俺の猟銃でも狙っているのだろうか。不気味だ。
「……廃砦から良からぬものでも連れて来ちゃったか?」
怨霊とか悪霊とか。
ラハヤが青ざめる。あの時のことがトラウマになっているのだ。可哀想に。
そして、夜寝る時のことだ。
俺は割り当てられた部屋で寝ようと部屋に向かう。
なのだが、ここ最近の朝方のこともある。ラハヤとモイモイに頼み込んで、一緒の部屋で寝ることを許してもらいに行った。床で寝るからとも言ったのだが。
「男女が同じ部屋で寝る意味、解ってます?」
正座で頼む俺に、モイモイが難色を示した。
「やっぱ、不味い?」
「宿屋であっても別の部屋です。だって、同じ部屋に寝るということは、そういうことをするという意味ですから」
「でも、お兄さんも困ってるみたいだし……」
「ラハヤは甘いですよ。シドーさんが仰るような視線を、私たちは感じなかったのですから。きっと邪まな思いを抱いているに違いありません」
「そ、そうだよな……」
帝都でラハヤのパンツを握っていたのを見られた弊害か。あれだって事故だったんだぞ。
「私がシドーさんの部屋に行って警護をするというのはどうでしょう?」
「いや、やっぱいいわ。俺は一人で寝る」
非常識なことはしないほうがいい。俺は立ち上がって部屋を出ようとした。
その時だ。
ひとりでにスゥっと部屋の扉が開いた。
俺はその場で固まった。何も見えない。見えるのは空気だ。気配だけがする。
ラハヤとモイモイが、お互いに抱き合って震えていた。
「……ゆ、幽霊?」
「ほ、ほんとに何なんですか! 見えない幽霊なんて非常識ですよ!」
……非常識代表なお前が言うな。
「ま、まあ俺は寝るよ。お休み」
俺がラハヤたちの部屋を出ると、ひとりでにスゥっと部屋の扉が閉じた。
俺の部屋までついて来てはいないようだが、念のために猟銃のボルトは外す。銃袋ごと猟銃を紐でベッド裏に固定し、容易に持ち出せないよう厳重にした。
雨も止んだ朝方。
何か重いものが俺に乗っかっている気がした。
金縛りか?
はっと目覚めてぶん殴る。感触はなかったが、明らかに足音がした。続いて部屋の扉が乱暴に開けられた。
「
モイモイが解呪の魔法を唱える。待ち構えていたようだ。
「やったか!?」
「いえ、残念ながら当たってません。ですが、どうやら犯人は魔法を使えるようです」
「魔法を使える犯人か。実はモイモイ?」
「そんな訳がないでしょう!」
「でもなぁ、俺の周りに非常識な奴ってお前だけだし」
「……そこまで言うのなら犯人を探し出して見せましょうか」
「どうやって?」
ラハヤが部屋から出て来た。その手には羊皮紙で作られた本を持っている。
「私たちの部屋にこれが落ちてたんだ。暗号化の魔法が掛けられてて私は解けなかったけど、モイモイさんなら解けると思う」
「頭がアレだが頼りになるんだな。ほんと頭はアレだけど」
「終いには私だって怒りますよ?」
俺たちを追跡する不審人物の本を手に入れた。取り返しに来る犯人を、逆に捕まえてやることも出来る。今まで散々に俺たちを追いかけまわしてくれたツケを払わせる時は近い。その時は頭を一発ぶん殴ろう。
そして、泊めてくれた村長に礼を言うと、馬車を御してシュトガルドを目指した。
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