『青鬼』 二

爪邪転身そうじゃてんしん!!』


 白き月の輝く澄んだ夜空に汚濁し黒々とした毒沼から立ち昇るような瘴気しょうきき上がった。


『あっ、あっ、アアアアアアアアアアアアアッ』


 獣の声が天に響く。

 蝙蝠こうもりの翼を広げた、機兵に数倍する巨躯きょくを有する、異形の虎が姿を現す。


 陰から伸びた剣の影が兵士と子供達に襲い掛かり、機兵があかい炎を宿す右拳を叩き付けた。

 轟音が響き衝撃波が土煙を上げ、火の粉が宙を舞う。


『早く馬車へ』

「すまんっ」


 装甲馬車へと向かう足音を背に、機兵は魔族の前に立ちふさがる。


『アッ、あ―、殺す。ここを見た者は、我らを見た者は、全部殺す』


 腕は異常に太く、両手に生える爪はまるで処刑鎌のよう。

 腰から下に垂れるように揺れるのは、首の無い人の上半身であり、そのゴムのような質感の両手は骨のように白い剣を握っている。


 悪邪あくじゃの力が滲み出した魔族の姿。


『我らが大義の為。我らが理想の為。我らが正しいと思うものの為。そう、だから我らはお前らを殺すのだ』


 濁った硝子玉がらすだまのような虎の目がぐりぐりと動き続ける。


『我らが! 我らが! 祖国の為に! しいたげられてきた我らには! 正当な権利があるのだ!』


 虎が雄叫びを上げる。

 その空虚な響きを、機兵は『みにくい』と小さく吐き捨てた。


―― 思う。


 自分はもう仇を討ってしまった。

 強大な力を持っていた仇を斬れたのは、本当に運が良かっただけだ。


 今も及ばず、もし再び死合う事があれば、しかばねさらすのは自分の方だろう。

 しかしそれでも、もう自分の中の区切りは着いてしまった。

 虎のように荒ぶる程の憎悪はもう、感じない。


 虎の想いを量る事は出来るが、だからといって盗賊と一緒に剣を振るった者に共感できるものなど無い。

 そして虎のように姿をとす事無く生きる者達の為に、虎の側に立つ事など決してありはしない。


 フラレントの民だった者達は、パムで生きていた者達は、魔王軍とならなかった者達は、異邦の地で懸命に今を生きようとしている。


 それを魔王軍は脅かす。

 受け入れてくれた人々の目を、容易たやすく冷たいものへと変えてしまう。


―― 「ああ、所詮しょせんは魔族だったのか」と。


 だから自分は守らなければならない。

 理不尽から、そして過去の亡霊から。

 

 妹と友達、そして同郷の者達の今を。


『お前達は僕が過去へ葬る』

『殺す!』


 機兵の右手が放った朱炎しゅえんが魔族を包み込んだ。

 しかし炎を斬り裂いて魔族の二本の剣が向かって来る。

 両腕がゴムのように伸び、速さは音の速度を超える。


『ぜんぶぜんぶぜんぶ殺す!』


 左右から挟み込むように迫る剣。

 機兵が避ければ背後の馬車に当たる。


 だから機兵は一本の剣を躱すと同時、右手から放った劫火で剣の腹を弾き、炎をまとった左足でもう一つの剣を弾き飛ばした。


『風よ!』


 背部の風錬玉が強いひかりを発し、翡翠色ひすいいろの風の翼が広がる。

 弾丸のように飛び出し虎を間合いの中に捉えた。


『聖霊オリナギの名において 星よ浄化の力を僕に』


 機兵の右手に星の輝きが集まり光の刀となる。


『受けるがいい! 我らフラレントの怨念を!』


 顎門あぎとを開き牙を剥き出した虎が襲い来る。

 虎の両手の、爪と呼ぶには余りにも大きな曲刃が迫る!


 機兵が右手に握る光の刀を振り抜いた。

 細い絹糸のような光の軌跡から、眩い朱色の洸の風が吹いた。


―― 対邪血清残量2%。


 着地した機兵の背後で、地面を打つ音が鳴った。


「ぐ、うう」


 人に戻った森人エルフの男が立ち上がる。

 

「貴様、私から力を消したな。よくも、よくも姫様から与えられた力を消してくれたなあ!!」


 激高した男が右手に氷の剣を生み出す。

 機兵の全身の錬玉核の洸は消え、蒸気を立ち昇らせる体は全く動かない。


「死ねええええええええええ!!」

「馬鹿野郎。無駄な事はするなと言っただろうが」


 男の胸から青い細剣さいけんの剣身が生えていた。


「なん、だと?」


 崩れ落ちた男を一瞥いちべつして、ジョピプスは細剣さいけんを鞘に納めた。


 馬車から駆け寄って来た兵士達がジョピプスに敬礼し、機兵を担ぎ馬車へ戻って行った。


「あと少しだ。首を洗って待っていろ『お姫様』」


 地下の迷宮ラビリンスでジョピプスが屠った魔族は十人。

 その全てが元フラレント王国で近衛騎士団に所属していた者達だった。

 中枢に近い彼らの足跡を調べれば、神出鬼没である新生魔王軍の本拠地を見付ける事が出来るかもしれない。

 そして何より、今回は処分される直前だった機密書類を幾つか手にする事が出来た。


 ジョピプスも馬車に乗り込んだ。

 軍用の大型馬に引かれ、装甲馬車が走り出す。

 後ろ窓から見ると、廃村は遠くなっていた。


 ジョピプスは右手に柑子色こうじいろの光の玉を生み出し、それを廃村に向けて放った。


 着弾した瞬間、巨大な光の柱が天を突いた。

 柑子色こうじいろの輝きが収まった後に廃村の姿は無く、深い暗黒を湛える、大穴の姿があった。


* * *


 後日、廃村から助け出された者達は家族の元へ戻って行った。


「あああライモンド! ライモンド!!」

「お母様ただいま。ご心配をお掛けしました」


 ある公爵家の屋敷で、治療を終えた少年が家族との再会を果たしていた。


「話は聞いた。魔族に屈さず立派だったぞ我が息子」

「ありがとうございますお父様」


 元々この公爵家はフラレント王国に対して、魔族になってしまった者達に対して同情的だった。


 だが今は。


「お父様」

「何だ?」


 ライモンドは父である公爵と目を合わせた。

 父は親としての顔ではなく、一人の大貴族としてライモンドの言葉を待っていた。


「我が家は旧フラレント王国の者達に対して温情を掛け、また接していました。しかし今回の事でそれが間違いだと気付きました」


 この場所にいる誰もがそれに頷いた。


「魔族は滅ぼすべき存在です。聖霊の祝福を受けしこの世界に、あのけがれし者達はあってはならないのです」

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