間章 わらう女

娘と母

~ 統合暦二三〇二年二月八日 一七時 ~


 ベルパスパ王国王都パスパグロンよりパスパ川を遠く下ったある支流の終わりに、大きな中州の島があった。

 そこには赤色の巨大な塔を中心にした、ベルパスパ王国最悪の犯罪者達が収容される、監獄が建てられていた。


 監獄を囲む川の水の中には数多の凶悪な魔獣が生息し、また空にも獰猛な巨躯の肉食鳥達が翼をはためかせる。


 北から吹く風は濃い自然魔力を含み、度々発生する魔力嵐が魔法による飛行や転移を阻害する。

 

 腕に覚えのある猛者でも近付く事を躊躇うこの監獄に、蒼い翼を広げた一機の戦闘装甲ゴーレムが降り立った。


 看守や兵士が見守る中、ゴーレムの胸部装甲が開く。

 その奥から宙に身を踊らせた少女が、軽やかな着地を決めた。


 その様子を見たこの監獄の典獄である【眠りの盾 ドースバン・カーニム】は内心の警戒度を一つ上げた。


「すまんなドースバン、無理を言って」

「お前の頼みならば構わん。気にするな」


 続いて地面に降り立った巨漢、ベルパスパ王国市民議会軍大佐【閃光のマックス・パワー】が抱えていたもう一人の少女を下ろし、ドースバンと握手を交わした。


「眠りの盾様、この度は私の願いをお聞き頂きありがとうございます」


 先に降り立った少女が礼を述べた。


「君がペローネ・パムか」

「はい」


 非常に整った容姿の十代前半の少女。

 しかし見る事の出来る肌には万遍なく治り切っていない無数の傷が刻まれており、蒼い瞳の奥に潜む鋭い光は『ただの少女』が持つようなものではなかった。


「彼女は私の従者スキーラです」

「【スキーラ・アマート】と申します。どうぞお見知りおきを」


 ペローネに紹介されたもう一人の少女が頭を下げた。


「来い。案内してやる」


 ドースバンが響かせる軍靴の音にペローネ達が続いた。


* * *


 この監獄の正式名称は『オルファーノ監獄』だが、一般には『赤蝋燭監獄島あかろうそくかんごくとう』という名の方が良く知られている。

 凶悪犯達が収監されその命を終える場所として、或いはゴシップから創作物の舞台として。

 ベルパスパ王国の子供達は両親から叱られた時に、「悪い子は赤蝋燭監獄島に入れてやる」とよく言われる。

 

 劇や絵本に描かれている、薄暗い空の下にある孤島の石造りの建物、暗く冷たい空気の中に犇めく多くの悪人達。

 食人鬼ビーパッパ、血の塗装工ヅヌック、標本職人カロビナンスなどに襲われる空想に恐怖するのは、誰しもが通る道である。


「静かな場所ですね」

「そうだな。期待外れだったかね?」

 

 清掃の行き届いた敷地内には石ころ一つ落ちていない。しかしまるで無人であるかのように、ドースバン達の他は人影一つ見当たらない。


 綺麗に保たれたままに時が過ぎる廃墟のようであり、『悪い子が送られる赤蝋燭監獄島』のイメージと、現実のオルファーノ監獄は随分と違うもののようであった。

 

「……いえ」


 ドースバンの耳に、とても小さなペローネの声が聞こえた。


「六人、でしょうか。彼らだけでここはとても怖い場所だと思います」

「そうか」

 

 この監獄にの数を言い当てられた事に驚き、ドースバンはペローネの警戒度をもう一つ上げた。

 顔の表情は年季の入った鉄皮面を保ちながらペローネとの会話を続ける。


「君はその年で随分と鍛えているようだ。子供にしては、いや、大人の兵士と比べても全く遜色が無いように見える」

「ありがとうございます。でも、私などまだまだです」


 ドースバンの背後から聞こえた声は自身に満ちたものであった。だがその奥には、揺らぐ何かがあるようにドースバンは感じた。


 人影一つ無い廊下を進み中央の広場へと出た。

 血のような赤い壁を空へと伸ばす中央塔の扉を開け、螺旋の階段を上って行く。


 窓から差す灰色の空の光を浴びながら進み続ける。

 二〇階の扉を開け、その次の隔壁を開ける。

 最低限の家具だけがある部屋の中、そこに置かれた寝台に一人の女が寝かされていた。


 魔王となった男の娘であり、魔王軍の将軍の一人でもあった女【ノイノ・パム】。

 

 モルベロチェ号事件の後に密告があり、新生魔王軍への関与が疑われて拘束された。

 パム事件で心を病んでいた彼女は王立病院に入院していたが、捜査官によって強制的に軍施設へと移され、尋問中に意識不明となったという。

 そして万が一の逃亡を恐れた一部貴族や官僚達により、このオルファーノ監獄へ収監される流れとなった。


「母さん、来たよ」


 ペローネが横たわるノイノに語り掛けた。

 青白い相貌は命の熱を感じさせず、微かに続く呼吸だけが、彼女がまだ死んでいない事を伝えて来る。


「兄さんも来たがってたんだけどね、駄目だって言われちゃった」


 ペローネの兄であるルルヴァは真玉より生み出された最強の精霊武器の一つ、【飛燕王】の主となった。

 パム事件で彼の聖典騎士【清浄の刃 オヌルス・アムン】を討ち、においてもトルエルテ王国の英雄【氷界剣 ヘルガ・ニルラ】を倒している。

 結果、ルルヴァは危険視された。

 外は元よりベルパスパ王国内からも。


 ルルヴァの最大の味方である星の聖女【蛇王角 リクス・リーシェルト】は今、実家であるリーシェルト公爵家に謹慎させられている。

 パム事件で聖典騎士と敵対した件を、聖地が問題視した為だ。

 公爵家及び王政府との折衝が続いており、近く聖地から枢機卿が来訪するとの事だ。


 魔王であった者の血を継いでいる事に複雑な政治状況も加わり、現在ルルヴァには王政府によって行動の制約が課されている。


「兄さんも、他の皆も元気にしてるよ。スキーラとユーリーは王都の学院に入ったし、ジルルクは猿神楽さんの弟子になったって。私もエトパシア様とパーナク兄様のお陰で、来月から王都の学院に入れるんだよ」


 王立学院はペローネの入学を拒否していた。

 しかしペローネは入学の意志を強く訴え続け、後見人のエトパシアの働きもあり、ようやく学院の門を潜る事を許されたのだった。


 そして元パムの住人達も、究極大臣【荒野のウーナルポンパ】の差配によって、新しい生活へと歩き出していた。


「何も心配しなくて大丈夫。父さんと母さんの代わりに、私と兄さんが皆を守れるようになるから。だからゆっくり、ゆっくりと休んでいてね」


 震える声の後に右袖で目元を擦り、ペローネが振り向いた。


「今日は本当にありがとうございました」

「もういいのか?」

「はい。大丈夫です。これ以上は母が心配しますから」


 目元には涙の跡があったが、その目は前を向き澄んだ輝きを放っていた。


 こんな若過ぎる、いや幼い少女が生き急ぐ様子は、冷徹な顔をする事に慣れたドースバンにとっても思う所のあるものであった。

 しかし心配したとして、またそれを言葉にしたとして、結果はただペローネの邪魔になるだけだという事は弁えていた。

 

 彼女は止まれない、いや、止まる事が出来ないのだろう。

 元パムの住人だった者達が寄せる期待と希望が、その小さな背中にはあるのだろう。


 中央塔を下り、飛行場へと戻る。

 帰り道はマックスと他愛のない話をするだけだった。


「じゃあなドースバン」

「ああ。あいつにもよろしく言っておいてくれ」

「おう! また今度王都に来る事があったら言ってくれ。良い店を発見したんだぜ」


 戦闘装甲ゴーレムの胸部が閉じていく。

 蒼い翼を広げ浮き上がった機兵はすぐに彼方へと去って行った。


「ああ、行き違いだったか」


 背後から聞こえた機械のような平坦な声。

 振り向いたドースバンの前に、灰色のコートを着た白髪の男が立っていた。


「何の用だジョピプス捜査官」

「影将軍のガキの片割れが来ると聞いてな。上手く使えば何か反応を引き出せると考えたんだが、ちっ」

 

 ジョピプスは舌打ちして灰色の空の彼方を睨んだ。


「彼女を利用する事を俺が許すと思うか?」

「思わないな、ツンデレの典獄さん。だから手間暇掛けてここに来たんだ。ノイノ・パムとペローネ・パムが会した瞬間を狙ったんだが、いやいや、流石は名高きオルファーノ監獄。スタッフも皆優秀だ。手続きに時間を取られて間に合わなかったよ」


 ジョピプスはコートのポケットから出した許可証を掲げ、握り潰して放り捨てた。


「侯爵や議員に無理を言ったんだがな。まあいい。個別に当たるとするか」


 乾いた茶色の目が笑みに歪んだ。


「ここに来るべき者を貴殿がどうしようと関知しないし、そもそも私の職分ではない。だがな、【騎士 ジョピプス・キーソード】。友の家族を陥れる積りならば私は黙ってはいない」

「く、くっくっく、あ――はっはっは。本当に揃いも揃って、バカだよなあ手前テメエらは」


 ジョピプスがきびすを返した。

 左腰に吊るされた精霊武器である細剣が揺れる。


「知るかよ。あるべき者をあるべき場所へ、それが俺の仕事だ。それを邪魔するならぶっ殺す。誰であろうとな」

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