エピローグ:故郷の日々は遠くへと

~ 統合暦二三〇一年十二月五日 ~

~ ベルパスパ王国・ロカーナ州・ペルカ ~


―― ピィッ。


 開いた視界は見慣れぬ天井を映した。


「……そうか、ここはパムじゃなかったんだ」


 体を起こしたルルヴァは着替え、棚の上に置いていた鋼の刀を握り外へ出る。


 清冽な朝の光と、冷たい風がルルヴァに吹き付ける。

 草が刈り取られたばかりの広場に立ち、刀を振り被り、打ち下ろす。


 甲高い笛のような風切り音が響く。

 十を超え、百を超え、千を超えて振り続ける。


 ルルヴァの朱い瞳が視るのは、黒衣の騎士オヌルス・アムンの幻影。


 幻影のオヌルスの聖銀の剣はルルヴァの刀より速く、技も鋭い。


 上段の打ち下ろしが下段から襲い来た聖銀の剣に弾かれ、斬られた。

 渾身の刺突は刀身を巻き上げられ、無手となった状態を斬られた。


 刀を振り上げて生へと戻り、刀を振り下ろす度に幻のオヌルスに斬られて死んだ。


「ハアアッ!!」


 幻の剣に心臓を貫かれ、なお踏み込んだ袈裟斬りの一閃は空を斬った。


「ッかはっ、はぁ、はぁ、はぁ」


 分かたれた風がルルヴァの左右を去って行く。

 聖銀の剣を鞘に納めたオヌルスは、『くふふふ』と笑い声を残し消えていった。


 ルルヴァは刀を鞘に納めた。

 空から舞い降りた青い燕がルルヴァの肩に止まった。


「僕は強くなれるんだろうか。皆を守れる位に、あいつに勝てる位に」

『ピィ』


 その鳴き声は肯定のようにも否定のようにも聞こえた。


「あ、兄さん」

「ペローネ。おはよう」


「うん、おはよう」


 傷だらけの顔で、にっこりとペローネが笑う。

 髪は短く切り詰められ、背には魔導剣【千軍】の姿があった。


「少し付き合ってくれる?」

「いいよ」


 ペローネが千軍の柄を握った。

 鎖で拘束された鞘が震え出し、禍々しい魔力を放ち始める。


 ルルヴァは刀を中段に構えた。

 全力で魔力を注いだ刀身が、朱色の洸に染まる。


「ねえ兄さん、飛燕王は抜かないの?」

「うん」


「そっか」


 ペローネの蒼い目が細まる。


「行くよ兄さん」

「来いペローネ」


 ペローネが千軍を抜いた瞬間、鞘が黒鉄の光沢を持つ大鮫となって飛び出した。


『ギイイイイイイッ』

「はっ!」


 ルルヴァは刀の右腹で流そうとするが、大鮫の圧倒的な力に引きずられてしまう。


 刃がきしむ。

 大鮫の目がうなる。

 

 渾身の力で刀身の傾きを操り、辛うじて大鮫の突撃を流し切った。

 だがルルヴァの態勢は大きく崩れ、刀身の朱の洸が消えた。


「りゃあああ!」


 ペローネの大剣が迫る。

 

 ルルヴァは左手を放し、刀の切先に魔力を集中させる。

 傾いた姿勢のまま、大剣の刃が届く前に、右手一本の突きを大剣の鍔元へ放った。


「このっ」


 大剣がわずかに浮いた。

 ペローネから鉄色の魔力洸が噴き上がった。


「程度で!!」


 出鱈目でたらめな出力の強化魔法で大剣が押し込まれた。

 刀が剣風の中で砕け散る。


 着地を決めたルルヴァの目の前の地面に、大きな亀裂が刻まれていた。


「何、その暴れ牛のような強化魔法」


 猛り狂う炎の如く、まるで使用者のペローネ自身を燃やし尽くすかのように魔力が流れている。


 洗練という言葉の対極。

 稚拙ちせつを突き破り、技巧を嘲笑あざわらうような魔法の使い方。


 父イスカルも、母ノイノも、或いはパムで魔法の使い方に長けた者達も、今のペローネの魔法を見たら怒っただろうなとルルヴァは思った。


「誰に教わったの、それ」


―― だけど眩しい。


「秘密。私を倒せたら教えてあげるよ」


 ペローネが不敵に笑う。

 ルルヴァが初めて見た、妹の表情かおだった。


「来い、飛燕王」


 ルルヴァが左手で風を掴むと、風は一振りの刀へと変わった。

 右手で柄を握り、刃を抜いた。


「ペローネ。全力で行くよ」

「そうなくっちゃ」

 

 ルルヴァは右足を下げ、穏やかな洸を帯びる翡翠色の刀身を体の後ろに回す。

 その脇構えに対して、ペローネは両手に握った大剣を、右肩に担ぐようにして構えた。


 ルルヴァが摺足すりあしで僅かに立ち位置を変えるのに対し、ペローネは一歩ずつ位置を変えていく。


 ルルヴァの目はペローネのすきを何度も捉え、そしてその全てを見逃した。


(やりにくいな)


 地面の下には大鮫がいる。

 もしルルヴァが先に踏み込めば、大鮫が顎門あぎとを開いて襲い掛かって来るだろう。


 その瞬間、大鮫を飛燕王で斬ればペローネの大剣を防げず。

 ペローネの大剣へ飛燕王を向ければ、大鮫の牙を防げない。

 

 最善手はカウンターだとルルヴァは考える。


(それをペローネもわかっている)


 だから敢えて隙だらけの動きをし、誘いを掛けているのだろう。


(ペローネの強化魔法は長くは持たない。だから時間が経てば、必然として僕が勝つ)


 お互いの立ち位置は最初から大分変った。

 半周程歩いたペローネは、昇って来た太陽を背に立っている。


「このまま何もしなければ僕が勝つ」

「そうだね。私の強化魔法はあと一分も持たない。まだまだ修行中でさ、もう少し形になってから挑戦した方が良かったかな?」


―― 誘いだ。


「でもさ、私も結構いけたと思わない? 兄さんに飛燕王を振らせなかったんだからさ。あれ、これってさ、実質私の勝ちじゃない? 試合に負けて勝負に勝つってやつ」


―― そうだな。


「ペローネ。お前は勘違いしている」

「何を?」


 最善手はカウンターだ。

 でもそれは。


―― 僕が飛燕王を抑えていたらの話だ。


「飛燕王」


 翡翠色の刀身から嵐が噴き上がった。


「!?」


 踏み込んだ一歩は神速となった。


 地面から現れた大鮫が顎門あぎとを閉じる前に。

 ペローネが大剣を振り下ろす前に。

 

 ルルヴァが振り抜いた飛燕王の切先が太陽をした。


 翡翠色の烈風が彼方の森の木々を揺らした。


「僕の勝ちだ」


 ルルヴァは振り返り、飛燕王を鞘に納めた。

 離れた場所で、空から落ちて来た大剣が地面に突き刺さった。


「私の負け! あ――悔しい!」


 ペローネは空に叫んで、大剣を地面から引き抜いた。

 両断された大鮫が粒子となって剣身に纏わり付き、大鮫の姿を模した鞘となった。


「兄さん私は王になる」


 千軍を背負ったペローネがルルヴァを向いた。


「それで私が皆を守る! 兄さんも私が守る!」

「うん。僕もペローネと皆を守る」


 まだこの言葉を成す力はない。


 黒衣の剣士にはまだ遠く及ばない。

 飛燕王もまだ使いこなせてはいない。


 だが、必ずだ。


「あ、忘れてた。朝ご飯もうできるから、兄さんを呼んで来るよう言われてたんだった」


 遠くからルルヴァとペローネを呼ぶ声が聞こえる。


「ねえ兄さん。王都では別の学校になるけど、時々は遊びに行くね」

「うん、楽しみにしている」


「兄さんは会いに来てくれないの?」

「そんなわけないだろ。僕も時々は会いに行くさ」


「よかった!」


 手を繋いだ。

 ペローネの手はもう子供の手ではなかった。

 戦士の手になっていた。


「さあ行こうか」

「うん!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る