夜の風の中で 二

 月の白い光と、鏡のような水面の広がる世界だった。

 境界の彼方へと、みんなが去って逝く。


 ルルヴァはただそれを眺める。見送る。


 彼らはルルヴァを見ない。

 彼らはもう姿を持たない。


『ごめんね、先に行くよ』


 幼馴染ジュリアの声が聞こえた。


 ルルヴァは両手の拳を強く握って頷いた。


『ま、後はお前らに任せるわ。見ててやるからよ』

「……うん」


 親友ラウルの右拳に、自身の右拳を合わせた。


「必ず」


 ラウル達もまた彼方へ逝った。


「僕が」


 ……。


 ……。


 光が見えた。

 体を起こすと、寝台の横の椅子で眠る、リクスの姿があった。


「ありがとう」


 リクス抱え、そっと寝台に横たえる。


「えへへ~。ルルヴァ君~」


 呼ばれたのは、夢の世界の自分なのだろう。

 瞼を閉じたまま幸せそうな笑みを浮かべるリクスに、毛布を掛けて、ルルヴァは部屋の外へと出た。


 照明の点いた廊下。

 窓からの見えるのは、夜の雲海。


 遠くから微かに響く笛の音に誘われて、ルルヴァは一人歩を進める。


 肩に青い燕が止まった。

 

 途中ですれ違う者達は、兵士も含めて、誰もルルヴァに気付かない。


 飛行戦艦の甲板へ続く扉は解錠されていた。


「……」


 白き月。

 無数の星々。


 結界の外に広がる闇夜を背にして、一人の男が竹製の横笛、篠笛しのぶえを奏でている。


 立つ音は魔的。流れるのは鎮魂の調べ。


「来たか」


 笛から口を放し、男がルルヴァを睨む。

 狩衣かりぎぬを纏う白髪黒目の容貌かお


 燕が男の上を嬉しそうに飛び、そしてまたルルヴァの肩へと戻った。


「主を得たか。本来ならばおめでとうと言ってやりたいところだが」


 跳躍、そしてルルヴァの目の前に立つ。


「こんな未熟なガキではな。飛燕王の力に振り回されて自滅するのがオチだ」

「そうですね」


「返すならばこれが最後の機会だぞ?」


 ルルヴァが笑う。


「初めて精霊武器を使いました。父さんや叔母さんが使うのを見て凄いことは知っていました。ですが実際に握ってみて、ああ、全く知らなかったんだなと思いました」


 力も、使い方も。


「オヌルスに勝てたのは飛燕王のおかげです。飛燕王が僕を慮ってくれたから、剣を振るうことができたんです。使ったとは、ええ、とても言えたものじゃありませんでした」


 くすくすと、闇の風と戯れるように笑う。

 心の底から、生き残ったことが可笑しかったと。

 少年の、いや、人の笑みと呼ぶには余りにも妖艶で魔性。


 目を見開き、息を呑んだのは男だった。


「僕は守ると誓いました。だから強くなりたいと思います。剣も、魔法も」


 月明かりに陰が差したと見えたのは、男の錯覚であっただろうか。

 

「ですから教えてください」

「……何をだ?」


「飛燕王の使い方、戦い方を」

「………………何で俺が?」


「だってあなたが」


 夜の花を見た。


「飛燕王のお父さんでしょ?」


 澄み渡る朱の瞳は全てを見通すように、ただ清く。

 幽玄と呼ぶか、何と言うか。


 脅して覚悟を問うつもりが、全くあべこべになってしまったと男は思う。


「ちっ。とんでも無いガキだ」


 燕の鳴き声がまた嬉しそうだ。

 自分の生みの親の性分は分かっている。

 何と成れば、偽悪を気取るのは不器用な性分だからだ。


「【猿神楽さるかぐら】だ。生れ名は教えねえ」


 異名は自ら付ける生き方の宣誓。

 生まれ名は親や他者より授かる願いであり、人の世の姿。


 つまり男はルルヴァに人の世では会わず、人の姿は隠すと告げた。


「よろしくお願いします」


 これだけは少年らしく、ルルヴァはぺこりと頭を下げた。


「聞かないのか?」


 俺が誰かを。


「どうしてですか?」


 そのルルヴァの答えで猿神楽も理解した。


「あ―くそ、後で教えろと言っても聞かないからな!!」

「はい?」


 ルルヴァが首を傾げると、長い瑠璃色の髪が柔らかく揺れた。

 その仕草一つがまた、傾国もかくやと猿神楽は思い、「うがあ―――!!」と叫んで地団太を踏んだ。


「もういい、くそ、あああったく。おい! そこに隠れているバカ四人!!」


 甲板への扉の影で気配が揺れた。


「出て来い。分かってるから。ペローネと他のガキ三人!」


 ペローネが堂々と、スキーラが彼女に従うように。

 飄々とジルルクが続き、怯えるようにユーリーが一番後ろを付いていく。


「聞いてたな。どうしたい?」


 ペローネが、スキーラが、ジルルクが、ユーリーが覚悟を口にする。


―― 強くなりたい、と。


「分かった。よ―く解かった」


 猿神楽は天を仰ぐ。

 月の灯りと星の輝き。

 運命何てものは見えやしない。


 だが、ここは確かに運命の分岐点だった。


 ルルヴァ、ペローネ、スキーラ、ジルルク、ユーリー。

 彼らの目の奥には才能の光が見える。


 猿神楽がやはり否と突き付ければ、彼らは別の誰かを師と仰ぎ、鍛錬を積み、何れは才能を開花させるかもしれない。


 至極真っ当に生きて、人としての生涯を終えるかもしれない。

 

 だが、彼らの望む場所は、それでは決して届きはしないことを猿神楽は知っていた。


―― 地戒将軍ガイアジェネラル ロー・アトラス。


 ルルヴァ達が望む『力』は、白き巨人が佇む戦場にあるものだ。


 『人』がその場に足を踏み入れようものならば、待っているのは破滅でしかない。


「面倒を見てやる。だが付いてこれずにくたばっても知らねえぞ」


 ルルヴァ達が頷いた。


 だから猿神楽は見せることにした。


「出ろブルー・クラーケン」

「「!?」」


 光学迷彩の偽装を解き、夜の闇に竜の翼が広がった。

 月と星々の輝きを受けて青を放つ装甲を纏う巨人が佇み、ルルヴァ達を睥睨する。


 その神秘的な美しき姿はしかし、内包する絶大な力の存在、その圧倒的な気配の波動が、見る者達へ空想の中に存在する終焉を司る怪物の姿を幻視させる。


―― 運命ドゥーム巧式フォーミュラー


 ロー・アトラスと同格の将軍級の機兵。


―― 深海将軍アビスジェネラル ブルー・クラーケン。


 猿神楽はルルヴァ達の目を見た。

 誰もが畏怖し、だが大小はあれど、渇望の輝きが瞳の奥にあった。


「王都の統治省にいる【荒野のウーナルポンパ】を訪ねろ」


 猿神楽が光の粒子となり、ブルー・クラーケンの中へと消えた。


「じゃあな」


 青き巨人が浮き上がり、閃光となって星空の向こうへ去って行った。


「あ、光が」


 彼方から。

 それは太陽の光だった。


 遠くの向こうに、遥か天空へ聳える山脈の影が見える。

 稜線から金の太陽がゆっくりと、その姿を現していく。


 夜が明けていく。

 その朱く染まる世界の光に洗われるように、少年少女達は目を瞑る。

 ペローネが、スキーラが、ジルルクが、ユーリーが。


 そしてルルヴァが目を開く。


 黎明の世界の中に、故郷パムから遠く、遠く離れた大地の姿が照らし出されていった。


 


 



 



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