黎明の時 一

~ リーシェルト公爵家宿営・仮設病棟一号・手術室 ~


「ルルヴァ君お願い」

「はい」


 手術台に横たわる少年にルルヴァは治療魔法を発動させた。

 

 一分。


 苦痛に泣き叫んでいた少年が意識を失ったが、呼吸はとても穏やかなものになった。


「お疲れ。まだいける?」

「はい! 大丈夫です!」


 エプスナの声に応えるルルヴァの顔には、はっきりと疲労の色が出ていた。


「先生お願いします! 傷の中に異常魔力体ありです!」

「了解」


 エプスナが魔法を掛けて少年の意識を封印し、刃の無い尖刃の柄を握る。


「いくよ」

「はい」


 尖刃に魔力刃が形成され、少年の皮ふを鋭利に切り裂いていく。


 肉体の再生に関わるもの以外ならば、属性拒絶が起こる事は殆どない。

 仮にあったとしても、それは天文学的に低い確率でしかない。


「っ、あったか」


 エプスナが切り開いた肉の中に野球ボール程の大きさの、脈動する金属球が姿を現した。


「属性適性は火と土、そして光か。ルルヴァ君お願い」

「はい」


 ルルヴァは左手で少年に魔力を送りながら、右手に持つ皇金の針で金属球を刺した。


『ピィイ!?』


 金属球の表面に節足が現れ、それが少年の肉に突き立とうとする。

 しかしそれが彼に触れた瞬間、魔力の洸が弾け、節足は蒸発してしまった。


『ピィイ!!』


 そのすぐ後には金属球も蒸発し、エプスナが洗浄、ルルヴァが魔法によって傷を治した。


「本当に何でもありね。よりにもよって『むしの矢』なんて、今日日マフィアでも使わないわよ」

「……」


 特殊な人造生命体を寄生させて、宿主を錬金術的に変質させる魔導兵器『蟲の矢』。


 あまりの外道ということもあるが、使い手からの魔力供給が途絶えると、途端に蟲は休眠するという性質を持つ。


「ル、ルルヴァ?」

「うん」


 目を開けた少年の頭をルルヴァが撫でる。

 それに安心して、少年はすぐにまた瞼を閉じて、安らかな寝息を立てた。


「エプスナ先生お願いします! 呪詛汚染じゅそおせんが中度の女性です!」


「本当にアッパネンの外道どもは!!」

「……」


 エプスナは魔力生成剤を一気に飲み干し、連なる空瓶の横に置いた。


「あと少しで軍の応援が来るわ」

「……はい」


 呟く様に告げられた言葉に、ルルヴァはそれと分からない程に小さく頷いた。


* * *


 目を開けると薄暗い中に天幕の天井が見えた。


「誰かが運んでくれたのかな?」


 倒れるように椅子に座り込んだ後の記憶がルルヴァには無い。


 テーブルの置時計の針は丁度一時を指していた。


 起き上がり寝間着のまま外へ出る。


 銀の太陽が空に輝き、パスパ山脈の稜線には金の太陽の姿が見えた。


 兵士達が宿営の中を慌ただしく動き回っている。

 幾人かと目が合ったが、彼らはルルヴァに構う事なく、すぐに自分達の仕事へと視線を戻した。


「……」


 ルルヴァは疲労でぼんやりする頭のまま、歩を進める。

 ノイノとペローネの魔力の波動を感じ、それを頼りにゆっくりと歩いていく。


(結界?)


 対象を認識の外に置く効果を持つ、非常に高度な結界魔法が天幕を覆っていた。


 思考は上手く働かず、そのまま天幕の中へと入っていった。


「!?」


 背を向けた黒衣の姿があった。

 剣を背負い、柄には手が掛けられていた。


 その先の寝台には目を閉じて横たわる母の姿!!


「ああああああ!」


 瞬時に氷の刀を創造。

 両手に握り刃を黒衣の、女へと振り下ろす。


 長い黒髪を揺らし、女が振り返る。


 エルフの耳の先で、蒼い瞳が見えた。


「火よ!!」


 刃が女に届く前に、ルルヴァは魔法で氷の刀を自分の両手ごと、猛火で包んだ。


「はぁ、はぁ、はぁ」


 女を斬る前に氷の刀は蒸発したが、ルルヴァの両手は酷い火傷を負った。


「どうして私を斬らなかったのかしら?」

「あなたが母を斬るつもりがなかったからです」

「そんな事ないわ。私はこの女を斬ろうと思ったもの」

「ただ思っていただけですよね? 斬ろうと、殺そうとする人の目は、あなたのように優しく、強いものじゃない」


 女はそれに何も答えなかった。

 ノイノの寝台から離れ、ルルヴァの横を通り過ぎ、入口の前で「ゼブ」と言った。


「はいエトパシア様」


 影の中から割烹着姿の少女が歩み出て来た。

 そこに彼女が居た事に、ルルヴァは全く気付いていなかった。


「っ」


 強者の気配も強い魔力もゼブという少女からは感じられない。

 だからこそ、この茶目っ気のある笑みを浮かべる彼女は不気味であり、得体が知れなかった。


「はいはい少年、手を出してくださいね~」

「っ」


 ゼブに両手を取られたと知覚した瞬間には、彼女の魔法は発動していた。

 そしてルルヴァが距離を取ろうと思った時には、両手は完全に治っていた。


「それではお邪魔しました~」


 トテトテとゼブがエトパシアの横へといき、天幕の扉を開けた。


 しかしエトパシアは逆にルルヴァの方へと歩を進めた。


 朱い眼を、頭一つ高い場所から蒼い眼が睨む。


「あ、あの~エトパシア様? あまり騒ぎを大きくするとウーナルポンパ様が」

「あげる」


 エトパシアは背負っていた剣をルルヴァへ渡した。


「え?」

「えええええええええええっ!?」


 困惑したルルヴァの声と、天幕を揺るがす程のゼブの絶叫。


 それをエトパシアは一顧だにせず、颯爽と天幕の外へ去っていき、ゼブも大慌てで彼女の後を追い掛けていった。


「?」


 何が起きたのか理解できずに呆然として。ルルヴァの頭の再起動が完了したのは、たっぷり十秒が経ってからだった。


「刀?」


 ルルヴァの腕の中に、一振りの刀が残された。


 柄は青く、またつばも青い。


 そしてさやには空を舞う青い燕の姿が、見事なまでの美しさで描かれていた。

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