黒騎士

 その平坦な声へ、ルルヴァが振り向いた。

 暗闇を背にして立つ、黒き全身鎧を纏った九人の騎士達の姿があった。

 

「お、お前達は」


 その姿、その禍々しい気配。

 もう決して忘れることはできない、悪夢の化身。

 ルルヴァの故郷を壊して大切な人達を殺した、絶対の敵。

 

「さて。不運にも不浄なる魔王の血を受けついで生まれてしまった汚物達よ」

 

 騎士達が剣を抜き、槍を構える。

 

「ペローネ、母さんを頼む」

「に、兄さん」


 ノイノを背に庇うペローネが結界を張り、ルルヴァが氷の剣を中段に構える。


 魔獣と対峙した時と同じだが、しかしルルヴァの手は、どうしようもなく震えていた。


 先頭に立つ、聖銀の剣を握る騎士が、切先をルルヴァへ向けた

 

「世界の平和と秩序の為に、死ね」

「っ!」


 完全に恐怖に呑まれてしまう前に、ルルヴァは自ら踏込み、全力の刺突を騎士へと放った。


 青い氷の鋭い刃が風を切り、騎士の鳩尾を狙う。


 しかしルルヴァの全力を騎士の聖銀の剣は簡単に受け、難なく止めてしまった。


 黒い面頬めんぼおの奥には闇が覗く。

 ルルヴァはこの騎士に近付く程に、言いようのない冷たさを感じずにはいられなかった。

 

「流石は魔王の血を引く汚物。聖銀に触れているのに剣の魔法が残っている」


 聖銀の武器は魔力を散らす効果を持つ。

 中級魔法以下は完全に無力化し、持つ者によっては上級魔法さえ斬り裂くことが可能となる。

 

「くっ」

 

 氷の剣の切先は砕け、剣身には半ばまでひびが入っていた。


 騎士の左足が横薙ぎの蹴りを放った。


 ルルヴァは辛うじて剣身で受け止めたが、剣は砕け、体は水平に飛んでいった。

 

「兄さん!!」


 ペローネが悲鳴を上げた。

 

 しかしルルヴァは宙で回転して勢いを殺し、巨木の幹に両足で着地を決めた。


「【灼璃】」


 そして十の火球を生み出すと同時、自らもその火球と共に騎士へと飛んだ。


「無駄なことを」


 聖銀の剣が一瞬で火球を斬り捨てて、その刃をルルヴァの頭上へと振り下ろした。


「はあ!」


 それをルルヴァは残った氷の柄で受け流し、その勢いを利用した右足蹴りで騎士の顎を狙った。


「ほう」

 

 しかし騎士の右手がルルヴァの爪先を掴んで放り投げ、ルルヴァは地面に叩き付けられて転がり、動かなくなった。


「あの町で無様に泣いて蹲った少年とは思えぬな」

 

 騎士は魔獣の死体へ顔を向ける。

 

「戦いで成長したか。それも驚異的な速さで」

 

 騎士が剣を上段に構えた。

 聖銀が微かな陽の残滓に照らされて、美しい赤の輝きを放つ。


 冷たく研ぎ澄まされた殺気がルルヴァを襲う。

 虫の声は途絶え、凍り付くような静けさが辺り一帯を支配する。

 

「魔王の血族は絶やさねばならん。故に私は君を殺す。恨むならば自分の弱さを恨むがいい」


(逃げ場は無い)


 体は動かない。

 血の混じる視界に映るのは、ルルヴァとペローネを包囲するように展開する騎士達の姿。


(ここで死ぬのか)


 パムの町の景色は、炎の中に壊れていった。

 友達は、町の人々は、炎の中に消えていった。


 恐怖が涙を溢れさせることはもうない。

 ただ、心の奥から湧き続ける、悍ましくも熱いナニカが、ルルヴァの目から涙となって流れ続けている。


(死んで、たまるか)


 そうだ。


 僕は死んでなんかやらない。


(お前達を殺すまで、決して、死んでなんかやらない)

 

 体が動く。

 手は拳を握り、足はゆっくりと立ち上がる。


―― 自分の中の魔力が変わっていくのを感じる。


「はぁ、はぁ、はぁ」

「その傷で立ち上がるか。惜しいな、もし汚物でなかったならば、褒め称えてやるものを」


 ルルヴァの無色の魔力がゆっくりといろを帯びていく。


 それは右手に収束し、氷の刀へと姿を変えた。


「僕は、」


 ルルヴァは刀を中段に構える。

 ゆっくりと虫の這う速度で足を滑らす。

 騎士の姿を、部分を注視するのではなく、全身を視界の全てで捉える。


「お前を」


 朱い瞳の中に映る景色の色はせ、静と動だけの世界となる。

 

「ちぇいい!!」

 

 雄叫びを上げて騎士が動いた。

 地面を踏み割り、音を後に残し、聖銀の刃が光を切って振り下ろされる。

 

 刹那よりも少し長い時間。


 ルルヴァの目、いや心眼が捉えた騎士の剣の動き、その起こり。


 一歩にも満たない足の移動。


 僅かに掲げる氷の刀。


 刃に脈打つ赤よりも鮮やかな魔力洸。

 

―― 聖銀の刃と氷の刀身が触れた。


 ルルヴァは騎士の力を必死に受け流そうとするが、聖銀の剣は威力を減ずる事無く、その軌道を変化させた。


 刃の向きはルルヴァを捉えて離さず。


 騎士の力、聖銀の効果を受けた氷の刀身はモノクロームの時間の中で砕けていく。


 ルルヴァは砕けた氷の欠片をも魔力で操って使い、聖銀の刃を逸らそうとする。


「はああああ!!」


 氷の破片の連なりの上を聖銀の剣が滑ってゆく。

 ルルヴァの瑠璃色の髪が舞い散り、腕を聖銀の刃がかする。


「あああ!!」


 聖銀の刃は地へと刺さった。

 ルルヴァの振り抜かれた氷の刀が、騎士の右腕を斬り裂いた。


 騎士が瞠目する。

 

 外れた聖銀の剣が起こした刃風に当たった木々が、横にずれて倒れていった。


「面白い」


 騎士の言葉にこの時初めて、感情の熱が宿った。


 驚愕、そして愉悦ゆえつ


 刀を振り抜いたルルヴァは片膝を突き、荒い息を繰り返している。


 魔力も体力もとうに限界を迎えており、体中から流れる血が、更にそれ以上のものを削っていた。

 

「面白い存在だよ君は。皆敵確殺のこの技を、まさか君のような子供が破るとは」


 くふふふ、と。

 面頬から笑い声が漏れる。


「そ、その笑い声は」


 ルルヴァの中で、白い機兵の姿と、目の前の騎士の姿が重なった。


「そうだな、試練を与えよう。これを乗り越えた時、君はもっと強くなる。そう、強くなって私を楽しませて……そして殺されろ」


 騎士がパチンと指を鳴らすと、静観していた他の騎士達が動き出した。


 剣を構え、弓に矢をつがえる。


 彼らの武器の魔導機構が起動して、錬玉核が各々の属性の輝きに染まる。

 

「兄さん!!」

「来るなペローネ!!」


 ルルヴァの叫びが、足を踏み出したペローネを止めた。


 最後の力で、氷の刀を修復する。

 

「僕がこいつらを止める。だから母さんを連れて逃げろ!!」

 

 ルルヴァの体はもう満足に動くことはできなかった。

 痛みと疲労でふらつくのを意志の力で抑え、騎士達へ刀を向ける。


(この命に代えても、ペローネと母さんを守る。それが、守れなかった僕の、最後の使命)

 

 決死を超えて成す覚悟。

 敵に対する必殺の意思。


 死の縁に立ちなお強い闘気を放つルルヴァに、騎士達もまた本気の殺意を向ける。

 

(ペローネ、母さん。父さん)


「さあ生き残って見せろ少年。やれ」

 

 振り下ろされた手が、処刑開始の合図となった。


 魔導剣の剣身から放たれる魔法。

 魔導弓より放たれる魔導矢まどうし


 眩い閃光と巨大な爆発がルルヴァを襲った。

 

「いやああああ!!」


 ペローネの絶叫が木霊する。

 聖銀の剣を握る騎士は、渦巻き燃え上がる火柱を眺めて笑う。


「これは駄目そうだな。見込みがあると思ったのだが、くふふ、まあ当然か」


 へたり込んだペローネを睥睨へいげいする。


「さて、あとは君達を処分するだけだ。抵抗できるならしたまえ」


 涙するペローネの結界を、聖銀の剣が一振りで斬り裂いた。


 魔導短杖を構えるペローネに嘆息し、騎士の鉄靴が彼女をボールのように蹴り飛ばした。


「がはっ、はあ、はあ」


 血反吐を吐くペローネへ、聖銀の剣が振り上げられる。


「君は彼のように面白くはないな」


 騎士が彼女の命を断とうとした瞬間、周囲の騎士達が絶叫を上げた。

 

「た、隊長!!」

「どうした?」


 部下の声に応えるも剣は止めず。


―― だがしかし。


「!?」


 ペローネの首を断ち斬るはずの一撃は、金属が打ち合う音と共に止まった。

 

 騎士の聖銀の剣が、別の聖銀の剣と交差している。


 それを握るのは、突如として目の前に現れた、白い法衣を纏った金色の髪の少女。


退きなさい」


 少女が剣を払った。


「くっ!?」


 その華奢きゃしゃな見た目からは想像もできない力に不意を突かれた騎士は体を宙に飛ばされ、しかし危なげなく着地を決めた。


「まさか貴様は」


 少女の正体をおぼろげに察した騎士の頬を、一筋の冷や汗が流れ落ちた。


 そして、視界に入った影に驚愕する。


―― 炎が消えた。


 魔王の血を引く少年がいた場所には、セラミックスの輝きを持つ巨大な繭の姿があった。

 

「アッパネン王国、それと聖典騎士の暗部の方々ですね。こんな時間までゴキブリのようにいずり回って。本当にご苦労様です」

 

 少女が聖銀の剣をクルクルと回し、その一瞬で剣は槍へと姿を変えた。


 トンッと石突で地面を打ち、少女は穏やかな笑みを浮かべる。


 太陽が消えて、月と星が光を放つ世界に、絶世の美と呼ぶに相応しい少女の相貌が照らされる。


 その切れ長の紫眼が薄い夜の闇の中で、魔性の輝きを放っていた。

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