逃亡

~ 赤土の大森林 ~


「ペローネ、大丈夫か?」

「う、うん。兄さんこそ」


 パムのある丘を彼方に見据える場所で、ルルヴァ達を意識を取り戻した。


 赤く染まる空に煙が昇っていく。

 それは焼け落ちる故郷の静かな叫びのようにルルヴァは感じた。


「母さんっ、母さんっ」


 倒れて動かないノイノをペローネが揺する。


「息はあるし、目立った傷はない。大丈夫、魔力切れのショックで気絶しているだけだよ」


 あの爆発の直前、ギリギリのタイミングでノイノの転移魔法が間に合ったのだった。


「兄さん……」

「ここは赤土の大森林だ。急ごう」


 樹海の魔王の力によって『砂礫の大地』と『赤土の大森林』、そしてパムの領域は、魔王の血族以外には空間系の魔法が非常に使い辛くなっている。


 ルルヴァは敵が自分達を追撃することは難しいと考え、強化魔法を発動させてノイノを担ぎ上げた。


『ウオオオオン!』


 遠から狼の鳴き声が響いて来た。

 ペローネはルルヴァの服の裾を掴んだ。


 木々に覆われた暗い道を歩いていく。


 ノイノが転移した場所はルルヴァのよく知る山道であったので、迷うことなく足を進めることができた。


「このままパスパ山脈を越えてドド帝街道へ向かおう。そうすれば王都に向かう駅馬車に乗ることができる」

「でも、魔獣が」

 

 赤土の大森林はその豊かな資源以上に、巨悪な魔獣の巣窟として有名だった。

 交易路に近いのに開発されることはなく、原生林の様子を残すままにしている理由は単純に、魔獣による被害で開発ができないからだった。


「魔獣より、あいつらの方が恐い」


 ルルヴァの脳裡を純白の機兵の姿が過った。

 そして目に焼き付いた、人が人でなくなる瞬間。

 殺して。そして殺した相手を道具にして更に殺して。


(僕達を悪と言い、自分達を正義と言いながら、彼らは悍ましい悪を平然と僕達に振るってくる)


 その醜悪さに比べたら、まだ魔獣の素直な恐怖の方が理解できる。まだ許容できる。


「ペローネ、武器は出しておいて」

「うん」


 幹と枝葉に覆われた闇の中から、そこに在る者達の息遣いが聞こえて来る。


 彼らはルルヴァ達を見定めているのだ。

 敵なのか、それとも獲物なのかを。


 ほんの微かに茂みが揺れた。


『ガアアッ!』


 闇の中から大柄な灰毛狼がルルヴァ達へと襲い掛かって来た。


「【風刃】」


 その爪牙が届く前に、ルルヴァの放った風魔法が狼を両断した。


「走るぞ!」

「うん!」


 次々と木々の間から灰毛狼が現れる。

 途切れることのないルルヴァの魔法が狼達を倒し、魔導短杖を握るペローネが展開する結界が狼達を寄せ付けない。


 地に倒れた狼の数はすぐに十を超え、そして二十を超えた時、襲撃は止まった。


「兄さん」


 顔中に汗を浮かべ、肩で息をするペローネが結界を解こうとする。


「まだ結界を解くな」


 亡骸と、それを遠巻きにする数匹の狼の向こう。

 森の暗闇の奥から木々をかき分けて、巨大な何かがやって来る。


『グルルル』


 黄昏の弱い光の中で、金色の瞳が笑みを浮かべる。

 民家程もある巨躯が、横たわる亡骸を踏み潰して、ルルヴァ達を睥睨へいげいする。


『ルルル』


 異形のケンタウロスとでも評すべき、その威容。

 下半身は巨大な狼の姿をし、それに乗る上半身は人の姿をしていた。


 放たれる威圧感は非常に重い。

 通常、人の生活圏に現れる魔獣とは一線を画す強大な存在であると、見ただけで理解させられる。


 ルルヴァはノイノを下ろしてペローネに任せ、一人結界の外へと出る。


 逃げることは考えていなかった。

 背中を見せた瞬間に、自分達は殺されるのだと分かっていたから。


 魔獣が『グフフフ』とルルヴァを嘲笑わらい、その両手から魔法の洸を放った。


 生き残った狼達がその洸に包まれた瞬間、傷は癒え獰猛な気配がいや増した。


『『グルルルル』』


 ルルヴァへ襲い掛かった。


(出し惜しみは死ぬ!!)


「憑きし明せし鬼の火よ」

「熟し丸まり玉と成れ」


「【灼璃しゃくり】」


 ルルヴァの生み出した二十の火球が全方位から飛び掛かって来た狼達を迎撃した。

 赤い炎に包まれ、狼達がのた打ち回る。

 しかし。


「!?」


 五匹、炎を振り切ってルルヴァへその牙を届かせた。


「兄さん!!」


 ペローネが悲鳴を上げる。


 魔獣の魔法は狼達の防御力も上げていたのだ。


「っこの」


 強化魔法の出力を上げた。狼の牙は皮の中で止まった。

 零距離で風刃を放ち、仰け反った腹へ灼璃を叩き込む。爆炎に吹き飛ばされた狼達が転がり、或いは木の幹に体を打ち付けて動かなくなった。


「はぁはぁはぁ」


 ルルヴァの目の前に魔獣が立っていた。


―― 一瞬だけ意識が途切れた。


「っは」


 手が震える、体が動かない、視界が霞み視線が低い。


 離れた場所からゆっくり歩いて来る魔獣といきなり来た激痛に、やっと攻撃されたことを認識した。

 

「 、 、 、」


 込み上げて来る血にが呼吸を難しくさせる。

 歪む世界の中で魔獣がわらい、ペローネが泣いているのが見えた。


(僕は、)


―― ルルヴァ。この光景を忘れないで。


 もう、彼等はいない。

 もう、助けることはできない。


―― 最強の騎士になって。あなたの力でみんなを助けてあげて。


「っぼ、僕は!」


 血を吐きながらルルヴァは立ち上がった。

 激痛を捨て、恐怖を叩き潰す為に、残る魔力を両手に集中させる。


 魔獣が跳躍した。


 その速度を目が追えなくても、汚い殺気の軌跡は捉えていた。


「【鏡欏きょうらッ、氷剣ひけんッ】」


 詠唱破棄した大級魔法が発動し、ルルヴァの両手に現れた氷の剣の青い刃が弧を描いた。


「僕は、誓ったんだ」


 結界の中のペローネは涙を堪えて、横たわる母を背に守り、必死に結界を維持している。

 

「死んでいったおじさん、おばさん達……」


 身体は傷と疲労で重い。

 それでもまだ魔力は少し、残っている。

 

「置き去りにした友達に……」


 あの爆発の瞬間、手を伸ばすことさえできなかった自分。

 

「弱い無力な僕自身に……」


『グギャアアアアア!!』


 右腕を失った魔獣が咆哮する。

 眼は血走り、狂気に至る程の怒りをルルヴァへと向ける。


 それへルルヴァは氷の剣を後ろに下げ、左半身を前に出すように、脇構えの型を取る。


『グギイイイ!!』


 荒々しく、先程に倍する速度の魔獣の拳がルルヴァへ振り下ろされた。

 

「お前の速さには慣れた」


 ルルヴァの右足の爪先が魔獣の肘の上に触れ、左足が上腕に踏み込む。

 魔獣が顎門を開き牙を剥く。


―― 魔獣は思った。

―― 氷の剣の長では届かないと。

 

 ルルヴァが氷の剣を横に薙いだ。

 それは無為となるはずだった。


『グギャ?』


 魔獣の視界がズレ、落ちていく。

 微かな陽の光の中で青い刃が見える。


 それは大きく長く、大剣と呼ぶべきものであった。


―― ああ、だから。

―― お前は剣を隠したのか。


 生まれて初めての死合と、その結末に納得し、魔獣の意識は消えていった。


* * *


「兄さん!!」


 結界を解いたペローネがルルヴァへ駆け寄り、ポーションの入った小瓶を渡した。 


「薬よ。飲める?」

「ああ。ペローネ、ありがとう」

「うん」


 小瓶に口を付け、軽くえずいたルルヴァの背中をペローネがさする。

 

「兄さん大丈夫?」

「すまない」


 再度瓶に口を付け、中身を飲み干したルルヴァが立ち上がる。


「早くここから移動しよう」

「うん」


 魔獣との戦いは激しいものだった。

 その音や気配に引かれた別の魔獣が寄って来るのは時間の問題でしかなかった。


「ねえ兄さん、やっぱり街道へ戻らない?」

「……」


「多分、いいえ、きっと私達だけじゃパスパ山脈を越えるのは無理だと思う」

「……そうだね」


 ルルヴァも今の戦いで痛感していた。

 街道を行き、そこでベルパスパの辺境巡回騎士隊に出会える可能性に賭けた方が、まだ生き残れるように思えた。

 

 そしてルルヴァはその考えをペローネに伝えた。

 

「私もそうすべきだと思う」

「よし。じゃあごめんけどこの剣を頼んでいいか。もう一度作り出す魔力は、もう厳しいんだ」

「わかったわ」


 ルルヴァが生み出した大級魔法の氷の剣は放って置いても二日間は溶けない。おまけに武器としての強度もしばらくの間は維持されるのだ。


 元の大きさに戻した氷の剣をペローネに渡し、ルルヴァはもう一度ノイノを担ぎ上げた。

 

「さあ行こう」


何処どこへ?」



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