九月二十一日 六


 時計の針が十八時六分を指した。


 ジリリリッ!


 壁に掛けられた箱型電話のベルが鳴った。


 ジリリリッ!


 ガチャリ。


「はい、ノイノです」


 受話器を取ったノイノの耳に、小さく囁くような声が届く。


「分かりました。ええ、三枚目の避難計画通りにお願いします」


「ええそうです。密偵の類を漏らさずというのは難しいですから、とにかく脱出優先で。ええ、ええ。ほんとに、転ばぬ先の何とやらですよね」


「流石は私の親友、いいツッコミです。あらあら、これ笑う所ですか? 違う?」


「ほんとお願いしますよ。そうです。外は姉様に出て頂きました。はい、ええ。では後程」


 ガチャン。


「準備ができたそうです」

「ノイノ様……」


「時間です。仕方ありません」


 ルルヴァ達に悟られないように、ノイノは一瞬だけ唇を噛んで、振り返った。


 その顔には笑みが、瞳には強い感情が。


「さて、行きましょうか」


* * *


~ パム東区工房街東区公会堂前庭 ~


―― 十八時七分。


 破壊尽くされた庭と建物。

 燃え盛る炎から光と熱が湧き出して、ヒトとモノの焼ける臭いが途切れない。


「地獄に落ちろ、クソ、やろ」


 戦士が言葉を終える前に、騎士はその首を右手に握る魔導剣でね飛ばした。


「仕事にやりがいを求めるのは罪なんかね?」

「さあ? でも再就職を考えるなら問題ないんじゃないですか」


 投げやりな副官の言葉に溜息を吐いて、騎士は大層気疲れした様子でさやに魔導剣を納めた。


「お、流石はベットリオさん。仕事が早い」


 騎士の周囲に倒れる死体の山を見て、背に翼を生やした少年が笑う。


「しかもそいつS級開拓者私部隊パーティーの風月隊で頭してた奴っしょ。傷見る限り、ベットリオさんの圧勝じゃないっすか。『不死身の貴公子』は今だ健在っすね」

「そりゃどうも。それより西区を任せたお前がどうしてここにいるか、ちょっと聞いてもいいか?」


 担当者が現場を放り出したツケは俺に来るんだぞと、射殺すような視線を少年へ向ける。


「あ、こっちは終わったっす。いやあ、運命ドゥーム巧式フォーミュラーを使ったらめっちゃ楽でした」

「……そりゃよかった。で、今のお前の状態は?」

「完全無欠に魔力切れっす、って痛って!!」


 騎士に殴られた頭を抱えて少年がうずくまる。


「戻ったら転属願い出すか」


 そう呟いて騎士は魔法を放ち、周囲の全てを一瞬で灰に変えた。


「大丈夫ですって。仕込みはばっちりっす」


 少年は右手の親指を立てた。


「硝酸アンモニウムって知ってます?」


* * *


~ パム北区公設商業用大倉庫地下要塞 ・地下潜航艦格納庫 ~


―― 十八時十五分。


 エレベータが止まり、扉の開いた先には地下空間が広がっていた。


 硬い岩盤をくり抜き、補強し、適切な形に整えられており、戦時には魔王軍の地下潜航艦隊がここより北方へ向けて出撃していった。


「! ノイノ様!」


 兵を指揮していた人間の男がノイノに気付き、目の前まで走って来た。


「コルニア艦長から準備が出来たと連絡を受けました」

「はっ。避難計画通り、あと十分で出入口の封鎖を行います……」


 悲痛な表情を浮かべる彼の肩を、ノイノが軽く叩いた。


「東区にはギータ達風月隊が、西区にはナナキ達警衛隊の精鋭がいますし、姉様も出ています。船に間に合わなかった方々も、きっと大丈夫ですよ」

「はいっ」


 顔を上げた彼に微笑んで、ノイノはルルヴァ達と共に先へ進もうとしたが。


「ノイノ様?」

「ノイノ様だ!」


 ノイノに気付いた避難民達が集まり、彼らに囲まれてしまい、全く進むことができなくなってしまった。


「ノイノ様、どうして俺達はいつもこんな目に遭わされるのですか!」

「私の弟の家族が南区にいたんです!」

「僕の両親も!」

「俺の婚約者もだ!」


「ワシの家を、何もかも壊していきやがった!」

「必死に働いて持てたアタシの家もだ!」


「俺の妻が殺されて、それでも息子を抱えて逃げるしかなくて」

「わ、私は、子供の一人を置き去りにして。で、でも赤ちゃんを抱えた私じゃ、どうしようもなくて」


「何で」


「どうして」


「俺達だけが」


「私達だけが」


「「奪われるんだ」」


「憎い」


「憎い」


「憎い」


「憎い」「憎い」「憎い」「憎い」「憎い」「憎い」「憎い」「憎い」「憎い」「憎い」「憎い」「憎い」「憎い」「憎い」「憎い」「憎い」「憎い」「憎い」「憎い」「憎い」「憎い」「憎い」「憎い」「憎い」。


 ――が、――が、――が!!


 だから、ならば、今度は俺達が、


―― ぱんっ!!


「「!!」」


 ノイノが打った手を下げた。


「憎しみに引きずり込まれないで。でないと、今度はあなた達の誰かが魔王になりますよ?」


 誰もが口を閉ざした。

 そしてノイノはルルヴァに語り掛けた。


「ルルヴァ。この光景を忘れないで」


 囁くような小さな声だった。

 だが、ルルヴァにははっきりと聞こえた。


 朱の瞳に大切な者達の絶望が映る。

 悲痛に歪んだ顔を下に向け、歯を食いしばり、両手を強く握り、ただ耐えるしかない姿。

 崩れ落ち、顔を両手で覆い、慟哭する姿。

 呆然と、空虚な視線を何処かへと向ける姿。


「最強の騎士になって。あなたの力でみんなを助けてあげて」

「はい」


 ルルヴァはノイノの手を強く、握り返した。


「お―いルルヴァ! ペローネ!」


 別の入り口から兵士達に連れられて、子供達の集団が降りて来た。


「ラウル! みんな!」


 ラウルの体中に巻かれた包帯からは血が滲み、他の子供達も何処かに大小の傷を負っていた。


 ルルヴァはペローネと一緒にラウル達へと駆けていく。

 

「無事でよかった」

「おいルルヴァ、これが無事に見えるかよ」

「あ、ごめん」


 ルルヴァはラウルの頭に右手を当て、治療魔法を発動させた。


 傷口が浄化されて皮ふの再生が始まり、二十秒と経たずにラウルの傷は完治した。


「すまねえ」


「ラウルずるい。ねえルルヴァ君、あたしもお願い」

「次私ね」

「僕も」


 六人の子供達と三人の兵士の傷を治したルルヴァは、また苦い薬を飲んで涙を浮かべていた。


「ありがとうございますルルヴァ様。ご無理をさせてしまって申し訳ありません」


 頭を下げる兵士に、ルルヴァは首を横に振る。


 人々が魔法を使えるのが普通のこの世界でも、治療魔法を使うには専門の訓練が必要となる。


 そして何より問題となるのが、人の持つ魔力の属性適性はそれぞれが異なっていることだった。

 もし仮に適性外の魔力で治療魔法を使われた場合、拒絶反応を起こして最悪死に至る危険があった。


「これ位なんてことはないです。僕は闇の勇者と影将軍の息子ですから」


 しかしルルヴァの魔力は全ての属性への適性を示しており、またその天賦の才は僅か一年の神殿の修行で、中級の治療魔法の修得を成さしめるに至った。


「さあみんな、船へ乗りましょう」

「「はい!!」」


 ノイノの声に子供達が元気よく応え、大人達も顔を上げて、地下潜航艦へと歩いていく。


「あ、ラウル!」

「ダンの兄ちゃん?」


 大柄な兵士の青年がラウルへと駆け寄って来た。


「生きててよかったよ。お前の家の近くも酷いことになってたからさ」

「……うん」

「ま、ジュリアちゃんも無事だったんだ。運が良かったよ本当に」

「え?」

「何だその青褪あおざめた顔は。はぐれてた所を俺が連れて来てやったんだぞ。おーいジュリアちゃん! お前の兄ちゃんこっちにいたぞ!!」


 ダンに付いて来ていた子供達の集団から、一人の少女がラウルの方へと歩いて来る。


「な、何で?」

「ラウル?」


 怯え、震え、少女から逃げるように後退るラウルに、今度はルルヴァが問い掛ける。


「あ、あの時、火の中で、俺の目の前で、ジュリアは斬られたんだ。死んで、確かに死んだんだよ。胸から剣を生やして、血を吐いて!」

「え?」

「爆発で飛ばされて、だから俺は殺されなかった。でも、ジュリアは殺されたんだ!!」

 

 子供達の目に光は無い。


『バレた?』

『バレちゃった?』


 ノイノが無詠唱で強引に魔法を発動させ、結界で彼らを隔離した。


「この子達から離れて! これは!!」


『もうイイか?』


「き、貴様」

「ケーナさん!?」


 ダンに斬られたケーナが崩れ落ちた。


『もうイイよ?』


 ここは軍事施設であり、出入口の全てに魔導探知機が設置されている。

 登録の無い魔導兵器から武器類まで対応する優れた装置であるが、しかし当然として『ヒト』それ自体に反応することはない。

 

『じゃあイッショに』


 だからこの屍を使った兵器人形は人を模した振舞をし、同時、自身の血肉を使った錬成を行い、ある物質を体内に貯蔵し続ける。


 魔力は人としての活動にその大半を取られる為に、錬成の速度は遅いものとなってしまうが、必要な元素であるN:窒素、H:水素、O:酸素は全て人の体に存在し、三十分以上の猶予があれば必要な量を作り出すことができる。


『せーの』


 そして三十人の体内に満ちた硝酸アンモニウムに、最後に錬成される水素の爆炎が加われば。


『『ダイばくはつ!!』』


「ルルヴァ! ペローネ!」


 ノイノはルルヴァ達を抱き締める。


 結界は一秒と持たずに破れ、極大の衝撃波と爆炎が格納庫の中を破壊し尽くした。


 ……。


 ……。

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