ルルヴァ・パム 二

~ パスパグロン東区 ~


 パスパグロンの東区にある裏町の、さらに奥まった場所は、普通の日常を生きる者達が決して近寄らない領域であった。


 周囲にはいつ建ったのか分からないような建物や明らかに建築基準を逸脱したような建物が並び、堅気の者が歩く姿はなく、逆に剣呑な気配を漂わせた者や素顔を隠した者達が、怪しげな店の前でたむろしている姿がある。


 それなりに衛生は保たれているが、それも二週間に一度巡回する、清掃ゴーレム隊のおかげでしかない。


 普通の少年が着る服を纏い、美麗なる飛燕王の鞘を腰に下げ、可憐な容姿をしたルルヴァは、ここの住人達の目には格好の獲物と映るはずであった。


 しかしルルヴァがこの領域に一歩足を踏み入れた瞬間に、悪辣な住民達がハイエナのように襲い掛かる、というようなことはなく。

 逆にその朱い瞳を恐れるようにして、目が合いそうになると、彼方へ全力で顔を背ける始末であった。


 幽霊屋敷のような木造のアパートと、不揃いの石を積み上げて作ったパン屋の店舗に挟まれて、模造刀を看板にした錬金術師の工房の前でルルヴァは足を止めた。

 

「ごめんください」


 カランコロンと鳴るドアを閉めて、ルルヴァが店内へと入る。


「いらっしゃいませルルヴァ様。本日はどのようなご用件でしょうか?」


 すぐに着物を纏った少女型の魔導人形【ウキクサ】が現れ、丁重にルルヴァを出迎えた。


「カグラさんに飛燕王を見て欲しくて。今います?」

「マスターは外出中ですが、すぐ戻られます。お待ちになられますか?」

「そうですね。お願いします」

「どうぞこちらへ」


 外観以上に広い店内には明々と火晶石の照明が灯り、魔導の日用品から剣や鎧、小型戦闘ゴーレムまでが置かれている。


 奥へと進み、三つ目の扉を開いた時、ルルヴァを浮遊感が襲う。


 一瞬前まで見えていた物置の景色は消えて、替わりに東方風の庭と館が姿を現した。


 ウキクサに先導されて、飛び石の上を進む。

 館の中の客間へと通され、出された緑茶と菓子を楽しんでいると、どたどたと足音が近付いて来た。


「来たか」

「カグラさん、お邪魔しています」


 作務衣を来た白髪黒目、顔中に深い皺を刻んだ男が姿を現した。


「飛燕王を寄越せ」

「お願いします」


 男はルルヴァから飛燕王を受け取り、鞘から抜いてその刀身をじっと見詰める。


「相変わらず嫌味な程に使いこなしてやがる。直す所は無いし、手入れだけで十分だな。しかし、だ」


 ギロリ、とカグラがルルヴァを睨み付ける。


「天顕魔法を使ったな。それはいい。だがおい、あの機体はどうした。使わなかっただろ?」

「……はい」


「何でだ?」

「……僕は、僕の力を試したかった、です」


 顔をしかめて、振り絞ったものを吐き出すように、縮まっていくような小さな声で、ルルヴァは答えた。


「はぁ。馬鹿が!」


 トンッ、と。カグラがルルヴァの額を人差し指で弾いた。


「それで死んだらどうする? 今回勝てたのは運が良かった、ただそれだけだ。劫亢こうこうの座へ成ったばかりで、ケツが青かったからこそ生き残ることができた。S級になったから、心道位を取ったからって何だつーの? そんなもの、歯牙にも掛けない奴らなら、俺が知ってるだけでも七十八人はいるっつーの!」


 トトトトトトトトトトトトトトトトトトトトトトトトトトトトトトトトトトトトッン。


「死の上で遊んでんじゃねえぞ。出し惜しみして屍晒した天才なんて、掃いて捨てる程いるんだからな!!」

「あんな力に頼らなくても僕には飛燕王があります!!」


「ちっ、くそが!」


 だんっと足を鳴らしてカグラが立ち上がった。


「出ろ月陽炎つきかげろう


 カグラの右手に光が集まり、それは柔らかな金の光を湛える刀へと姿を変えた。


―― 雲水自然最後の作であり、真玉の金紗鋼より打たれし精霊刀。


―― 銘【月陽炎つきかげろう】。


「来い! 揉んでやる!」


* * *


~ パスパグロン北区 ~


 建国より二千年。

 古き始まりより続く美しいこの場所の景色は、古典派の画家【由明の筆】がその筆で描いており、大作【パスパの古都】はパスパグロン王立美術館の至宝として展示されている。


 パスパ山脈の白峰から差し込む黎明の光が街に連なる白亜の建物を照らし、十二の尖塔を持つ王城の中心に聳える桜の大樹【プロメテリ】の枝葉が、全てを包むように広がる。


 初めて訪れた者は感嘆と共に、この地に住まう者は誇りと共にこう謳う。


―― おお偉大なる星の聖霊【オリナギ】に祝福されし、麗しき白の都よ。


 と。


 しかし王城の奥の広間では今、感嘆とは真逆の吐息を吐き出して、この国の支配者の席に座る者達が頭を抱えていた。

 

「これをあの魔王の血族、青騎士は単独で討ったというのか……」


 上級騎士の装いをした男が目を瞑る。


「……ありえん」


 軍服を来た女が知らず内心を漏らす。


「幾らS級開拓者であり、心道位を持つ者であるといっても。いや、もはや彼奴の力は」


 豪奢な装いの男が強く拳を握る。


 室内の照明は落されており、映写機がカタカタと、スクリーンに映像を投射し続けている。


 オルギュニースタと灰猿の群れに蹂躙される兵士、神官、そして騎士。

 ばら撒かれた血肉が大地を染め上げて、すぐに魔獣達の胃袋へと消えていく。


―― 選りすぐりの精鋭二千人。


 彼らの名簿を捲ればその中に何十人と、一般人でさえも耳にした覚えのある強者の名を見付けることができるだろう。


 その彼らに最高の装備と最新鋭の魔導兵器が糸目をつけずに用意され、支給された。


 予算には国からのもの以上に地主や商人、そして貴族からの出資が充てられており、総額はベルパスパ王国の有力都市の一つの年間予算に匹敵する程であった。


―― 当然であろう。


 黒霧森に魔晶石の大鉱脈に加えて、皇金の鉱脈が発見されたのだから。


 現代の国家戦略上、絶対に無視などできない話である。

 市民議会軍、騎士団、神殿、そして開拓者協会に連携が図られ、犬猿の仲も忘れた様に、速やかな行動が成されるに至った。


 誰もが成功を確信した、乾坤一擲の大プロジェクトであった。


 しかし。


 映像の中、オルギュニースタの咆哮の直撃を受けた三台の軍用馬車と十機の戦闘装甲ゴーレムが、一瞬でバラバラにされ飛び散っていった。


 軍用馬車の装甲は魔導砲の直撃に耐え、展開する結界は大級魔法に耐える性能を持つ。

 また人が搭乗する戦闘装甲ゴーレムの動きは疾風の如くであり、平凡な兵士が操縦してさえも、その攻撃と防御の力は若竜に匹敵する。


 だがそれらが、紙屑のように踏み潰されていく。


 覇気を纏い裂帛の気合を叫び、斧槍を繰り出した偉丈夫の騎士は、オルギュニースタに斧槍ごと手を握り潰され、尾の一撃を受けて空の彼方へ飛んでいった。


「今のが確か北域騎士団にて武勇名高き、【氷山斧 ヂノストン・バレ】子爵でしたね?」


 眼鏡の青年が向かいの席へ嫌味を飛ばせば。


「ああそうだな。ついでに今黒猿の拳を受けて木端微塵になったのが、商会連合さん方のねじ込んだS級開拓者の私部隊パーティー『剣聖団』だったな」


 鍛え上げた体の青年がそれに応じる。


 殆どの者達が己の利益の為に、ここに座っていた。


「さてお歴々、まだ見る必要はありますかな?」


 資源大臣【黒烏のメダルド・ドラーギ】の一声で映像が止まり、火晶石の明かりが灯った。


「おやおや。皆さんまるで萎れた菜っ葉のようですな。そんな深刻になるようなことがありましたかな?」

「ドラーギ大臣! 開拓は失敗したのですよ!」


 堪らずに官僚の青年が立ち上がった。


「失敗?」


 メダルドは不思議そうに白髪頭を揺らし、上座に座る【夕風の弓 エトパシア・ベルパスパ】へと顔を向けた。


「確かに、仲間の多くを失ったのは、とても大きな悲しみでした」


 森エルフの血の濃さを感じさせる顔に憂いを浮かべて、しかしそれを振り払うように、この広間に集う者達へと、強い意志を宿した視線を向けた。


「しかし! 黒霧森の主は討伐されました! 戦ったのは【青燕剣 ルルヴァ・パム】、そしてその指揮を執ったのは我が息子【パーナク・ベルパスパ】なのです!」

 

 広間に騒めきが起こり出す。

 そこへ更にメダルドが言葉を続けた。


「資源省と開拓者協会のでは、

王位継承候補【パーナク・ベルパスパ】殿下のにより、【青燕剣 ルルヴァ・パム】は黒霧森の主を倒した記されました」


 つまり今回のルルヴァの討伐実績は、パーナクの功績でもあるという形で公的な記録に残されたのだ。


「……ドラーギ大臣、それは」

「またこの魔獣は冥宮ダンジョンの核を喰らい、劫亢こうこうの座へ進化したことが確認されております。これらの事を鑑み、国王選定委員会よりパーナク殿下に、継承点二百の付与が行われました」


 広間の騒めきが頂点に達する。


「これによってイスカル様の三百七十点、サラディーノ様の三百二十点を上回る三百九十点となりました。また他候補の方々は軒並み二百点にさえ届いていない状況です。あと三か月という期間を考えれば、いかがです?」


 王位継承者の最終選定は上位貴族と第一級市民からの二千人による投票で決するが、継承点はそのまま得票として加算される。そして何より、上位三名のみが最終選定の対象となるのだ。


「しかし魔族の手を借りたというのは、拭い難き汚点でるというのは本当です。闇の勇者であるイスカル様と繋がりのある神殿、スカルキ家のサラディーノ様の団体と繋がりのある政治屋達。ここから何か手をして来はしませんでしょうか?」


「私達の目的は仲間や友と戦争することではありません」


「対立ではなく、皆が生きるこのベルパスパ王国の為に、未来を提示する者の一人として、イスカル様やサラディーノ様と違う席に座っている、それだけなのです」


「より良き明日の為に、違う席に座る方々の声も聞きましょう。そして私達の信念によって判断し、また彼らに語り掛けるのです」


「私の願いはただ一つ。この国に住む人々の幸福です。その為に努力を惜しみ、痛みを恐れることはありません」


「もしそれを理不尽な暴力によって壊そうとするならば! 私は立ち向かい! 毅然と! メッと叱り付け、お尻を叩く覚悟があります!!」


 パチ。

 パチパチ!

 パチパチパチパチパチパチパチパチパチパチ!!


「うっふっふ」

「せんぱ、いえタヴィアーニ夫人、何か可笑しいことでも?」

 

「いや、まあ何でしょう、春だなと思っちゃって。しかしご注意された方がよいとは存じますわ。敢えて言うまでもないことですが、イスカル君の陣営の力は私達の三倍以上です。ついでにパーナクちゃん、ルルヴァちゃんのお父さんでもありますからね」

「黙りなさい!」


 ビュンッ。パシッ、ボリッ、ゴックン。


「あら、ごめんなさい。つい口が過ぎてしまったわ」


 エトパシアの投げた超固焼きビスケットを掴み、噛み砕き、咀嚼したタヴィアーニ夫人は立ち上がる。


「エトパシアちゃん気を付けて。昔から好調な時があなた、一番危なっかしいんだから」


* * *


 がらんとした広間の端で、近衛騎士の服を纏った青年は嘆息した。

 

「烏合の衆、とは言いませんけど」


「取りこぼしの派閥ですからな。私のような俗物共がエトパシア様のカリスマによって、辛うじて纏まっているだけの集団です」

「辛辣な評価ですね?」

「甘い評価ですよ。今回の事にしてもそうです。我が主の計画通りにルルヴァ様とバレ子爵達に任せておけば良かったのに、口出し横槍人事介入。教法省の意向でルルヴァ様を外して神殿騎士を入れ、騎士団の要求で更に人数が膨れ、商会連合の要請で開拓者を混ぜて。結果、阿保みたいな出費で死者千五百人。まったく、苦労が絶えませんですよ。ふっ」


「大変ですね」

「これは珍しい。あなたが私を労わってくれるなど」

「いえ、あなたに嵌められた方々がです。これで蝙蝠達も身の程を知って、少しは大人しくなる、でしょ?」

「く、はっはっは。流石、お見通しですかな」


 パチンッと指が鳴り、虚空に魔法の映像が映し出される。


『我が国の悲願である大陸統一を! 同胞達よ勇者の元に集え!』


 国旗と極右詩人の言葉をペイントした民生用戦闘装甲ゴーレムと共に行進する人々。


『聖霊の下に僕達は平等だ。貴族制を廃止し、国を追われた不幸な友達を受け入れ、新しいベルパスパの未来を築いていこう』


 市民公会堂に集まり気勢を上げる人々。


『魔族の力を利用した前聖女とエトパシアに死を!!』

『背教者に死を!!』


 薄暗い倉庫の中で、どす黒い叫びを上げる者達。


「ここからは少しの遊びも危険になります。用意した布石の取捨選択をしなければならない時なのです。そう、全ては我が主の為に」


 その目に宿る狂信の輝きに、まあ自分も同じかと青年は思った。


「そういえば、バレ子爵達はいかがでしたかな?」

「団長さんが回収してくれたおかげで森の肥やしにはなりませんでしたけど、しばらくは病院で静かにベッド生活だそうです。酒が欲しいと喚いていたのでしばいておきましたが。あれならばそう遠くない内に退院するでしょうね」

「おお、流石はルルヴァ様のライバルですな」

ですけどね」


 青年が立ち上がり、その体を無色の魔力の洸が包んだ。


「おやもう帰られるのですか。よければお茶をご一緒したかったのですが」

「ごめんなさい、夕飯の買物があるので。また機会があれば誘って下さいね」


 転移魔法が発動し、青年の姿が広間から消えた。

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