ブルーナイト・ストーリーズ

大根入道

序章 黒霧森の王

ルルヴァ・パム 一

 昔の話である。


 圧制を強いた王が一人の騎士によって討たれた。

 苦渋の生活を強いられることから解放された民衆は喜びに沸き、騎士へ感謝を捧げた。

 善良な貴族の中から新たな王が生まれ、新しい国が出来た。


 その中に騎士の姿は無かった。


 人知れず姿を消した騎士を、人々は忘れまいと誓った。

 王の血、貴き者の血を『青い血』という事になぞらえて。


 王の血を浴びた反逆の義士、『青騎士』の物語は今の時代も語り継がれている。


* * *


 深く果ての無い蒼穹と流れゆく群雲。


 都市を乗せた島が峰白き山脈の稜線の彼方に浮かび。

 山々を経た風に小さな鳥の群れが戯れて、そのさらに高みを飛ぶ竜の姿があった。


 竜の影の過ぎた大きな石畳の道を、有角の巨大な四頭の馬に引かれて、『旅客馬車』が走っていく。

 八輪二階建ての車内には多くの者達が乗り、変わらぬ景色を窓から眺めたり、仲間内で談笑したり、或いは賭けをしたりと、思い思いに長い旅の時間を過ごしていた。

 

「へえ、あんた王都から来たの」

「はい」


 二階の隅の一角に座るエルフの女は暇つぶしにと、対面に座る青い外套をまといフードで顔を隠した、旅姿の少年に話し掛けた。

 

「私も昔は王都に住んでたことがあってね。開拓者としてイケイケだったけど、結婚して引退。で、こっちに越してきたのよ」

「そうなんですか」


 客車の窓の外では時々、結界が魔獣を弾いた時に生じる火花が瞬くのが見えた。


「ここら辺は魔獣が多いからねえ。結界のある馬車じゃないと、まともに走るなんてできないのよ」


 淡く輝く結界、その向こうに見える雄大で底の見えない谷間、対岸に広がる大森林。

 雲まで届く巨木が連なり、その下を黒い霧が絶えることなく流れている。

 

「あそこがこの地方最大の魔境として有名な『黒霧森』。中の魔獣がこっちに来ることはめったにないけど、一攫千金狙い達が奥にいって帰って来ないのは日常茶飯事。ま、稼ぐための狩なら、外縁で済ませましょうねって場所」

「確か森の奥に生息するリクシロカクガイから、大虹真珠が採れる場所でしたよね」


「そうよ。ちっと前までならC級開拓者なら生息地まで行けたけど、今はもう無理ね」


 女はバックからパイプを取り出して、葉を詰める。


「二ヶ月前に異変が起きて、魔獣は軒並み凶悪化。この前調査兼討伐に行った王都の騎士さん達も、殆どが魔獣の餌になっちゃったわ」


 手慣れた仕草で火を付けて、紫煙を吐き出した。

 

「そういう訳で。もし君が黒虹真珠を目当てで来たというのならやめときなさい。そんな切羽詰まった様子じゃないようだし、態々死にに行く理由は無い人でしょ?」


 女は少年が抱える得物を見ながら、そう忠告した。

 

 青い燕の舞う姿を描いた見事な鞘。

 弓なりになった剣身の形から、森の民が好む『刀』であろうと分かる。


 柔剛断つ刃の冴えと澄んだ鋼の美しさは、好事家ならずとも、剣に携わる者の琴線を掻き鳴らす。


―― 刀一つで国一つ。


 今よりも昔、ある国の王が旅の剣士の持つ刀に一目惚れし、是非譲って欲しいと願い出た。

 渋る剣士は最後には首を縦に振り、対価として王の治める国を要求した。

 王は喜び剣士に国を譲り、刀を手にして旅立っていった。


 そんな嘘のような実話もある。


(駆け出しの坊やが持つには不相応に過ぎる逸品)


 けど、年齢と見た目が釣り合っていない人類種もいる。

 見た目は子供、心は大人、体に秘めるは一流の戦士の血肉。ということも有り得ない話ではない。


―― 例えば、


(私のようなエルフとか)


 彼女の目には少年はただの子供としか見えない。

 ああ、土台裏方専門だった自分には、戦士の目利きなどできないのだったと、女は溜息ついでに紫煙を吐き出した。


(家の業物を持ち出して、独り渡世の武者修行。果ては挫折か栄光か。さてさて皆さん御覧じろ)


 なんてね。


 * * *


 旅客馬車はやがて『デニメ』の町に着いた。


 街壁の中には石や木を用いた家屋が立ち並び、通りを何台もの馬車が走り、すれ違っていく。

 様々な人種や装いの人々の往来があり、町中に賑わいがある。


 デニメは辺境に位置してはいたが、古くから木材の産地として知られており、また、東方へ続く交易路も近くにあった。


 旅客馬車が新しい木造の駅舎の中で止まった。


 エルフの女は他の乗客が降りるのを待ち、ゆっくりと一人、外へ出た。


「う~ん!」


 背伸びをして目的地へと足を向ける。

 この町の住民なので、他の客達のような手続きは必要ない。


 人類種最悪の災いである『魔王戦争』が終わっても、『~救済教会』や『~義勇軍』などの物騒は絶えず、デニメのような町でさえ、余所者に少し厳しくなった。


「あら、あなたもこっち?」

「はい」


 何となく振り返ったら、馬車で一緒だった少年がいた。


 特に話す事も無く、同じ道を進んで行く。

 この先にあるのはこの町の『開拓者協会』で、だから女も納得し、少年に何も聞こうとはしなかった。


 ドン!!


「!?」


 協会の二階の窓が吹き飛んで、中から若い男の怒鳴り声が鳴り響いた。


 協会へ走る者、呆然と立ち尽くす者、興味を覚えて近寄る者、怯える者。


 女の視界の端に、跳躍する少年の姿が映った。


「ちょっと、君!」


 女は慌てて飛行魔法を使い、少年の後を追った。


* * *


 二人の異邦の開拓者が、この町の協会支部長へと詰め寄る。


「ふざけるなよ! 何で黒霧森が封鎖になってんだ! 俺達は態々スス同盟国から来てやったんだぞ! お前等の所の貴族様からの直々の依頼でな!!」

「い、え。あ、あの、大変申し訳ないのですが……」


「これがアブルッツィ伯爵からの依頼契約を記した書面になります。確認願います。特にこの、協会本部長のサインの所を」

「で、ですが。今黒霧森は」


「先ほど受付で伺いました。異変が起きたのでしょう? 大型魔獣が現れたか、中心にある冥宮ダンジョンが成熟して中の災禍を溢れさせたか。いずれにせよ問題ありません」

「そうとも、見な」


 男の掲げた紋章には火の聖印とAの等級、そして金の星が刻まれていた。


「ご存知の通り、私達はA級開拓者です。しかもスス同盟国では特別戦力としての登録も受けているのです」 

「逆にこの幸運に涙して、とっとと森へ入る許可を出せよ。国が封鎖している場所を、現地の協会の意向を無視して入ったとあっちゃ、幾ら俺達でもペナルティーを課されるからな」


「その程度なら今の黒霧森に入っても死ぬだけですよ。今あの森を支配しているのは劫亢こうこうの座へと至った魔獣なのですから」

「何だお前?」


 窓のあった場所に一人、フードで顔を隠した少年が立っていた。


「ベルパスパ王国パスパグロン東区支部に所属している開拓者です」


「駆け出し、の気配ではありませんね……」

「なら解かるだろ。俺達は交渉をしてんだよ。引っ込んでろ」


「ご存知かと思いますが、二週間前に二千人の精鋭より編成された討伐軍が派遣され、壊滅しました。失礼ですがあなた方に森に入られると刺激された魔獣が暴れて、周辺に被害を生じさせる恐れがあります」


「っ、テメエ!!」

「……ここまで虚仮にされては黙っていられませんね。少年、今ならば謝罪を受けいれます。頭を床に擦り付けなさい」

「その半端に鞘から出した剣を抜き切ってください。それで答えが出ます」


「ガキがっ!!」


 少年が鞘に刀を納めた。


「峰打ちです。しばらくの間お休みください」


 襲い掛かったはずの相手の声が背後から聞こえる。

 その言葉でやっと、二人は勝敗が決したのを認識した。


「ばかな……」

「あ、ありえない」


 二人の開拓者は呆然と呟き、意識を失って床の上に崩れ落ちた。


「あ、あなたは?」

「魔獣対策法三条により、王位継承候補【パーナク・ベルパスパ】殿下からの特別依頼で参じました【青燕剣 ルルヴァ・パム】と申します。黒霧森の件、僕が預からせていただいてよろしいですか?」

「は、はい」


 支部長のサインを受けた書類が亜空間の蔵庫に仕舞われたタイミングで、エルフの女が到着した。


「あ、あんた。これは一体」


 少年は踵を返し、支部長に駆け寄る女と入れ違うように壁の穴へと向かう。


 朱い魔力洸が少年から溢れ出し、青い外套が鎧へと姿を変えていく。

 その数秒の間に、フードに隠れていた少年の容貌が露わとなった。

 

 結わえられた瑠璃色の髪。

 非常に整った少女のような顔立ちは、まるでこの世ならざる人形のよう。

 朱の瞳は強い意志の輝きを灯す。

 その調和が成すあまりの可憐さに、女は息をするのも忘れて見入ってしまった。

 

「き、君は何者だい?」

「僕はS級開拓者です」


 女の問いにそれだけを返し、青い全身鎧に身を包んだ少年は鋼の翼を広げて朱い風を纏い、黒霧森へと飛んでいった。


* * *


 死の魔境と化した黒霧森の中を、青い全身鎧の少年戦士ルルヴァが駆ける。


 雲の先まで突き立つ巨木の枝葉に陽射しは遮られ、地上は黒き霧が途切れることなく、ゆっくりと流れている。

 そこには数多の魔獣が潜んでおり、踏み込んで来た弱者を貪ろうと、待ち構えている。


『シャアアア!』


 巨大な蜘蛛が地面を割って現れた。

 木の洞から無数の毒百足が音も無く飛び出した。

 

「はっ」


 ルルヴァの握る精霊刀【飛燕王】が蜘蛛を両断し、全身に纏う朱色の風が毒百足達を粉微塵にして吹き飛ばした。

 

 蟲達の亡骸は瞬時にが欠片も残さずに喰らい、息つく暇も無く、上空から牛さえ呑み込めそうな顎門を広げた大鼠の群れが降って来た。


「【震雷烏しんらいからす】」


 ルルヴァの風が三百の雷の烏へと変わり、大鼠達を紫電のくちばしで貫いた。


「っ!」

 

 正面から襲い来た不可視の何かを左手に生み出した氷の槍で貫き、振り向きざま飛燕王を斬り上げる。


 氷の槍に貫かれて絶命した大蜥蜴が姿を現し、ルルヴァの四倍近い巨体の鉄熊が翡翠色の刃に両断されて転がった。


「らあっ!!」


 両手、振り上げた飛燕王が猛火を断ち切り、襲い来た鎧竜の爪牙と血肉を返す刃で斬り裂いた。


「まだ……」


 疾風を超える速さで駆け続けても木々の連なりは途切れることはなく、無尽蔵と思う程に強力な魔獣が次々と現れては襲い掛かって来る。

 

 しかし一つ川を越えた時に木々の中に古い石垣が混じり出し、二つ川を越えた時には木々に呑み込まれた古代都市の遺跡が姿を現した。


『『キャキャキャ』』


 枝葉の上で遺跡の建物の影で、灰色の猿達が嗤い声を上げる。

 餌食となった者達から奪ったであろう武器を持ち、鎧を付け、濁った魔力洸をその身に纏う。


 ぽつりぽつりと降り出す。

 雨音はすぐ、五月蝿い程になった。


 ルルヴァは右手に飛燕王を握り、左手に朱色の魔力を集中させる。


『『キャキャキャッ!!』』


 猿達の魔導鎧が戦闘起動し、魔導武器の錬玉核に洸が灯る。


「【灼璃川蝉しゃくりかわせみ】」


 ルルヴァの左手から放たれた炎が四百の川蝉の形となり、猿達を襲う。


『『キッキッキッ!!』』


 猿達の木々の枝葉を使った上下左右の立体的な動きは恐ろしく速く、また何匹かは朱い川蝉を迎撃しようとその手に持つ得物を振り下ろした。


 ズドンッ!!


 弾けた川蝉は爆炎と爆風を撒き散らし、それは離れた位置にいた猿達さえも巻き添えにした。


 空中で態勢を崩した猿達は、そのまま追尾してきた川蝉の直撃を受け、朱の炎の中で灰となって散っていった。


『『キッ――――!!』』


 川蝉から幸運にも逃れた猿達がルルヴァへと殺到するが。


『『キッ?』』


 一瞬前まで眼前にいたルルヴァの姿を見失い、猿達は離れた場所から鳴り響いた、刃が風を切る音を聞いた。


 鳴き声は途切れ、全て首を斬り落とされた猿達が、雨音と共に地面に崩れ落ちた。


『ギシャ――!!』


 雷鳴の彼方より、大樹の枝葉の天蓋を震わせる程の咆哮が鳴り響いた。


 急速に、圧倒的な魔力を持つ存在が地上へと降りて来る。


 飛燕王を中段に構えるルルヴァの目の前に、三mを超える巨躯の黒猿が静かに着地を決めた。


(強い)


―― その殺気の圧だけで、圧し潰されそうだと感じてしまう。


『グアッ!』


 黒猿の鋭い牙の生えた口腔から砲弾の如き衝撃波が放たれ、ルルヴァはそれへ飛燕王の刃を振り下ろした。


「くっ!?」


 ルルヴァの両手が軋む。

 想像以上の負荷に柄から手を放しそうになるが、逆に渾身の力を翡翠色の刃に込めて、ルルヴァは飛燕王を振り抜いた。


 斬り裂かれた衝撃波は暴風となり、それを受けた巨木の幾つが倒れ、地面が波打つように揺れた。


『ギシャッ!』


 黒猿が跳び、神速の右拳がルルヴァを襲った。

 大地が穿たれ、爆発。

 天まで届いた土砂は豪雨のように森へと降り注いだ。


 深く巨大なクレーターが生まれる。

 しかしルルヴァの姿はそこになかった。


『ギ?』


 翡翠色の刃が走る。

 寸前で割り込ませた黒猿の左手に線が描かれ、滲み出て傷となり、褐色に輝く血の飛沫が上がった。


『ギィイイイ!!』


 懐に飛び込んだルルヴァが、左手から詠唱破棄で発動させた戦術級上級魔法を叩き込む。


「【雨槍散閃うそうさんせん】」


 音速を超える水の槍の散弾が連続。

 黒猿の血肉を穿つには至らないが、それでも浅くない傷を幾つも体に刻んでいく。


『ギィアッ!』


 黒猿は衝撃波を連続で放ちながら跳躍を繰り返して後退。

 無数の水の槍をかわし、大樹の枝の上へと逃れた。


『ゴォ、ゴォ、ゴォ』


 黒猿は呼吸を荒げ、憤怒を抱きながら、地上のルルヴァを睨み付ける。

 

(千年を超えて生きる、この森の王たる我が……)


 敗北などしたことはなかった。


(百の国を滅ぼした……)


 千を超え、万を超える命を蹂躙した。


(多くの竜や化け物、英雄共を喰らってきた……)


 そしてついに冥宮ダンジョンの核を喰らい、定命の頸木くびきから解き放たれた。


(その、我が……)


 傷は全て再生した。

 しかしその痛み以上の灼熱が、全身を焦がす程に荒れ狂う。


(あのような……小さき者に)


 拳を握る。

 歯が、牙が軋みを上げる。

 

(屈辱!!)


『グオオオオオオオオオオオオオオオ!!』


 天地が震えた。

 黒猿から立ち昇る魔力の波動によって、空で暴風と雷が地平の果てまで暴れ回り、大地が狂ったように飛び跳ねる。


『オノレ――――――――――――――――――――!!』


 莫大な殺意の噴出と共に放たれた黒猿の咆哮。

 直径十kmにあった木々はその葉の色を失って朽ち、魔獣に至ることのできない虫や鳥や獣が地に落ちて、倒れていった。


『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――――――――――――――――――ッ!!』


 黒猿から黒い魔力洸が噴き上がる。

 背中には漆黒の竜の翼が生え、尾は黒い毒蛇の姿へと変わる。

  

 体は更に巨大となり、手足の爪は鋼の輝きを帯びる。

 牙の伸びた口からは炎の息吹が漏れ、瞳は凶星の如き赤い輝きを宿した。

 

「フゥ」


 荒れ暴れる大河の濁流のような黒猿の殺気を受けながら、しかしルルヴァは飛燕王をただ自然に、中段へと構えた。


―― 剣の基礎たる中段の構えは攻防の全てに応じる。


 黎明の優しい光のような、ルルヴァの魔力洸が高まっていく。


 濃く、深く、より朱く。

 夜を裂き、闇を退け、より朱く。

 

 太陽のように静かに、無慈悲に、暗黒を貫いていく。


 光を受けた暁の澄んだ海に、広大な世界が現れるように。


 研ぎ澄まされた朱い魔力洸の奥に、ベルパスパ王国最強の開拓者と謳われるルルヴァの、その真の姿が露わとなる。


「僕の名前はルルヴァ。ベルパスパ王国S級開拓者【青燕剣 ルルヴァ・パム】」

 

 ルルヴァの青い鎧が姿を変える。

 そして兜の額の部分が新たに開き、そこに朱の瞳の輝きが灯る。


『我ガ名ハ【オルギュニースタ】。コノ名ニカケテ、オ前ヲ殺ス』

 

 誰も知る者のいない黒猿の本名が、獣の発音で語られた。


 覇気と闘気、そして莫大なる殺気が交差する。


 暴風の隙間を柔らかな風が吹いた時。


 ルルヴァが必殺へと飛び、黒猿が蹂躙へと跳び出した。


「ツアッ!!」

『ガアッ!!』


 空中で朱色に輝く飛燕王の斬撃と爪刃の斬撃が激突する。


 一秒に百以上がぶつかり、それによって生まれた衝撃波が地面を消し飛ばし、巨木と雨雲を抉り砕いていく。


 一撃の威力は真玉の翡翠鋼より生み出された精霊武器の傑作たるルルヴァの飛燕王が勝り、手数は魔獣の究極へと至ったオルギュニースタの手足に生み出されし伝説の武器に勝るとも劣らない爪刃が上回る。

 

 飛燕王で左手の爪刃を斬り飛ばし、右手の爪刃を左手に生み出した氷の小太刀で受け流そうとするも、爪刃が纏う魔力に触れた瞬間、小太刀が蒸発。

 飛燕王を防御に回すが、刀身越しに伝わる爪刃の威力を受けて、ルルヴァは態勢を崩してしまう。


 そこへ再生した左の爪刃が襲い来るが、ルルヴァは炎を纏った右足で蹴り上げる。

 

 更に背後から牙を剥いた尾の毒蛇を振り向きざまに斬り飛ばし、そのまま回転して右の爪刃をも斬り飛ばした。


『ガアアッ!!』

「ふうっ!!」

 

 迫り来た牙を、劫火の息吹で迎え撃つ。

 しかしその炎を割って打ち込まれた左拳の直撃を受けてしまう。


「ぐ!?」


 音を遥か上回る速度で殴り飛ばされ、巨木の幹を何本も貫通し、叩き付けられた湖を爆散させてようやく止まることができた。


「っ、」


 つい一秒前まで湖だったクレーターの底で土を踏み、ルルヴァが立ち上がる。


 凄まじい速度で近付いて来る絶大なオルギュニースタの気配に、―― 畏怖 ――、肌が泡立つのを感じる。


「流石は『劫亢こうこうの座』に至りし怪物、といったところですか」


 オルギュニースタには『武』があった。

 それは人が長き年月を積み重ね、研鑽の果てに実らせた技であり、体であり、心の在り様であった。


 本能に支配された猛獣ではなく、知恵に溺れた賢者ではなく。


―― 完成に至った武人。

 

 だからこそ、最大の亡者であり天の定めにまつろわぬ最悪の力の結晶である冥宮ダンジョンを喰らい、消化し、自らの力とすることができたのだろうと、ルルヴァは理解する。


 体中に響く激痛を無視して飛燕王を構える。


 だから。


「幽幻の海にして凍神の青火 狭間に満ちる世界たる存在」


 ルルヴァの口から歌うように言葉が紡がれる。

 それは神羅万象の神秘を構成し、力として形を与える為の言葉ぶひんたる『呪文』。

 

「たゆたう力にして無形むぎょうの皇 ことわり現身うつしみよ」


 呪文の詠唱が重なる度にルルヴァから莫大な朱い魔力が放出され、それに耐えかねるように世界が悲鳴を上げて、揺れ動く。


「嘆きを聞かず 憐憫れんびんを覚えず 慈悲を消し 冷たい怒りを与えよ」


 それは古き時代には秘奥と呼ばれていた。

 それは超常の存在の姿をこの世界に顕し、世の理さえも変える絶威の力を解き放つものであった。


「来たれ虚戒きょかい哭壬なみ 絶息の終焉」


―― ただ一人が千万の軍を蹂躙し、数多の国々を滅ぼしたと伝説は語る。


―― その名は、


『ガアアアアアアアアアア!!』


 巨大な黒き翼を広げ、膨大な黒き魔力を纏い、炎獄の炎を宿した爪刃を向けて、オルギュニースタの巨躯が襲い来る。


―― 『天顕魔法』!!


「【青焔の皇 コルデバルク】」


 青の色彩が空気を塗り潰した。


 ルルヴァの朱い魔力から青い焔が生まれ、天の果てまで満ちる熱を喰らい尽し、積乱雲の如き巨大な怪魚の姿へと変わる。


『ルォォ』


 全てのねつを青い焔で奪い、絶対の虚無の零へと落とす、終焉の化身たる青き皇の朱の瞳が開く。


 飛燕王の切先がオルギュニースタを指すと同時、コルデバルクが驀進ばくしんした。


『グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!』


 灼熱の極炎と虚無の凍焔が激突する。


 黒い炎が青い焔に喰われていく。


『我ハ、我ハ!!』


 オルギュニースタの翼が砕け、尾が砕け、左手が砕け、顔が砕ける。


(指手猿飛流、)


 オルギュニースタの右爪刃が青焔を貫いた。


『王ダ!!』


―― 封義【心通剣】。


 疾風が去った。


『ッ』


 飛燕王の刀身の嵐が鎮まり、刃から青焔が消える。


 突きの終わりの着地、振り返り残心を取るルルヴァの前で、オルギュニースタの巨体が凍土の上に倒れた。


 凍て付いた黒霧森を斜陽の陽射しが照らし、彼方に白い月が姿を見せた。


 くすんだ朱色の空へ、風が翔けていった。


* * *


 七つの街壁の上で、『剣と盾を持つ白鎧の騎士』を描いた旗がはためいている。


 常白の山峰が連なる『パスパ山脈』を東に、数千の支流を持ち水平の彼方まで広がる川幅を持つ『パスパ川』を西に、大交易路である『ドド帝街道』のハブとして、ベルパスパ王国の王都『パスパグロン』はあった。


 オルギュニースタとの死闘から五日後。第七街壁の東に作られた煉瓦造れんがづくりの白い駅舎に、ルルヴァの乗る旅客馬車が到着した。


 旅姿の人々が共に広い駅の中を進む。

 路面電車乗り場や大通りへ向かう者達と離れ、ルルヴァは一人、駅舎裏の路地の方へと歩いていった。


 路地には表の活況とは異なる穏やかな賑わいが流れており、それを挟むようにしてベルパスパ王国の古い様式の建物と、異国の様式の建物が混在して建ち並んでいた。


 ルルヴァは顔見知りに挨拶をしながら進み、『パスパグロン開拓者協会東区支部』と達筆で描かれた看板を掲げる、古い館の中へと入っていった。


 老若男女、エルフから獣人まで様々な人種がホールの中にひしめいていた。


 黒樫のカウンターで名前を呼ばれた者が依頼の契約を案内され、または報酬を受け取り、それぞれの窓口もしくは併設されたカフェへと足を向けていた。


 ルルヴァは少しそれを眺め、カフェへ向かい中へと入っていった。


 昼に近いためカウンターやテーブルは全て埋まっていた。

 少し眺めていたくて、意識して気配を消したルルヴァに誰も気付かず、飲食の音とそれに混じる雑談の声が室内を行き交っていた。


「ん?」

「あ、ルルヴァ様!」


 隅のテーブルから割烹着姿の少女が歩み寄って来る。


「ゼブさん」

「よくぞご無事で! 黒霧森に生まれた劫亢こうこうの座を単独で討伐に行かれたと聞いたときには、もう本当に肝が冷えました!!」


 満面の笑みでゼブはルルヴァの帰還を喜ぶ。優雅にカップを傾けてコーヒー、ではなくほうじ茶を飲んでいた近衛騎士の制服姿の青年が立ち上がり、ゼブを押し退けて、ルルヴァの目の前に立った。


「ちっ、生きて帰ったか」

「ただいま戻りました兄上」


 黒髪蒼眼の青年【パーナク・ベルパスパ】は眉をしかめて、不機嫌そうに言葉を吐き捨てた。


「私を兄と呼ぶな。忌々しい平民が」

「もうっ、主様!」

 

「ああそれと。S級に昇格後、すぐさま死地へ行かされた気分はどうだ?」

「とても疲れました。死ぬかなと思う場面も少しありましたが、まあその程度です」


劫亢こうこうの座を相手にして随分余裕な物言いだな。流石は、と誉めてやろうか?」

「ありがとうございます。まあ何より」


 笑みを浮かべて、ルルヴァは答えた。


「僕には飛燕王がありますから」


 ベルパスパ王国にあると知られる、九本目の精霊武器。

 作者を伝えるものはないが、しかし翡翠鋼の真玉を使い、他を遥か超越した技量でもって作り出された、その次元の違う完成度の高さから、伝説の【雲水自然うんすいじねん】の作であるとするのが通説となっている。


「ふん」

「主様が本当に申し訳ありませんルルヴァ様」


「いえ、ゼブさんが謝ることでは」

「いえいえいえ! もう子供っぽくて、本当にお恥ずかしい限りです~」


 平身低頭で謝るゼブをよそに、当のパーナクはそっぽを向いて、やたら猛々しく彫られた虎猫の置物へと視線を向けていた。


「ペローネの調子はどうですか?」

「学年首席の常連で教員連中がやたらと褒めていた。交友関係も良好で、あいつを慕う者も多いと聞いた」


 ゼブが裾を引くも、フンッと鼻を鳴らす。


「つい先日には生徒会から役員の打診がされたという話だ。ま、いつ化けの皮が剥がれるか見物だがな」


 見下すような笑みを浮かべるパーナクに、ルルヴァは心の底からの礼を口にした。


「ありがとうございます兄上。これも兄上が後見を務めて下さったお陰です」

「……平民が」


 けっぷ。


「兄上?」

「行くぞゼブ!!」

「もう、飲み過ぎですよ主様……」


 肩を怒らせて、周囲の呆れた視線を浴びながら、パーナクは去っていった。


* * *




* * *


~ 王城第七階層・統治省区画 ~


 王城に着いたルルヴァは待っていた固太りの男に先導され、その後を付いていく。


 白亜の壁は何処までも続き、美しい花模様の硝子窓からは陽の光が注ぐ。

 天井を彩るのは聖域の幻想を描いた絵画の傑作であり、宙に浮く火晶石の照明は錬金術の成果であった。

 

 旅装を解き、質素な服を着るルルヴァの姿を見た者は、知らなければ迷い込んだ美しい町娘と思うだろう。

 そしてこの美の傑作が満ちる空間の中において、或いはルルヴァこそが主題であったと考えた者は少なくなかった。


 文官の礼服を纏う者。

 武官の軍服を纏う者。


 凡百の余人を圧倒する鋭い気配を纏う、ベルパスパ王国の得れび抜かれた俊英達。

 政務に軍務に邁進しているはずの彼らが、


「キャ―! ルルヴァ君!」

「ウオ―――!! ル、ルルヴァ!!」


 ルルヴァへ抱き付き、中には涙を流す者までいた。


「良かった、本当に生きて帰って来た」

「た、大尉殿、私は信じていました!」


「ごめんなさい、心配を掛けて」


「「うおお!!」」


 爆発する歓声。


 それを静かに、ルルヴァを先導していた男が諫める。


「気持ちは分かります。ですが終業時間はまだ先です。お仕事はきちんと、契約による義務の分は務めてください」


「大臣閣下、頭固いっす」

「そうですよ、そうですよ」


「あの、みんな。気持ちは嬉しいけど、お仕事も大事だから」


「「は~い」」


 ルルヴァの言葉に渋々と、皆は去って行った。


「ルルヴァ様、お手を煩わせて申し訳ありません」


 ルルヴァは首を横に振る。


「僕も嬉しかったですから」


* * *


「どうぞこちらへ」


 男が応接室の扉を開けてルルヴァを招き入れる。

 秘書の女がすぐに現れ、椅子に座ったルルヴァと男の前に紅茶と菓子の用意を行った。


「ウーナルポンパ様、これが討伐の記録と魔獣の宝珠です」


 ルルヴァは記録方石と透明な結晶体を男、ウーナルポンパ究極大臣へと渡した。


「お預かりします」


 ウーナルポンパは傍らに用意された箱型の機械に宝珠を置き、スイッチを押した。

 計測用の針が狂ったように回転し、中右の画面では0から9の数字が飛び回る。


 最後に結晶を優しく舐めて、ウーナルポンパはハンカチで拭いたそれをルルヴァへと返した。


「魔力波動の固有性、その他諸々が黒霧森の劫亢こうこうの座と一致しています」


 ウーナルポンパは秘書が渡した十数枚の書類に手早くペンを走らせ、その最後の一枚を両手で丁寧に持ち、ルルヴァへと渡した。


「S級開拓者【青燕剣 ルルヴァ・パム】様。S級限定指定依頼の完了を私、究極大臣【荒野のウーナルポンパ】が確認しました。お疲れ様でした」


 ウーナルポンパの顔には優しい笑みが浮かんでいた。

 その珍しい光景を見入ってしまった優秀な秘書は、抱えていた書類を思わず落としそうになり、可愛らしい悲鳴を上げた。


* * *


 王城の中に造られた東方風庭園の一つは、ルルヴァがそのデザインに携わったものだった。


 赤の色の鮮やかさを主とし、黄の暖かさと青の清冽さが、黄昏の気配を形作っている。


 ルルヴァは懐中時計の針と、ウーナルポンパの秘書から渡された手紙に書かれている時間を確認した。


「手の込んだ事を。まあそれだけ……」


―― 時間となった。


 何もない空間から軍服の兵士達が現れ、ルルヴァへ魔導剣を突き付ける。

 

「あら、抵抗しないのですか?」


 大佐の階級章を付けた少女が首を傾げる。


「多勢に無勢だからね」

「潔い事。でもそれであなたに与えられるのは屈辱ですよ?」


 兵士達が拘束用の縄を取り出し、ルルヴァへと巻き付けた。

 蓑虫状態となったルルヴァが地面に転がされる。


「まあ何という事でしょう。我が国の若き英雄【青燕剣せいえんけん】が唯一人死地へ行かされ、群がる魔獣の相手をさせられた。どうして担当監督官たる私はそれを知らなかったのでしょうか? ねえ、S級開拓者殿?」

「えっと、その……」


「うん?」

「ごめんなさい」


 少女の右手の人差し指が、ルルヴァの唇をなぞる。

 その朱い瞳を覗き込むと、ルルヴァは顔を横へ逸らした。


「反省が足りないようですね」


 少女の魔法で蓑虫状態のルルヴァが宙に浮かび上がった。


「いらっしゃい。その可愛い顔が歪むのを見ててあげる」


* * *


「ハァハァ、凄かったわ」


 裸に剥かれ両手を縛られたルルヴァの上に、裸身の少女が覆い被さるように倒れる。


 頬を朱に染めながら、なお少女は長い金色の髪を振り、その口でルルヴァの口を貪る。

 艶のある高揚した息使いは水音を響かせ、手繰り寄せた短剣を一閃させて、ルルヴァを縛る絹縄を断ち切った。


 解放されたルルヴァの両手が、自身を貪る少女を優しく抱き締める。


 ぞっとするほどの美貌を持った少女、市民議会軍大佐【蛇王角 リクス・リーシェルト】はルルヴァの胸に鋭い犬歯を当てた。


「相変わらずSっぽいね」


 ルルヴァの右手がリクスの豊かな金の髪をくと、少女はその切れ長の紫眼しがんでルルヴァを睨み付けた。


「あら、まだ生意気を言える元気があるの?」


 ルルヴァは楽しそうに微笑んで、その両手でリクスを撫で続ける。

 それに頬を膨らませて、リクスはその身をまたルルヴァへと委ねた。


「黒霧森の劫亢こうこうの座討伐で、派閥の趨勢すうせいはエトパシアの側に傾くでしょう。馬鹿オヤジやストーカーとの最終決戦はあるけど、現状はパーナクのボケもやっと肩を並べられた、といった所でしょうね」


 細く、しかし鍛えられてなお女を感じさせる腕が、ルルヴァの顎を掴む。

 キリッと強められたリクスの口からは強い声が紡がれる。


「喧しくさえずる愚物どもを斬り裂くだけなら簡単なんだけど。政治、派閥、そして立場。ああ何と煩わしい事かしら」


 ルルヴァがリクスの頬を撫でる。

 リクスはルルヴァの胸の傷を摘み、その唇から出した小さな舌で舐め上げた。


「神殿を黙らせる条件は揃い、政治の盤面が整うまで後少し」


 二人の唇が合わさる。


「これでやっと。ルルヴァの故郷を取り戻せるわ」





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