ゾバヌート・テトン 一

 黒い革鎧に身を包んだ髭面の偉丈夫が岩に腰かけていた。

 彼、【愚の小人 ゾバヌート・テトン】は手の中の魔生石を弄ぶ。

 眼前では、捕縛されたパムからの逃亡者達へ、彼の部下達が思い思いに刃を振るっていた。


 鼻を突く鉄錆を思わせる血の臭い。

 それを愉しむように、手に持ったスキットルを傾ける。


 中に入っていた薬酒の強いアルコールが喉を刺激する。

 口の中に広がる爽やかな苦み、微かな酸味、甘み。

 干した杏を口に入れる。

 これに勝る食べ物は無いとゾバヌートは思っている。

 

 気の利いた部下が用意したブルーチーズも頬張る。

 これも中々。


 闇に包まれてた森で、篝火に照らされて。

 軍事行動であることを忘れそうな気分になる。

 今度は息子達や生徒達を連れて来ようかと、ぽかぽかする気分の中で考えた。

 

「うん?」


 空間の揺らぎを感じた。

 それはやがて闇色の渦となり、その中から一人の黒衣の騎士が姿を現した。

 

「おいオヌルス。お前部下達はどうした」


 ゾバヌートは騎士へと問い掛ける。

 「小便か?」と軽口を言おうとして、騎士の纏う殺気だった気配に気づいて止める。

 

「ゾバヌート、兵を纏めろ」

 

 黒き面頬に隠された騎士の顔は見えない。

 しかし常に平坦に紡がれるオヌルスの声は冬の氷海を思わせる程に冷たく、そして荒れたものだった。

 

「何があった?」


 闇魔法の回廊からはオヌルスだけが姿を現した。

 一緒に行動していた聖典騎士団暗部の部下達の姿が見えない。


「『リーシェルトの悪鬼』が現れた」


 ゾバヌートは口に当てたスキットルを傾けて、グビリと喉を鳴らした。


「そうか。予想よりも随分早かったな。あの小娘が持つ能力なら、王国軍が来るのもすぐか」


 ゾバヌートは周囲の部下達に告げる。


「狩りは終わりだ。撤収するぞ」

「「はっ!」」

 

 兵士達が刃を濡らす血を払い、剣を鞘へと納める。

 彼らの足元は赤く染まり、人間や亜人達の体が血溜まりの中に伏していた。

 殆どが壊し尽くされて事切れていたが、僅かに、微かな呻き声を漏らす者達がいた。


「あ~あ。もう終わりか」

「あの世でしっかり魂を浄化しろよ」

「汚れた者達の魂よ。あるべき教えの世界へと還れ」

 

 兵士達は簡単な祈りを捧げてから土魔法で穴を作り、屍とそうなる寸前の者達をその中へ落していった。


「俺あんま魔法得意じゃねえからさ、誰か火ぃ頼むわ」

「それなら私が」


 魔法士の女が放った猛火が穴の中を走り、肉と骨を灰へと変えていく。

 異臭を放つ炎に照らされて、暗闇に包まれた森の影が禍々しく踊るように揺れる。

 

 それを背にして、兵士達は素早く撤収の準備を整えていった。


「さて、何処へ行くかな」

 

 ゾバヌートは考える。


 樹海の魔王の影響が濃く残るこの領域では空間魔法が使い難く、転移魔法に至っては心道位でさえほぼ不可能という有様。


 地の利は当然向こうにあり、時間が経つ程に此方が不利になる。

 そして何より、闇の勇者の帰還が間に合えば、その時点でこの作戦は失敗に終わる。

 

「パムにいる本隊に合流するか?」


 オヌルスの問いにゾバヌートは首を振る。


「数は増えるが悪鬼共を抑えられる程じゃない。しかも奇襲仕様で装備が軽い。騎士団が出張ってきたら、仮に同数だったとしても簡単に蹴散らされるぞ」


城塞級戦艦ネルトの到着を待つのは厳しいか」

「ああ。タイムリミットは魔族共がこの領域を出るまで。そもそもこの作戦でのネルトは、撤退の手段としての運用だ」


 宙には星々が瞬き、大地には暗黒の闇が横たわる。

 しかし夜明けの時は刻一刻と近付いている。


「兎にも角にも時間をどう使うかだ。となるとギャナン城塞一択となるが」

「一応ここに来る前にあの俗物に話は通しておいた。兵を五百なら出してくれるそうだ」


「おおっ! 流石はオヌルスだ!」

「ただそうなった場合、十分な見返りを用意しておけ、だそうだ」


「構わねえ。よしお前等! ギャナン城塞に行くぞ!!」

「「ハッ!!」」

 

「そう言えばベットリオはどうした?」

「連絡は来てねえな。ま、あいつが死ぬ事は無いし、悪いが先に行かせてもらおう。最悪でも何処かで合流するさ」

「そうだな」


 準備を終え、ゾバヌート達はそれぞれの装甲馬車へと乗り込んでいく。

 馬は静かに歩き出し、隠蔽の結界に包まれた馬車はその姿を闇の中に消した。

 

 鎧を一切脱がず不機嫌そうに黙りこむオヌルスの横に座りながら、ゾバヌートは自分の思考の中へと没入する。


(悪鬼が出張って来た……という事は『将狩り』のエルフも来るだろう)


 ゾバヌートが若い頃に見た戦場の光景が脳裏に浮かぶ。

 人の生命を貪る暴虐の炎を従えた、銀の髪のエルフの姿がゾバヌートの脳裏を過る。


 そもそもゾバヌートの祖国であるアッパネン王国とベルパスパ王国は長年の仇敵同士であり、魔王戦争の同盟もその場限りのものでしかなかった。

 紛争は何度も起こり、市井で生きていた頃のゾバヌートが住んでいた町もそれによって灰となった。


 焼け出されて王都へ流れ着いたゾバヌートは、魔法の扱いを得意としていた為に運良く騎士に拾われ、その従者となり剣を学んだ。

 そして魔導剣を携えて初めて臨んだ戦場こそが、アッパネン王国とベルパスパ王国がその雌雄を決した、『トラタソフィアタの丘の戦い』であった。


 青年と呼ばれる年齢になったゾバヌートは華々しい活躍と武勲の夢を見て、いつか将軍になるのだと、心に野心の火を灯していた。

 しかしそれは。

 開戦してすぐに浴びた仲間の血肉と臓物の洗礼によって、跡形もなく消えてしまった。


 無茶苦茶に振るう魔導剣は敵に当たる事はなく、逆に魔法の火球を受けたゾバヌートは無様に吹き飛ばされてしまった。

 仲間の兵達で出来た屍の山に頭を突っ込み、その死の感触に恐怖が爆発し、叫び声を上げて、死と破壊の世界の中を逃げ回った。


 ……。

 

 それからどの位時間が経ったかは分からない。


 いつの間にかゾバヌートは自軍の総大将達がくつわを並べる場所に立っていた。


―― 怒号と爆発。

 

 アッパネン王国の精鋭達、仰ぎ見た遥か高みにいた存在達が汚れ切った姿で、必死に何かを叫んでいた。


 それは聖霊の御名であったり、騎士の誇りであったり、家族や恋人の名前であったりした。

 

 敵兵の巨人の大剣が振るわれた。

 仲間の兵士達の上半身だった物の群れが、赤い血を撒き散らしながら空の上を飛んで行った。

 

 敵兵の魔人が放った魔法が炸裂した。

 哀れな仲間の兵士達が炎の中で塵になり、石の槍に貫かれてはりつけになり、風の刃に切り刻まれ、水の中に溶けて消えていった。

 

 エルフ、ドワーフ、スキュラ、鬼人、獣人、そして人間。

 

 ゾバヌートの視界に映るベルパスパ王国、人間と人間以外の兵士達。

 人間至上主義を掲げたアッパネン王国の者達は、汚れた血と蔑むベルパスパ王国の力に、観る者がいれば哀れを催す程に、ただただ粉砕されていくばかりであった。

 

 そしてゾバヌートは茫然と、仲間の血肉の上で、その光景を眺めていた。

 

「オオオオオオ」


 遠くに咆哮するベルパスパ王国の竜達の姿が見えた。

 その足元にはアッパネン王国の人間のむくろと兵器の残骸ざんがいで丘が作られていた。


 青い空。

 白い雲。

 大地には地獄。

 

「はは。は―――はっはっはっはっはっ」


 ゾバヌートの口から笑いが零れ、狂笑へと変わって爆発した。


(美しい)


 ゾバヌートが目指したものが、貴き高みに在った者達が、無残に蹂躙されて打ち捨てられている光景が。


 それを成した巨大な竜が、乾き澄み渡った冬の空へ気高き咆哮を叩き付ける威風が。


(美しい)


 ゾバヌートは空へ両手を広げた。

 傍から見れば降伏を示す姿だっただろうが、その本当は違った。

 

「はっはっはっはっはっ」


 ゾバヌートはこの地獄の全てを包み込もうとしたのだった。

 広げられた腕の中に、その体中に、戦場を吹き去る風が血の臭いを擦り付けていく。

 それはとてつもない快感であり、ゾバヌートは狂笑を上げながら射精した。

 

「おのれ―――ッ!! 汚らわしき人もどきの魔獣どもが!!」


 総大将が遂に自分の魔導剣を抜いた。

 彼の取り巻き達は全て息絶えていた。

 

「この王弟たる我が直々に貴様を地獄に送ってくれる!!」


 煌びやかな魔導剣の火錬玉に赤い輝きが灯った。

 彼は確かな実力者であり、武剣評価基準において一流たる証の『大剣位』の称号を持っていた。

 

 それに応えるように、銀色の髪を流したエルフの女が、ベルパスパ王国の軍勢の中から歩み出て来た。


 二振りの小太刀を構え、双眸には宝玉よりも美しい紫の瞳が収まっている。

 彼女こそがアッパネン王国の英雄【千刃覇】と【奏雷】を討ち取った英雄であり、西央大陸諸国に武名を鳴り響かせるベルパスパ王国の将軍でもあった。

 

 総大将が見苦しい程に罵声を浴びせるが、彼女の目はただ虫けらを眺めるようであった。

 さらに激昂した総大将が斬り掛かろうと魔導剣を振り上げた瞬間、その一歩を踏み出そうとする前に、彼の首は地面を転がっていた。


(美しい――――――――い!!)

 

 ゾバヌートに彼女の動きは見えなかった。

 気が付いた時には決着し、首を失って赤い血を噴き出した総大将の骸が汚泥の中に倒れていた。

 

 ベルパスパ王国のジャイアントが雄叫びを上げた。

 

「アッパネン王国の総大将は我らが『将狩り』閣下が討ち取った!!」

「「わあああああ!!」」


 歓声が戦場で爆発した。

 ベルパスパ王国の兵士達が武器を空へと掲げ、それを遮るものは何も無かった。


* * *


 アッパネン王国は策謀を巡らせて奇襲を行い、公爵たる王弟が総大将を務め、名だたる精鋭の殆どを投入した五万のアッパネン王国軍は、三万のベルパスパ王国軍に完敗した。


 『トラタソフィアタの丘の戦い』と名付けられたこの戦でベルパスパ王国はその栄光を歴史の中に刻み、アッパネン王国はその名を汚泥の中に落とす結果となった。


 アッパネン王国は国力を大きく減じた隙を突かれて周辺諸国から干渉を受け、少なくない領土を失う事になった。

 また領内の魔獣を抑える事も満足に出来なくなり、国土の荒廃は加速度的に進んでいった

 半年が経つ頃には、西央大陸の強国の一つに数えられたアッパネン王国は見る影もなく没落してしまった。


 ……。


 ……。


 ゾバヌートはあの狂笑の時の行動を降伏と解された為に捕虜と成る事ができた。そして生き残った僅かな者達と共にベルパスパ王国へと連れて行かれる事になった。


 ……。


 ……。

 

 戦後処理が終わった後、ゾバヌートはアッパネン王国へ帰る事はなかった。

 アッパネン王国へ送り帰される途中で、護衛の隙を突き、他の捕虜だった者達と一緒になって脱走を行った。

 

 そしてそれから長い間、ゾバヌートは世界各地を放浪した。

 そして流れ着いたある国で、精霊王より強大な力を伝授されるに至った。


 ……。


 ……。


 トラタソフィアタの丘の戦いから三十年が経ち、ゾバヌートはアッパネン王国へと帰った。


 かつてベルパスパ王国に捕虜となった者達でゾバヌート達と一緒に逃げなかった者達は敗戦の責任を擦り付けられて国賊とされ、凄惨な拷問の果てに一族郎党と共に処刑されていた。

 そしてゾバヌートも捕えられて処刑されそうになったが、三十年の間に培った実力と人脈が、襲い来た者達を返り討ちにした。

 

 そして現在。


 アッパネン王国の表に立つ王や貴族、高官達の中にゾバヌートの姿は無い。

 だがこの国でゾバヌートに命じる事ができる者は存在しない。

 ゾバヌートの言葉一つで王さえも凄惨な拷問の果てに処刑されるのが今のアッパネン王国であった。


 国を復興させ、国をひざまずかせて、しかしなおゾバヌートは『満たされた』と感じる事はなかった。

 

 あの戦の時から、この今の時も。

 ゾバヌートの脳裏にはあの美しいと感じた光景が、色褪せる事無く輝き続けていた。

 

 戦場で見た銀髪のエルフの姿を思い出す度に、ゾバヌートの男根は熱い熱を帯びた。


 ……。


 ゾバヌートは使い古したスキットルを傾け、中の薬酒を口の中へと流し込む。

 欲望の熱が落ち着き、頭の中がクリアになった。

 それでも口の中から唾が溢れそうになるのはどうしたものかと、部下達に見られないように苦笑した。

 

(ああ、)


―― 楽しみで、愉しみで。

―― どうにかなりそうになる。

 

―― ああ、もっと。

―― ああ、早く。

 

「再び見えるか。将狩り【桜火の剣 ミカゲ・リーシェルト】」


 他人事のように呟いた言葉に、ゾバヌートは思わず射精した。


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