畏怖 ※

~ パム ~


 パムの住民達が去った広場を、有機物と無機物の焦げた臭いが漂い満たす。


「ウァァァァ」

「助、ケ……」


 鎧と衣服を剥がれて四肢を断ち切られ、炎をくべられた鉄の筒に納められたのはアッパネン王国の将兵達。


 ミカゲはそれをただ静かに見つめる。

 陽を沈め、夜の闇を招く重い紫の色を宿す瞳。

 それは強き魔の力を宿した魔眼。


 悲痛と苦悶の声を上げる将兵達は、身体だけでは無くその精神、いや魂もまたミカゲの『冥獄の魔眼』によって焼き続けられていた。


 彼らの頭には太い鋼の針が打ち込まれ、その針から彼らの思念が、対応する魔導機に受信される。


 ベルパスパの神官兵が眼前に置かれた筐体きょうたいから漏れ出でる彼らの偽らざる魂の言葉を、正確に書面に記していった。

 

「さて、最後に問おう」


 この会話なき尋問の最後になって、初めてミカゲが口を開いた。


「この愚な行いに手を貸したのは誰だ?」

「「~~~!!」」


 焼けただれた肉の口からは絶叫が、筐体からは爆発するようなノイズが迸る。


 激しくこすれ合う鉄が奏でる不協和音のような音の爆発。


 しかしそれは確かにある人物の名前を示していた。


「……そうか、そうだろうな」


 パチリとミカゲが右手を鳴らした。

 

「「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!」」


 全ての炎がさらに激しく燃え上がる。

 その眩しい光は広場を照らし、廃墟となった町の姿を浮き彫りにした。


 炎の揺らめきと共に町の影が踊る。

 十秒。

 鉄筒はその中身ごと灰となって消えた。


 ミカゲは傍らの孫娘、リクスに労いの言葉を掛ける。

 

「ご苦労様。後は私がやるから戻って休んでなさい」


 しかしリクスは、自らの祖母の言葉に首を横に振った。

 

「いいえミカゲ。私は最後まで事に当たるつもりよ。アッパネン王国の問題は聖典教会、そして神殿の在り方に関わるもの。教義を語り暴虐を働く彼の黒騎士が出て来た以上、聖女としての誅罰の責務を果たさなければならない。何より、」


 リクスの額から二本の黄金の角が現れ、夜の風に流れる黄金の髪は白金の色へと変わる。

 英雄の領域さえ遥か超える魔力が、十四歳の少女の体から溢れ出す。


「出なさい【蛇腹太君じゃばらたいくん】」


 左手の腕輪が輝くと目の前に銀の大槍が姿を現した。

 それはベルパスパ王国が所有する五つの真玉製精霊武器の一つであり、波打つ銀の模様が特徴的な『銀琥鋼ぎんここう』より鍛えられし大業物たる剣槍。

 生きる伝説たる名工【歌舞喜かぶき】の作であり、その見る者を凍てつかせるような威風は、リクスが常に用いる聖銀の槍と比べてさえもなお別格のものであった。

 

「ハッ!」

 

 柄を掴み、虚空に刃を踊らせて残心を取る。

 そしてその視線を鋭くミカゲへと向ける。

 

「何よりパムを落とすなど、星の聖女である私のメンツに泥を塗ってくれたわ。落とし前を付けさせなければ私の気が納まらない!!」


「「オオッ!!」」


 リクスの叫びに呼応して兵士達も雄叫びを上げ、各々の得物の切先を空へと突き上げた。


「仕方ないわね。でも戦場に立つ以上は覚悟と戦果を期待するわ。疲れた帰るは許さないわよ?」

「ええ、わかっているわ」


 リクスは開けた地面へと右手を突き出した。


無窮むきゅうの大地に根差し 生と死を司る皇よ」

「我が力を器とし 絶異無双の武威として顕現せよ」


 右手から放たれた膨大な魔力が、大地に巨大な魔法陣を描き出す。


「【大地皇 ニグナトス】」


 黄金の魔力洸がそらへと噴き上がり、その中から、三十メートルを超える黄金の大蛇が姿を現した。

 閉じられていた瞼が開き、銀の眼が妖しき輝きを放つ。


「ヴォオオ―――ッ!!」


 黄金の大蛇が咆哮し、その声に天と地が揺れ動いた。


 跳躍ちょうやくしたリクスが大蛇の頭に着地し、槍の切先を彼方へと向ける。


「さあ行くわよ!!」


 * * *


 パムより南方三十kmの砂漠、「砂礫の大地」の上空をアッパネン王国所属浮遊型城塞戦艦【ネルト】が進む。

 しかしその艦内は今、蜂の巣を突いたが如き狂乱の中にあった。

 

「警報を鳴らせっ! 呆けているバカは一人残らず叩き起こせ! 死ぬぞっ!!」


 この三十年でアッパネン王国は大きな発展を遂げた。

 トラタソフィアタの丘の戦いから数えれば六十年の月日が流れたが、あの大敗北以前と比べてもより豊かに、そして強い国となった。


 魔王戦争では大きな傷を負わず、むしろ各国への軍事的・経済的支援を積極的に行い、国際社会での発言力を増大させる事に成功した。


 そして今のアッパネン王国でベルパスパ王国を怖いと、恐ろしいと語る者は少ない。

 勇者を誕生させる事こそ叶わなかったが、国力では上回ったという自負を多く者達が抱いていた。

 

 マスコミが国民へと流す情報は開戦派の主張が殆どを占め、世論はそれに踊らされるように加熱していた。


 魔王戦争後に教皇が行った統制が無ければ、疲弊したベルパスパ王国へ餓狼のように攻め入ったであろう事は、誰もが思う所であった。


 だからこそ聖典教会から魔族討伐の要請が来た時に、アッパネン王国は歓声を上げ、国王会議はパム強襲を総議員の賛成で可決した。


 チチト騎士団と黒衣の聖典騎士達を市民は大歓声と共に見送り、ネルトもまたその巨体を浮上させ発進した。


 正義の戦い、そして長き敗北の記憶の清算。

 兵士達の戦意は沸騰し、進み往くベルパスパ王国への道筋を、ギラギラした目で睨み付けていた。


―― そして彼方に空が白む頃。


 砂地二~四m上を浮遊して進むネルトの兵士達が異変に気付いたのは、進み往く地平の先に無数の巨大な蛇の群れの威容を見た時であった。


「何故これ程接近されるまで誰も気付かなかった!?」

「探知魔法及び魔導レーダーに反応はありませんでした! 今もです!!」

「魔導士隊の索敵も同様に反応無しとの事です!!」

「馬鹿野郎! もう索敵はいい! 無駄な機器は放ってネルトの武装を全て戦闘起動しろ!!」

「「了解!!」」

 

 ネルトの二百八の魔導砲が起動する。

 大地を揺らす巨大な蛇の群れ、その先頭を驀進ばくしんする溶岩の蛇がその顎門を開いた。


「放て!!」


 ネルトから魔導砲に加え、従軍魔法士達による数々の戦術級魔法が放たれた。

 蛇達を迎える無数の爆炎と爆風の嵐。

 固唾を呑む兵士達の視線の先で、煙と炎を突き破った溶岩の蛇が姿を現した。


『ボオオオオオ!!』


 蛇がネルトに喰らい付き、防御結界に阻まれた。


「制御部! 結界の出力を上げろ! 破られるぞ!」

『もうこれ以上は無理です! 計器類はとうにバカになっちまって、魔力炉の熱がヤバいんですって! あと少し出力を上げたら良くて機関停止で墜落、最悪は大爆発です!!』


 伝声管からの声に、艦橋の誰もが顔を青褪めさせた。


 火花を散らし軋む結界を維持しようと魔法士達も必死で結界へ魔力を送る。


―― しかし。


「く、こ、これは、」

「も、もうダメだ……」


狼狽うろたえるな小童こわっぱ共」


 艦橋の扉が開かれ、杖を突いた一人の老魔法士が中へと入って来た。


「老師!!」

「案ずるでない。ワシに任せるのじゃ」


 艦長に頷き、老魔法士は黒い瞳で眼前の光景を睨み付けた。


 白髪と豊かな白髭を垂らし、手に持つのは七千年の時を経た黒呪樫の魔杖。

 痩躯の外見に反し、内に秘める魔力は猛々しくもその流れに澱みは無く。

 レトロ趣味と言える丈の長いローブを纏う姿と相まって、まるで伝説が現実となって現れたようであった。


『結界が破れます!!』

「魔力炉を緊急停止させろ! 老師が出られるぞ!!」

『っ!! 了解です!!』


 結界が消え、溶岩の蛇の灼熱の口腔が目前に迫る。


殲光せんこうよ れ」


 老魔法士による超級魔法【絶対焦滅ぜったいしょうめつの光雷神槍】の一撃が放たれた。

 極大の雷光が虚空を走り、溶岩の蛇の頭部を吹き飛ばし、彼方の高層雲を消滅させた。


 ネルトの兵士達は歓声を上げる事を忘れ、その現実離れたした光景に心奪われ、呆然と立ち尽くしていた。


「呆けるなバカ共が! 他の蛇が来るぞ!!」

「っ、はい!」

「申し訳ありません!」


 艦長の怒声に我に返った兵士達が武器を構え、襲い来る蛇達へ向き合おうとする。


「鬱陶しいわい」


 しかし老魔法士が生み出した魔法の竜巻がネルトを包み、蛇達を風の刃で細切れにしていった。


「【號風ごうふうの大魔杖 グッパー・グラン】、王選十輝将の元筆頭であるあなたが来ているとはね。病床に臥せっていると聞いてたけど?」


 少女の声が響いた瞬間、竜巻が消失した。

 艦橋の天井より上が斜めにずれて、下へと滑り落ちていった。


 滑らかな切断面にトンッとリクスが降り立つ。


 兵士達が魔法と魔導矢まどうしを放つが、彼女が握る銀の剣槍の一振りで、全てが容易く薙ぎ払われてしまった。


「私に魔法は無駄よ。ま、なまくら握って向かって来ても同じだけどね」

「な、蛇腹太君!? よりにもよって貴様が継承者だと!?」


 艦長は敵国としてベルパスパ王国を研究して来たからこそ、国宝として秘蔵される『五宝刃』の知識があった。


(か、勝てる訳がない)


 戦意を失った艦長の姿を見たリクスは興味を失くし、唯一自分へと戦意を向けるグッパーへ蛇腹太君の穂先を向けた。


「降伏してくれたら一撃で首をねてあげる。抵抗するなら奴隷にして地獄を見せてあげる。どうする、おじいちゃん?」

「ふん、態々わざわざ死にに来おったか。恐れ多くも聖女を僭称する、混ざり物の血を引く小娘よ」


 グッパーは全身の魔力を更に高め、魔杖の先をリクスへと向けた。

 

「そう。まあアッパネンの下郎がどっちを選択するかなんて分かり切ってた事だけど」


 蛇腹太君を一閃。

 

「へえ、」


 空を薙いだ銀の刃に、リクスは笑みを深めた。


「ここで使えるんだ、転移魔法。腐っても何とやらね」


 襲い来る兵士達を魔力波動で吹き飛ばし、グッパーが逃げた先へとリクスは視線を向けた。


 八千人を要する城塞戦艦と老いさらばえた大魔法士。

 どちらが脅威かなど問うまでもない。


 十万の兵士でネルトを止める事は出来るだろうが、三十万の兵士が死力を尽くしてもグッパーを止める事は難しい。


「私は號風ごうふうの大魔杖を追うわ。ここの制圧は任せたわよ」

「「はっ!! お気を付けて!!」」


 結界の消えたネルトに大蛇達が喰らい付き、その中からリーシェルトの兵士達がネルト内へと侵入。

 艦橋へと辿り着いた彼らに後を任せ、リクスは跳躍し、上空のニグナトスの上へと戻った。


 天へと昇るニグナトス目掛けて、グッパーの召喚した二万の精霊兵が襲い掛かって来た。


『ヴオオッ!』


 ニグナトスの黄金の鱗より生じた聖炎が、精霊兵の全てを焼き尽くした。


殲光せんこうよ れ」

「無駄よ!」


 リクスの蛇腹太君が溶岩の大蛇を消し飛ばした極大の雷光を斬り散らす。


「超級魔法を物ともせぬか、忌々しい化け物め。よかろう、ならば我が秘奥たる天顕魔法てんけんまほうを冥途の土産に見せてやろう!!」


 大鷲の上に立つグッパーの掲げる魔杖に、緑色の魔力洸の筋が浮かび上がる。

 先端に巨大な魔法陣が出現し、内部の法印がゆっくりと回転を始めた。

 

―― 天顕魔法。

 

 俗に言う古代魔法を形作る根底の思想に在るのは原始的なアニミズムであり、『観念魔法かんねんまほう(現代魔法)』とはその根本から仕組みの異なるものである。

 

 魔力を用い人による事象の操作・支配を行う観念魔法と比べ、使い手の魔力を媒介として高位存在の力をこの世界に顕す天顕魔法の威力は凄まじい。


 そう、言うなれば天顕魔法とは。

 人が神の力を行使するという事である。

 

「我が魂と共にある風よ」

「邪に荒ぶり 聖を成す力よ」

「剣を抜け 剣を捧げよ」

「嵐を呼べ 嵐を奏でよ」

「出陣の喇叭らっぱを鳴り響かせよ」

「戦場はここに」

「祝福の主たる風の戦乙女の将軍よ」

「今ここにその御業を顕したまえ」


 高速回転する法印。

 緑の魔法陣から現れ吹き荒れる緑色の嵐が、強大な存在の姿へと収束していく。

 

「【征嵐将軍せいらんしょうぐん シルフィネア】」


 魔法が完成し、天空に二十mの戦乙女が顕現した。

 三つの顔を持ち、背には鷲の翼が広がり、両手には巨大な聖剣を握る。


 力尽きたグッパーは魔杖にもたれ掛かり膝を突くが、皺だらけの顔に凄絶な笑みを浮かべ、怯む事なく黒い瞳をリクスへと向けた。

 

「征け!! あの小娘を切り捨てろ!!」


 風の戦乙女が動く。


 神速の一撃が振り下ろされ、それにリクスは全力を込めた蛇腹太君で迎え撃った。


『な、何だこの力は!?』


 リクスの黄金と銀が混じる極大の魔力刃が聖剣と互角に、いや、互角以上にせめぎ合う。


「人の力を舐めるな高位存在かくうえ、ってね。ニグナトス!!」

『ゴアッ!!』


 ニグナトスが黄金の劫火を吐き出した。


『こ、こんな、』


 戦乙女はもう一振りの聖剣で直撃を防いだものの、致命的に態勢が崩れてしまっていた。


『矮小なる存在にこの我が!』


 ニグナトスから跳躍したリクスへ無数の風の刃と雷の槍が襲い来る。しかしその全てがリクスに触れる事無く消滅する。


『バカな―――!!』

「ハアッ!!」


 蛇腹太君が振り下ろされ、二振りの聖剣と共に、風の戦乙女を両断した。


 ……。

 

 ……。

 

 風が散る。

 

 消え逝く戦乙女の側頭部、その怒りの顔が大地を背に泳ぐ黄金の蛇身を見詰め、その悲しみの顔が天へと翔ける双角の少女の姿を見詰める。


 彼方より昇る太陽の光が大地を輝かせ、そして何よりもリクスを輝かせた。


 それは神秘とも言える美しさであり、神々しいとさえ言える光景であった。


(そうか。畏怖すべきは我の方であったか)


 その思いを残して。


 風の戦乙女、その将たる存在を写した魔法は、黎明れいめいの光の中に消えて逝った。

 

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