第9話「遭遇(エンカウント)」


 トーリェン・プリムの街を背に、去り行く私達の姿があった。



 街の城壁を過ぎた外。馬車で約30分。長い道のりの果てにようやく我が家を拝む事ができる。

 そう、これがパパの個人的な所有地なのだ。そして、その中央に我が家があるのである。


 ここも一応、城壁で囲まれているから安全ではあるらしいんだけど。



 長い。道のりがめちゃくちゃ長い。



 なので、城壁からは一応メイドさんが着いて来る。

 念のため迷わないためと、万が一の時の警備のためらしい。

 ちなみに、街中でもこっそりと護衛をしていてくれたらしい。

 あの授業でゴーレムを倒すところもバッチリ見てくれていたのだそうな。

 ……一体どこにいたのだろう。さっぱり影も形も見えなかったよ。

 それは兎も角として。


 あ、そうだ。街なのに城壁? って思ったでしょ。

 ふふ~ん。実はこの城壁。お城の周りの壁並みに高くて頑丈なのです。

 しかも斥候さんが常に配置されてるし、バリスタとかも念のために配備されてるお城仕様なんだぞっー。


 これで、もしモンスターがやってきても安心だね!


 さぁ、夕日をバックに凱旋だ。

 今日は土産話が沢山だ。自慢しちゃうぞ~。



 ちなみに、馬車をあえて使わないのは鍛錬のためだ。

 ララちゃんが乗り物酔いしやすいから、という理由もある。


 酔い止めの魔法は一応存在はしているけど、医療魔法なので習得には専門の医療免許がいる。

 簡単な治癒なんかは最初に覚えさせられるんだけどね。


 で、お薬を買うほどのことでもない、という事で、毎日楽しく長い道のりを鍛錬しながら登下校しているのです。


 ちなみに、危険な攻撃魔法なども免許制だよ。

 無免許で使えるのは安全な3級魔法。日常に役立つものくらいだ。

 攻撃とか殺傷目的で使用されるものは2級魔法って言って、覚えることはできるけど、責任者の許可がない限り使えない。

 勝手に使うと罰則。最悪死罪だ。怖い怖い。


 まぁ、緊急事態とか情状酌量の余地なんかがあれば別らしいけどね。



 さて、そんな帰り道。



「第五問~! 私達の住んでいる領土――」

「エーフィン・グランデンじゃな」

「あー、ずるいー。問題の途中~」

「かっかっか。卑怯も戦術の内じゃ」



 私達は勝利の余韻を胸に秘めつつ、次なる知のテストに向けて地理の勉強を行いつつ帰宅していた。



 ちなみに、余りにも距離が長いので魔法を使って進んでいたりする。


「待って~二人とも~」


 ララちゃんが必死に追いかけてくる。

 と、いっても言うほど必死ではないが。


 ララちゃんは風の精霊の加護を得て、ホバー移動で進んでいるからだ。

 凄い楽チンそう。


 アレで大体通常の三倍程度のスピードで進めるらしい。

 うらやましい。


 ちなみに私とシアは、風圧力場エア・ブーストで跳躍して、推力風圧エア・スラスターで衝撃を和らげて着地する事を繰り返しながら移動している。


 こっちのが歩くより断然早いんだよね。


 ちなみに、メイドさん達もブースト&スラスター派みたいだ。


 これ、風圧力場エア・ブーストを使用する際のバランス感覚練習にもなるし。良い鍛錬になるんだよね。

 長距離を移動するためのバランスとか。高さを上げ下げして、もっと飛距離を伸ばせないか、とか色々研究にもなるし。


 ちなみにララちゃんのホバー移動、風精推力維持エア・バーニアは精霊魔法という特異な才能の持ち主しか使えない。

 正確には、精霊のサポートが無いと、ああいった長期持続で体を浮かせて速度を得るのって再現させようとするとけっこう魔紋容量を喰うんだよね。


 一方、風圧力場エア・ブースト推力風圧エア・スラスターは一瞬の効果だから、無詠唱で使っても魔力消費量コストは最終的にはきついけど容量はさほど喰わない。


 この辺については、魔法の授業の際にでもまた詳しく。


 とりあえず、ジャンプは何度も使わないといけないので案外疲れる。ホバーはリーズナブル。

 一方、瞬間的な加速度とかは風圧力場エア・ブーストの方が優れていて応用が利く。

 跳躍中の回避行動の瞬発力とかも、一瞬の感覚で言えば推力風圧エア・スラスターの方が若干使い勝手が良いと思うし。

 一長一短なんだよね。



 それはさておき。さっきの地理の問題に戻るね。



 エーフィン・グランデン。



 それがパパの統括する領土の名前。

 私達が今住んでいるこの領土だ。


 レムリアース王国七大領の一つ。西方を位置する広大な領土の一つだ。


 純人族の他に、主にエルフや妖精族フェアリー小人族ショーティや半獣人族の集落なんかが点在する自然の豊かな土地。


 大きさ的には……東西と南北に、大体……多分、1400万踏足レノリずつくらい。




――つまり、横と縦に大体4500km程。 かなり広大な土地である事がわかるはずだ。面積になおすと数が面倒なんで簡便な。




「それでは第六問、東方と東南――」

「メレーネン・タオシェンだねっ」

「うむ、レムリアースの東方と東南にある諸島列島を領土とする広大な海に面した平原の国。通称、海領国じゃ」

「三大名所の一つ、美しい珊瑚の浜辺コーラル・パークとかがあって人族や半獣人族以外にも、水棲人イクテュースが沢山住んでいるんだよね」

「そこまで覚えてればきっと次の地理はパーフェクトだよ。ミリアちゃん」

「やったーっ」



 こうやって、地理の勉強で頭を使いつつも、何気ない行動の一部として魔法使用のバランス、移動感覚を同時に行いつつ訓練を行う。


 そんな感じで私達は毎日の鍛錬を行ってきたのだ。


 もちろん。寝るまでの間に色んな白兵戦の型の稽古もするし、勉強もする。


 そういった毎日の積み重ねの成果が、今日の勝利だった。




――人間、努力を積み重ねていれば必ず結果は出せる。




 その努力の果てにはきっと――。




 明るい未来が待っているんだ!




――そんな、淡い、幻想的なまでに甘い、幸せな未来を思い描いていた矢先だった。




 ドスンと、巨大な地響きがした。




「……え?」




 巨大な影が周囲を覆っていた。




「は……ふぇ?」




 ララちゃんが、それを見上げながら言葉を失っていた。




「な、そんな――」




 シアが、正体を一瞬で見破ったのか、絶望の表情でそれを眺めていた。




――目の前に、巨大な怪物がいた。




 それは、高さで言うと私の三倍ほど。




 高さだけで12踏足レノリ



 体長はおおよそ30踏足レノリ程だろうか。




 まさに今日、ゴーレムで擬似戦闘してきた中級魔獣。いや――。




 これはそれを遥かに上回る、準大型魔獣。




 四つの蒼紫の歪んだ眼を持つ、逆毛立つ全身真っ黒の、牛のような角を持つ巨大な狼。




「……四眼巨大黒毛牛狼ペルペルパンバギウスじゃ」




 シアがその場にへたり込みながら呟いた。

 その地面は既にうっすらと湿り気を帯びていて、彼女がどれだけの恐怖にさらされているのかを現していた。




「か、勝てる?」

「む、無理じゃぁ……」




 シアが大粒の涙を流しながら、悲痛な声でそれを口にした時。




 そいつの視線が私を貫いた。




 その眼は、虚無だった。




 そして、原初の恐怖そのものだった。




 全身の細胞があわ立つように警告するが意味を成さない。




 体が目の前にある死を予感していた。




 恐怖を超越する、自身の最期を予期させる感覚。




 勝てるはずが無いと、言葉でも頭でも心でもなく体がそれを理解した瞬間。




 ふっと地面が下がるような感覚。




 私はいつのまにか腰を抜かしてその場にへたりこみ、ただ、怪物を見上げていた。




 ガタガタと体が震え始め、泣き叫びたいほどの恐怖がわきあがり、心臓は爆発しそうなほどに早く鼓動するのに、体は一向に動こうとはしない。




――死?




 あんなにも幸せだったのに。




 こんなにも楽しかったのに?




 そんな世界が、終わる?




 なんて理不尽――。




 地面の湿った冷たさに気付いたとき、私は自分が失禁していることにようやく気付く。




 恥など感じている暇は無かった。




 頭はとっくに命令を出している。




 逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ!!




 それを恐怖が妨げる。




 怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い!!




 恐怖という感覚システムによるバグ。




 私は微動だにする事さえできず――。




 巨大な怪物が口を開き、私に向かって歩みを進める。




 漆黒の濃厚な影が私を覆う。




 最後の希望とでも思ったのか。私はチラリとララちゃんを見た。




 それは目の前にある恐怖からの逃避だったのかもしれない。




 助けて――。




 その意思を込めて。




 けど、見ればララちゃんも、こっちを涙ながらに見ていて――。




 へたり込んで、口をパクパクとさせるだけで、何も出来ないと告げるその姿に、私は絶望するしかなかった。




 本当の恐怖を味わった時、人は足がすくむどころではなく、全身の全てを手放してしまうのだと知った。




 それが、最期の学びになるだなんて、思いもせずに――。




 私は強く目を瞑り、その最期の一瞬がせめて痛みを伴わないものである事を願った――。


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