第11話 1章(東京編)-10 原発建屋の爆発

俊介の東京に出てきてからの生活は、別段、浪江に住んでいたときと大して変わらない。仕事も建設重機の運転の仕事だし、終わればアパートに帰るだけだった。大きな違いは、父の顔を見なくていい事と、いつも見ていた原発の建物を見ないことであった。職場で親しくなった友達が3人、たまに居酒屋に行く。それ以外には故郷を同じくする源三。そして綾子。俊介の行動半径は狭い。綾子と一緒に出かけた浅草から以西の東京は知らない。出てきてから一度も浪江には帰っていない。


 2011年3月11日午後2時46分、三陸沖を震源とする国内観測史上最大の巨大地震が発生、千年に一度といわれる大津波が東北から関東にかけての太平洋沿岸を襲った。地震はマグニチュード9.0、津波の高さは10メートル以上、所によっては20メートルにも達したといわれる。岩手、宮城、福島3県では壊滅状態の地区が続出、家屋の倒壊、流失、火災は無論、多数の死者、不明者を出した。津波の被害は三陸地域から宮城県にかけて酷く、福島県浜通りの地区は津波被害に加え、翌12日の福島第一原発の爆発事故が起こり、半径20キロ圏内の住民は緊急避難を強いられ、いつ帰れるのか、解決が見えない中に置かれることになった。


 新聞によると、1週間後の避難者は3県で約37万に達し、避難所では食料、医薬品、燃料などの不足を言われたが、鉄道、道路の補給路がずたずたの状態で、物資の補給も遅滞した。電気も水もない寒さの中で、続く余震に怯え、福島の人達はさらに放射能の恐怖にさらされた。東日本大災害と令名され、震災後1ヵ月にならんとする4月10日の新聞は、死者1万2千9百15人、行方不明者1万4千9百21人、避難者(避難所にいる人々)は15万三千6百人、建物被害22万軒と記している。減った避難者は、一時の避難を解かれた人は無論、長期に渡る避難所生活に親戚や、他所に身を寄せる人、復興の見切りをつけ地元を去っていく人達を含んでいる。救助活動に自衛隊10万6千人、警察1万1千人、米軍1万8千人が動員された。


 ちなみに、戦後最大といわれた、1995年の阪神・淡路大震災と比べてみる。死者6千4百34人、不明3人、負傷者4万3千7百92人、建物全半壊25万棟、火災7千4百83棟、被害総額は10兆円といわれている。阪神の震災は倒壊と火災である。行方不明者と負傷者の数が両者の災害の相違を顕著に表している。東日本の不明者の大半は津波でさらわれていった人達である。阪神の負傷者は建物の倒壊に巻き込まれた人達で、死者の大半が倒壊した建物の下敷きになった人達である。阪神は大都市部の震災、一方、東日本は東北の太平洋沿岸の地方震災といえた。前者は、行政区は機能したし、無傷の隣接する大阪という大都市の補給基地を持った。後者は地方の小都市や町であり、町ごと罹災したところもあり、行政機能がダメージを受けた。

もう一つ、都市部災害と沿岸地方災害の特徴を端的に現しているのが、今回の原発の事故である。大阪湾、東京湾沿いには原子力発電所は一基もない。大都市部の繁栄は、地方にその危険リスクを押し付けてあったのである。


 福島第一原発1号機で12日午後3時36分ごろ爆発が発生した。原子炉建屋が骨組みを残して吹き飛び、作業員4人が負傷し、放射性物質が飛散して敷地外にいた住民3人が被爆したと13日の新聞の一面は報じた。原因は地震で外部電源を喪失し、大津波で非常用ディーゼル発電機のポンプ設備が損傷。その結果、原子炉を冷却する機能を失い、水素爆発を起こしたとされる。放射能漏れが起きており、格納容器は破損していないものの、炉心燃料の溶融という深刻な事態が発生した。東電は海水を注入することを決定。避難指示の範囲を半径10キロから20キロ圏に拡大した。

 1号機にだけでなく、14日3号機でも水素爆発を起こし黒煙を上げ、原子炉建屋上部が激しく壊れた。2号機でも炉心溶融を起こし、運転休止中であった4号機の燃料プールからも火災が発生し、4基全てが危機的状況に陥ったのである。


 空気中には放射能を撒き散らし、海には汚染水を垂れ流し、土壌は汚され、解決の見通しもない中で、大爆発の危機も予測の中にあり、人々は放射能に怯え、いつになるか分からない避難生活を強いられる事となった。3月31日になって、東電はようやく1~4号機の廃炉を決定し、炉を安定した状態に冷却し、燃料を取り出せるようになるまでに「数年かかる」と長期化の見通しを語り、事故以来はじめて陳謝した。


 俊介は2002年の福島原発の騒動を思い出し、「起こるべくして起きた事故だ」と思った。原八先生の講義が思い出された。燃料プールのひび割れ、爆発はまさにそれだった。東電は、事故の原因を想定外の津波のせいにしたが、地震そのもので配管がこわれなかったのか?地下に置いた非常用発電機が水を被り、動かなかったとは何ともお粗末な事かと腹立たしかった。

先生や市ノ瀬議員は無事なのかどうかを思いやった。父はこんな中、原発に入って仕事をするというが果たして、大丈夫なのか?白い防御服を身にまとった父の姿を想像した。海辺に住む、かつての恋人真知子は無事なのか?浪江の町で知っている人達の顔が次から、次に浮かんでは消えた。原発避難地域に指定されなかったら、捜索に入れて助かる命もあっただろうに。無念の手付かずの遺体を思った。

俊介の中に言い様のない怒りがこみ上げてきた。東電か、経産省の保安院か、「直ちに、健康の被害の心配はない」とオオウムのように繰り返す、TVに映る官房長官か、地方を札束で叩き、原発のリスクを押し付けた都会の享楽と上面の繁栄にか?いや、そんなものだけではない、もっと深いところにある怒りであった。原発を風景のように見ていた自分への怒りであった。


持って行き場のない悲しみと怒りが俊介の心の中に火をつけた。「帰ろう、浪江に帰ろう。父と一緒に仕事をしよう。原発に入って仕事をしよう」と思った。原発に反対、賛成どうでもよい。町を守り残すため、誰かがやらなければと思った。

父や、先生や、市ノ瀬に共通するものは、仕事や、立場は違え、「頑なさ」だと俊介は思った。仕事に対する頑なさ、頑なに生きる力。それらを学ぼうと思った。その夜、俊介は興奮で身体が震え、発熱してダウンするのではないかと思ったぐらいだった。

あくる日、綾子を呼び出し、浪江に帰り、原発で父と共に働く事を告げた。

「俊介はいつも勝手なんだから、私のことなど考えなかったでしょう」と、綾子は、真知子と同じ言葉を口にした。それでも「私と別れて、俊介の旅立ちやね」と涙をこらえて横を向いた。俊介はいい女だと思った。区切りがついたら、いや、つかなくても、1年経って綾子が一人でいたら、迎えに来ようと思った。


第1章 了

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