第9話 1章(東京編)-8 万年落選議員一ノ瀬

この年の福島の原発騒動は市ノ瀬真一に味方した。執拗に訴え続ける事によって、やっと人々は耳を傾けるようになり、耳を傾けた内容が白日の下に晒されるに至って、彼を議会に送り出そうという輪が広がり、市ノ瀬は当選した。町会に入った市ノ瀬の論鋒は鮮やかで、追求の手を休めず、隠れていた東電の事故隠蔽の事実を次から次ぎへと明らかにしていった。原発推進派も沈黙せざるを得ず、町議会は東電、国に全容解明の抗議を決議するに至った。

又、1998年(平成10年)に一旦了承したプルサーマル計画を県知事佐藤栄佐久は今回の東電のトラブル隠しを問題として、了承を取り消し、この計画を推進したい政府と対立した。東電のトラブル隠し疑惑解明に政府が消極的だったのはこの辺にあった。「この計画を何としても進めたい立場にあった国と東電は共犯関係にあった」とは市ノ瀬議員の言であった。


俊介は原発に賛成でも、反対でもなかった。生まれたときからあったし、原発はこの地の一つの風景ですらあった。只、原八先生の講義を聞いてからは、父の原子力発電の本や、ノートを垣間見るようになっていた。

高校の物理の基本から、原子炉の種類、構造、電気関係の専門、歴史、国の原子力行政、法規、これが他国にまで及ぶ。康之のノートは克明で、何十冊にもなり学習の歴史を語っていた。

中学校のとき、父に何故そんなに勉強するのかを聞いたときの答えだけではない、康之の勉強ぶりに尋常なものではないものを俊介は感じた。康之のノートの冊数が多かったのは原発事故に関するノートであった。外国、国内問わず書かれていた。俊介は、いつの間にか、炉の種類や、簡単な構造位は言えるようになっていた。だから、市ノ瀬が駅で言っている事も誰より理解できたのだった。


 選挙運動に参加したのは、市ノ瀬の執拗さに感心したのである。どうして、あまり得になりそうもないことに、そこまで打ち込めるのだろうかと思った。何か康之と共通するものを見たのである。そして東電の振舞いはあまりにも地元民を舐めた態度で、地元の推進派の人でさえ怒りだす始末であった。俊介も同じ思いであった。

市ノ瀬への選挙運動は、それ以上に、俊介は何か家と通勤以外の事に関わってみたかったのが本当のところだった。


 ある日、俊介は康之から聞かれた。

「お前、原発反対派の市ノ瀬の選挙運動を手伝ってるのか?」俊介は別に隠すこともないので、「うん」と答えた。

「やめとけ、今は東電の問題が批判されているが、この地方は東電で食べさしてもらっている。この町で暮らすなら、反対派の急先鋒のお先をかついでろくなことはない」

「親父が、東電関係で仕事をしてるから、原発反対派の選挙運動を手伝ったからって、別段どうってことなかろうが」と、父に初めて逆らった言葉を口にした。

「俺が、東電関係で仕事をしている立場を慮って言っているのではない。日本には原子力発電が必要だから言っているのだ」

「だからといって、トラブル隠しが許されて良いわけないだろうが」と言い返した。

「うるさい。俺は、お前達を養うために東電の仕事をして暮らしてきた。この町も本来過疎になってもおかしくない町だけど、そうならずに済んでいる。そんな中でお前は大きくなったのだ」

「だから、賛成派になれということか」


俊介は、原発の事より、日ごろの不満をこの際にぶっつけようとしたのだ。あまり口答えをしたことのなかった俊介に、康之は少し驚いたようであった。

「反対するなら、しっかりした考えをもってやれ。原発は片手間でやるような問題ではない。おれが問題にしているのは、お前のその中途半端さだ。陸上にしたってそうだ。続けようと思っていたら続けられたのだ。今回の件でもそうだ、本当に東電に怒っているのなら、選挙運動を手伝うような中途半端は辞めろという事だ。やるなら、お前が市ノ瀬になれ。その根性もなかろうが!」

康之の怒りを込めた激しい言葉だった。俊介はその気迫の前に、これ以上受け答えをしても無駄だと思って、「人との待ち合わせがあるから」と言って、バイクに乗って出かけた。

陸上は中学、高校と6年間それなりに真剣にやった。県大会でも一万メートルで何回か入賞している。痛いとこを突かれた思いだった。

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