第6話 1章(東京編)-5福島騒動

俊介は大学に行くつもりだったが、母が亡くなってからは、あまり勉強にもクラブにも身が入らないようになった。小学校からマラソンに熱心になったのは、やっぱり、父のあの笑顔のせいだろぅか。中学校から本格的にはじめ、学校の練習以外にも、毎日5キロを走る事を日課にしていた。

康之は俊介があまり勉強していないのを知っていて、「陸上を続けたいなら、東京の私学に行ってもよい」と言ってくれたが、俊介はそこまでして陸上を続けようとは思わなかった。大学の進学は諦め、地元の建設会社に就職した。営業で入ったのだが、体力を認められ、重機の運転の講習に行かされ、免許を2、3取らされ、運転の仕事についた。

康之は自分で弁当を作ったが俊介は仕事場の近くの食堂を利用した。康之は車で、俊介はバイクでそれぞれ出勤した。康之はいつしか机に向かう事もなく、TVを見ながらの晩酌を始めだした。夕食は早く帰った方が作る事になっていたが、康之は進んでやっていた残業もしなくなり、康之が炊事係のようであった。


 男二人、味気ない生活といえばそれまでだが、慣れてしまえば別段のことはない。しかし、対立関係が生まれてしまった中で暮らすのは、味気ない上に、息苦しさが加わった。それは、東京電力の原発事故の隠蔽を指摘し続けた大熊町の町会議員候補の選挙運動を俊介が手伝った事から発した。


2002年、俊介が24歳の時、福島県は原発の問題で大きく揺れた。第一原発3号機にプルサーマルの導入計画が提出された最中、8月、まさにその3号機で制御棒と直結の配管36本が損傷した。この年だけは、原発反対派は無論、原発賛成派も地元住民は原因の徹底究明の声を上げた。中部電力の浜岡原発でも4月に水漏れ事故が起き、原発のある地元民は事故に敏感になっていたのである。地元住民の声に押される形で大熊、双葉町の町議会、及び県は原因の徹底究明を東電と国に求めた。この過程で、東電の数々の過去のトラブルが判明し、そのトラブルを隠してきた隠蔽体質が大きな問題となり、地元議会、県知事が東電、国に抗議する騒ぎになった。ようやく、保安院の立ち入り検査が行われ、第一原発だけでなく、第二原発を含む他の原発機にも再循環系配管のヒビが見つかり、修理記録の虚偽記載までが判明するに及び、第一原発の全部の運転が一時停止され、1号機の運転の1年間の停止処分が決定した。時の経済産業大臣が謝罪し、東電はようやく検査の不正を認め、県、地元議会、住民に謝罪した。東電の他の原発でも同様の問題が発覚し、東電の原発の17基が2003年には一時停止する事態にまでなった。他県の人々は忘れてしまったかも知れないが、福島の人には忘れられない原発騒動であった。

4年前の1999年には、茨城県の東海村で、わが国初めて臨界事故が起き、それも、2名が死亡し、7百人近くが被爆する事故があったばかりである。


 俊介の会社は第一原発のある大熊町の駅前に所在した。駅前で毎日のように福島の原発問題を告発する町会議員候補がいた。万年候補で一回も当選していない。40代半ばの男性で、風采の上がらない、ボサボサ頭で幟の旗には市ノ瀬真一と名が書かれてあった。5年も前を通っていると、聞くともなしに聞く片言一句が一つに繋がる。2002年の原発騒動の事態の推移に、人々は、彼の言っていた事の信憑がわかった。相変わらず風采の上がらぬ姿で語る彼であったが、何時しか足を止めて聞く人が増えていった。その人達の中から、彼を『町議会に送ろう応援団』が出来上がった。俊介もその一人であった。

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