第3話 1章(東京編)-2地震と津波と原発
それから、1ヶ月後、まさかこの日本でこんな大きな地震が起こるとは、俊介も源三も夢にも思わなかった。地震に加え、千年に一度という大津波が東北から関東にかけての太平洋沿岸を襲った。特に三陸から福島にかけては見るも無残なものだった。
町ごと流されていく津波の映像は幾ら見ても、胸が震え、津波の恐ろしさをまざまざと知らされた。それだけではなく、地震、津波で福島の原発の電源がストップし、翌日には水素爆発を起こし、放射能を撒き散らす最悪の事態となり、地震、津波、原発事故と三重の苦しみを人々は味わうことになった。
俊介の故郷は福島県の浪江町であった。地震、津波のニュースを見て、まず父親に電話を入れたが、通じない。2、3の友人にも入れたが何れも通じなかった。一瞬躊躇したが、そんな場合でない、真知子に電話を入れたがやはり通じなかった。こんな時に通じない携帯電話とは何のためにあるかと腹立しかった。真知子の家は漁師で民宿もやっていて、海の傍だ。無事でいて欲しいと願った。
政府は11日夜、原発事故に対して、緊急事態宣言を発し、半径3キロ以内の住民6千人を緊急避難させるよう、県と、大熊町、双葉町に指示を出した。その後、直ぐ3キロを10キロに訂正した。住民達は爆発と放射能の恐怖の前に、着のみ着のままに避難した。貯金通帳や印鑑を持ちだす時間の余裕すら与えられなかった。
翌12日午後、原発1号機の建屋が爆発した。政府は同日午後6時25分、原発住民の避難範囲を半径20キロに拡大した。新聞を見て俊介は父の家が20キロ圏にないことを確認してホットした。その後、8時ごろ、父、康之より電話が入った。車で福島まで出てきて、公衆電話からかけていると言った。
「俺も、家も無事だ。それより原発事故で会社から召集が来たので、明日から原発に入る予定だ。又連絡する」
「気をつけて」と言おうと思ったが、それより先に切れた。依然、真知子にも、友人にも連絡はつかなかった。
その後、20キロ圏から30キロ圏は自主避難という、避難していいのか、いてもいいのか、人々が判断に迷う指示が政府より出されたが、ともかく30キロ圏は危険地域とされた。俊介の家は浪江町と川俣町との境に位置し、かろうじて30キロ圏の外にあった。
地震と津波にはまさかと思ったが、その後の原発の事故には、『遂に起きた』と、俊介は思った。TVが映し出す東京電力第一原子力発電所の遠景を見ながら、生まれ育った浪江町の事を思い出していた。
福島県双葉郡浪江町、通称、浜通りの中央部に位置する。人口2万人ほどの町で、人口は減りも増えもしない、代り映えのしない田舎町だ。今回、津波の災害にあったのは、請戸漁港から請戸川に沿っての平坦地である。浪江町の地図は横に細長く、真ん中でくびれ、浜地区と陸部に食い込んだ所に分かれる。
俊介の家は陸部の奥、川俣町と二本松市との三つが接する位置にあった。よって津波の被害とは無縁であったし、避難地域の指定からも免れた。第一原子力発電所があるのは大熊町と双葉町である。大熊町には今回問題となった1号機から4号機まであり、双葉町には5号機、6号機がある。第二発電所は4基あり、西に隣接した富岡町、樽葉町にある。実に、浜通りは、ズラーと並んだ原発通りでもあるのだった。
原発の1号機が営業開始したのが、1971年だから俊介が生まれる前から存在した。最後の第二原発の4号機が出来上がったのが1987年、ソ連ノチェリノブイリの事故があった翌年、俊介の小学校2年のときだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます