第3話 先遣隊③



 仲間の無惨な姿を目の当たりにして、残る第五班の面々は奮起していた。


 「おおぉぉぉおおおお!」


 一人が接敵し、二人が弓を引き絞る。残りは、油断なく隙を窺う。

 

 二人が同時に矢を放った。馬上でも揺るぐことのない手練れが放った矢は、左右を挟み込むようにして未知のモンスターに迫った。

 森を引き裂くようにまっすぐ進む矢は、モンスターを捕らえ――、空を切るだけに終わった。


 モンスターは、足を血だまりから離しわずかに後退しただけで、華麗に回避した。

 しかし、そこを狙って飛び込むのが、魔剣を渡された一人。この第二小隊において五指に入る剣の使い手。

 彼はモンスターの懐に忍び込み、素早い突きを繰り出した。が、――


 「くっ」


 ――そのすべてがかすりすらせず、虚空に散った。


 驚愕のあまり声を上げた彼の後ろには、数瞬前まで目前にいた黒い影。

 間髪入れず、援護射撃がとんだ。木の上から放たれた矢は四本。射線上に仲間の姿はない。モンスターだけを捕らえた、正確無比の命を射る矢が風を切り裂く。


 しかしそれでも、凶悪な爪が肉を切り裂くほうが早かった。

 

 ドチャ、と虚ろな目が二つ、大地に伏した。

 モンスターを狩り取るはずの魔剣は、物言わぬ男の血の上に落ちた。


 さらに、


 「嘘、だろ…………」


 赤塗れになった獣は、たわむれるように、四方から迫る矢をことごとくいなして魅せた。

 同時に躍りかかった二人は当然の如くボロ切れになった。


 モンスターとしては平均的な体躯。

 寧ろ、Cランクモンスターとしては小柄だろう。本来であれば、驚異を覚えるほどの相手ではない。もちろん、大きさで語れることばかりでなく、魔素を扱うモンスターは小柄でも脅威足り得る。しかし、第五班の前にいる未知のモンスターは、それなくして圧倒していた。


 攻撃を的確にかわす俊敏さと、人間を容易にほふる力。

 通常ではありえないような強靭な筋肉を持つ生物。

 

 完成された、一匹の獣。否、怪物であった。





*****





 「これは……どういうことだ」


 熱い息を吐きながら駆け付けたキースとディックが見たのは、目を血走らせ怒りをあらわにしたモンスターと、その下敷きになっているひしゃげた肉塊であった。

 

 全部で三人分。死臭が漂う。

 

 駆けつける前よりも、明らかに被害が増えている。


 「叫ぶ間もなくられたのか……」


 ディックが状況を確認するように辺りを見る。その様子は泰然たいぜんとしているが、額を流れる冷や汗が緊張を表していた。


 「まあ、尋ねるまでもなく、コイツが殺ったんだろうな」


 そう続けて、ディックは悠然と佇むモンスターを見据えた。


 「こんなに強くはなかったはずだ……。この個体だけ強かったってことか……?」


 深々と爪痕を残された仲間を見やってキースは歯噛みしたが、仲間を悼む気持ちを理性で追いやる。

 そうしたのちにキースに浮かぶのは、やはり疑問だった。

 

 先ほど相対したときの感触を何度思い返してみても、自身の隊の精鋭十人を相手取れるとは思えなかった。

 難度Cモンスターは脅威に違いないが、一体にここまで翻弄されるような相手ではない。


 「隊長でも無理そうか?」


 ディックに問われ、キースは答えを出せないながらも風魔剣に手をかけた。 


 「分からない……が、とりあえずやってみ――」


 「ローナン隊長! ソイツは怪物です! 戦ってはいけません!」


 キースの言葉に割り込むようにして、木の上に居る第五班の一人が震えをこらえるように告げた。その大声を聞いてか、怪物の大きな耳がピクリと動く。

 怪物の挙動を注視していた第二小隊の面々に緊張が走った。が、何もしてこない。 


 そう安堵したのも束の間――


 ――グァアアアアアアッッ! ガァァアアアアアアアッッッ!



 咆哮。

 怪物は鋭利な瞳を見開き、巨大な牙を剥き出しにした。

 これまでの悠然とした振る舞いから打って変わり、長い尾を逆立て、殺気が充溢じゅういつしている。死を宣告する審判者のようであった。

 

 朝を迎えようとしている空間が再び黒く染めていくように、あらがうための魂を削るように、お前らの死は絶対だと言うように。

 殺気が、小隊全員の身体に浸透していく。


 キースは、海に沈んでいくような心持ちで、自身を嘲笑あざわらった。

 

 (さっき自分は、何をしようとしていた? 何に立ち向かおうとしていた? 剣の力に頼って、打ち倒せるとでも思っていたか? 馬鹿め。お前が勝てるわけないだろう。お前ごときが、神の眷属に、どうして勝てる?)


 「は、ははははは」


 キースの口から、乾いた笑いが洩れる。

 

 皆一様に、動けないでいた。怪物だけが、動いていた。

 怪物の近くにいた隊員が膝を震わせたまま、死んだ。何の抵抗をすることもなく死んだ。


 自身の役目も忘れ、キースは他人事のようにその様子を眺めていた。


 (どうしてこうなった? 何がどうなっている? 分からない。でも、これだけは分かる。あれは審判者で、僕たちは、侵犯者なのだ。来てはならないところに足を踏み入れてしまった。だから、殺され――)


 「おいっ、隊長! 何してる! 早く指示を! このままじゃ全滅するぞ!!」


 ディックに揺すられ、キースは我に返った。ディックはいち早く硬直から抜け出したらしい。


 「……さ、さすがだな…………」


 キースは、情けない表情に無理やり苦笑を張り付けた。


 「今はそれどころじゃないだろう! 皆呑まれちまってる!」


 「あっ、ああ!」


 キースは意気を吹き返した。大きく息を吸い込む。そして全員に向け、まるで自身を鼓舞するように喉が張り裂けんばかりの声を上げた。


 「撤退する! 即時、撤退だ! 駆けろ! 全力で逃げろ!」


 キースの怒声に弾かれたように、皆の硬直が一斉に解かれた。脱兎のごとく馬の元へ一目散に走る。


 「隊長。逃げるんじゃないのか?」


 撤退を開始した部下を尻目にいまだ怪物をにらめ付けるキースの肩を、ディックが引き留めた。叱りつけるような声音であった。


 「足止めをする。僕が適任のはずだ」


 キースは振り向きもせず、力強く答えた。


 「それはダメだな」


 しかし、ディックはよどみなくそれを一蹴いっしゅうする。


 「なぜっ!」


 キースは怒りよりも焦燥を覚えた。

 その様子を見てか、ディックはふっと笑むと、優しく言った。


 「隊長は隊長だ。だから、この隊の皆を守る義務がある」


 「だからこうしてっ――」


 「でもそれは、身代わりを引き受けるってことじゃねえ。隊長の肩に乗ってるのは、俺たちの命だけじゃねぇんだよ。怪物のことを伝える、それを信じてもらえる奴が必要なんだよ」


 「それはっ」


 ディックの有無を言わせぬ態度を見て、キースは思わず口をつぐんだ。


 「だから、行くぞ。撤退だ」


 ディックはキースを引きずるように繋がれている馬の元へ向かう。その前に一度振り返り、


 「お前らぁ! 仲間がやられて殺意みなぎってんだろ! お前らにそいつの首を譲ってやる! だから……、とにかく生きて帰れよっ!!」


 第五班である、元冒険者仲間に時間稼ぎを頼んだ。


 元よりそのつもりであったのか、第五班の面々は今にも泣きだしそうな顔をしながら、不敵に笑った。



*****



 キースとディックは、馬にまたがり先頭を駆けていた。

 興奮状態にある馬を宥めすかしながら、落馬するかしないかの最高速度で木々を掻き分けて進む。


 「隊長! さっきのは何だったんですか!?」


 咆哮に当てられはしたが、惨状を目の当たりにはしていない隊員の一人が問うた。


 キースは先ほどの光景を思い出し、密かに身震いした。あの咆哮が、それと同時に視た怪物の姿が、五感を支配するように焼き付いて頭から離れなかった。


 「……あれは、怪物だ」


 「確かにありゃあ、怪物だな。ま、モンスターってのはそもそも怪物だろうがね。はははっ」


 どこか取り繕うように、キースと並走するディックも答える。

 キースやディックの実力を知る問いを投げた隊員は笑うことすらできず、沈黙で返した。


 「……難度はどのくらいになるでしょうか?」


 他の隊員の質問に、キースがディックを見やる。初めて対峙したモンスターの力をディックがどう判断しているのか、彼も知りたかった。


 「C……とはいかないだろうな。俺に言えるのはそれぐらいだ」


 期待した答えは、とても曖昧なものだった。

 横目でディックを窺うと、手綱を握る手が小刻みに震えている。ディックも内心、同じ気持ちなんだ。仲間たちに気取られないよう努めてはいるが、恐怖で倒れてしまわないように皆必死なんだ。


 キースは前を見据え、生唾を呑み込んだ。



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