第17話 コンマ一秒の友情

 プロローグ


「よし !」

 胴突きが決まった瞬間、確かに私はこの声を聞いた。

 そしてこの一瞬に、私たちの友情があったのです。

 昭和五十五年の夏、日本拳法関東大学リーグ戦決勝リーグ。私たち東洋大学が最後に戦う相手は、強豪早稲田大学でした。


 七人制で戦う団体戦、その大将戦は、当然チームのキャプテンが出るのが普通です。 しかし、我らがキャプテン中村が提唱する「相性(あいしょう)理論—相対性理論ではない—」によって本大会を飾る最後の戦いに、なんとこの私が大将として出場することになったのです。

 対戦相手の大将は、この年の全日本選手権に出場するほどの優秀な選手(二段だが実力は三段)でした。そして当の私はといえば、公私における殴り合いの経験こそ豊富でしたが、日本拳法の段位は、前年にようやく初段になったばかり。

 まるで生贄(いけにえ)にされた小羊のような私は、後輩たちの同情と哀れみの目を背中に感じながら最後の大試合にのぞみました。負けるにしても、圧倒負け(野球で言えばコールド負け)だけはしないでほしいという、OB諸氏の悲壮感もヒシヒシと伝わってきます。

 キャプテン中村の「私はあいつとは相性がよくないんです」という、占い師のような言い分を黙って引き受けた自分に後悔はありません。 なにしろこの私、勝つ喜びも知ってはおりますが、負けることに関してもこれまたプロといいますか、さながら歴戦の勇士。殺されない程度の負けなら、失恋も含め、いくらでも経験しています。

 防具のつけ方も知らない素人同然の身で初めて出場した一部リーグ戦。いきなり怪獣学園のような学校の三段にボコボコにされた四年前の記憶が甦ります。

「これがウチラの最後の戦いや。あんまり大負けせんといてな。」と、激励なんだかこき下ろしているのかわからない、大阪人特有の言い回しで、昨年のキャプテン桜井が私を試合のマットへ送り出します。

 私が入学したのは彼と同じ年でしたが、私が留年したため、この時点では現役とOB、現実には友人という関係でした。



 コンマ一秒の友情

 しかし、試合が始まってみれば、あーら不思議。 初段を取るのに五回もかかったというあの東洋の平栗が、実力三段の全日本出場選手を相手に善戦しているではありませんか。

 そして、なんと三分間の試合終了間際、私の左のパンチが、相手の右面突きの間隙を縫い、きれいに彼の胴に決まったのです。

 「ビシッ」と、鋭くも鈍い音が響いたその瞬間、私自身は「一本」であると確信しました。そして、 同時に審判の「一本」という声も聞こえました。しかし、私の胴突きを観戦する誰もが、これまたほんの一瞬ではありますが、まず抱いたのは「驚き・戸惑い」だったのです。


 ところが 、「おお」というどよめきの中で、一人、あの桜井だけが大きな声で即座に「よし!」と叫んだのです。

 まさにこの瞬間を予期していたかの如く、間髪を入れず発した鋭い声は、まるで歌舞伎における「音羽屋(おとわや) !」という掛け声のようでありました。

 一年生の時からレギュラーとして試合に出場し、二年生の時には二部リーグから一部リーグへの復帰に大きく貢献、四年のときには東洋のキャプテンとして、当時最強の立教大学と優勝争いの死闘を繰り広げた男。百戦錬磨の彼の発した「よし!」という声はしかし、決して身内への贔屓(ひいき)としての掛け声でもなければ、一観客として感情の赴(おもむ)くままに発した奇声でもなかった。

 あくまでも「日本拳法のプロ」として、ここは左の胴突きであるべきだと確信していたところへ、まさにその通りに私の胴突きが決まった。当たり前のことが当たり前になったことに対する「同意」であったのです。

 ただひとつ、いつもと違っていたのは、その当たり前のことを、彼がいつになく大きな声で表現したということでした。彼の大学拳法部四年間の在籍中、練習中でも試合でも、あるいは野球のナイターを観戦しにいった時でさえ、決して大きな声など出したことのない「静かなる男」が、即座に私の胴突きを「一本」と判断し、大勢の観客の前でそれを表明したのです。

 もちろん、それはコンマ一秒という瞬(まばた)きをする間(あいだ)の出来事であり、考えてどうこうするようなことではありません。 しかし、彼も私も、日本拳法を通じてこのコンマ一秒に賭けてきた仲間同士。一瞬を見る目(心)は同じです。

 試合場でパンチを打った私(の心)と、それを後ろから見ていた彼の心は、この瞬間、ピタリと一致したのです。戦うものと観るものという異なる立場、戦う場と観客席という数メートルも離れた場所にいる人間同士の思いが、まるで鏡に反射したかのように全く同じになった。あの時、私はそれを一瞬の中(うち)に感じとることができた。 そして、試合場で聞いたあの声を三十年経ったいま思い出す時、「友情」という言葉となったのです。

 つまりこの友情とは、一方が他方を助けるとか情をかけるとかいう意味ではありません。 太宰治の「走れメロス」で描かれた、互いに抱き合って感涙にむせぶような友情とも違います。わずかコンマ一秒の間に、何の感情も入り込まないけれども、完全に二人の心が一致した瞬間があったというにすぎません。それはまるで、剣の刃同士がぶつかり合って発した閃光のように、力強くも儚(はかな)い煌(きらめ)きでした。

 しかし私は、このミクロ(極少)の世界で感じた「心の一致」のなかに、なにかを見たような気がするのです。



 エピローグ

 この話には「落ち」があります。

 実は、私の対戦相手は左膝(ひざ)にケガをしていたのです。恐らく、前の試合で痛めたのでしょう。傍目(はため)にはわかりづらいのですが、戦った私にははっきりと彼の痛みがわかりました。にもかかわらず、それを懸命に隠して大将戦に臨んできた彼の勇気と責任感には、彼ら大学の心意気を感じました。

 試合を終えて礼をし、全員がマットから引き上げるとき、思わぬ私の勝利に興奮した桜井が私に駆け寄ります。

 「すごいやんか。大金星やで。アメリカに逃亡している間にあんなに強くなったんか。」と、相変わらずの関西風口調です。

 「おう、あいつ足にケガしててよ、全然動けねえんだよ。」と、関東弁で答える私。

 「なんや、そうか。おかしいと思ったんや。」「喜んで損したわ。」


 「百年の恋も一瞬で醒める」と言いますが、これで「最高の友情」は終りました。

 線香花火のように短い友情でした。

 しかし、それでもなお、あの一瞬は私の心の中に生きています。

 何度思い出しても色あせない。むしろ、そのたびごとに私を新鮮な気持ちにさせてくれるのです。

 もしかすると、彼は口で「大負けするなよ」と言いながら、心では私の勝利を少しは期待してくれていたのかもしれません。それが「友情」というものなのかどうかはわかりませんが。


 世の中には、朝から晩まで、いつでも友人にかこまれ友情に浸(ひた)っていないと幸せになれない人がいます。沢山の仲間に囲まれ、長い時間話をしていないと安心できない。いつでも誰かと「そうそう、 そうなんだよね」と、なんでもないことに同意し合い、心と心の虚構の一致を求めたがる。確かに、そういう友情や人生にも意味があるかもしれない。

 でも私のように不器用な人間にしてみれば、そんな(面倒な)友情よりも、コンマ一秒でもいいから、互いの心が 本当に一致した瞬間・強烈な心のつながりの方がわかりやすいのです。

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