第14話 東洋大学日本拳法部ゆかりの名所案内
東京といって、六本木ヒルズやお台場、秋葉原や渋谷ばかりが街ではありません。こういう場所と楽しみ方もあります。
東京国立博物館(上野)
常設展示を見るだけなら大人六百円です。平成館にある考古展示室に行きます。
「日本人は少なくとも四万年前から日本列島に住んでいた(2018年)」という説明板の文字を、ここでしっかりと目に焼き付けましょう。
縄文時代こそ、日本人の原点です。稲作を始めてから文化が始まったなんてことはありません。縄文土器のあの模様に込められた原始日本人の情念を見ればわかるように、縄文人こそ内なる精神を見ることのできた文化人なのです。
アメリカ人はアフリカまで行かなければ彼らのルーツは見つかりませんが、日本人は四万年もの昔からここに住んでいるのです。
自分の魂の原点を上野で確認しましょう。昔から上野は日本中のお上りさんが集まる町です。
つまり、日本全国の様々な日本人の顔が見れるということです。動物園の前あたりのベンチに座り、老若男女、彼らの顔やしぐさを観察すれば、善きにつけ悪しきにつけ、自分が日本人であることがよく分かります。
噴水の横の広場
東京国立博物館の前の道路を渡ったところにある大噴水。
この噴水の端から左側を五十メートルほど動物園の方に行くと、噴水の横に広場があります。
東洋大学日本拳法部員は毎週土曜日になるとここまでランニングし、拳立て腹筋等の筋トレや打ち込み稽古・気合練習をしました。休憩の合間にタバコを乞食してまわる部員もいれば、地方から修学旅行で来た女子高生と記念写真をとる者もいました。
(2019年現在、この噴水は埋め立てられ、休日には食い物屋の煙と匂い、そして各国からの外国人で一杯です。駅の構内やコンビニでもそうですが、日本人とはいつのまにか、食うことばかりの意地汚い人間になってしまったようです。)
西郷さんの銅像
侍(さむらい)の原点である源頼朝を尊重し、その墓を建てたのは薩摩藩です。丸に十字の薩摩の紋章が頼朝の墓に刻まれています。そして、西郷どんは薩摩スピリッツ( 精神) を代表する侍でした。日本のサムライの魂を過去のものにしないためにも、頼朝の墓と共に、この像にもお参りしておきましょう。
巣鴨とげ抜き地蔵通り商店街
戦後、坂井三郎氏がこの裏の住宅街で、印刷所を経営しておられました。あの「大空のサムライ」が、つい十年ほど前までここを歩いていた、という感慨にひたることができます。地蔵通り名物の「塩大福」は隠れた東京名物です。日本中から年寄りが集まる町。おばあちゃんの「原宿」です。アメリカン・インディアンのような哲学的な顔をここで見れるかどうか。
鎌倉 源頼朝の墓(神奈川県)
はっきり言って、京都に比べ鎌倉の文化( 食べ物・町並み) は、どれをとっても格段に落ちます。
しかし、武士が初めて武士として国家を運営した場所です。せめてそれを実現した源頼朝の墓くらいは見ておきましょう。京都で見るべきものが京都人の魂であるように、鎌倉で見るべきものは寺や人間ではなく「武士の面目・武士の面影」なのです。 鎌倉の地形を見れば、頼朝が彼の宿敵平清盛が造成した福原( 今の神戸) を意識してここを選んだということがわかります。やはり源平は武士だった。
頼朝の墓は、鎌倉駅から歩いて約三十分です。
せっかくだから海を見たいという人は、江ノ電に乗って鎌倉高校前で降りれば、源義経の奥さん巴御前が散歩したという、由比ヶ浜が目の前です。桜井君推薦のデートコースでもあります。
* * * 「落ちる」のはしかたありません。京都に比べ、都市としての歴史が新しいし、「武士の町」なのですから。鎌倉に来る関東や東北の人は、食事やお菓子の味が多少悪くても、関西人のように文句を言いません。また、関東は京都に比べて新参者(人・物・建物)に寛容です。「古都鎌倉」にピンク色の家が建っても、誰も文句を言いません。そういうオープンなところが関東らしいというか、武士の町というべきなのか。* * *
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