第11話 本と映画
これらの本に共通しているのは、「戦い」がテーマであるということ。単なる人生訓・教訓、教養書ではない。「聖書」でさえ戦いの物語であり、人生いかに戦って生きるかについての教訓を得るという点で、司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読むのと同じなのです。大学日本拳法を行う人には大切な本です。
坂井三郎「大空のサムライ」他一連の著作
航空機(零戦)による戦いにおいて、もっとも日本人らしい戦い方をした男。坂井三郎氏は現代版宮本武蔵であり、その著作は「大空の五輪書」といえるほど、氏の勝負に対する執念が的確に表現されている。
十二年前、まだ坂井氏がご存命の頃、巣鴨の地蔵通りの裏にある氏のお住まいを訪問し、本で読んだ大空のサムライと現実の生きた人間が一致した感激は忘れられない。この方の業績は日本で正当に評価されず、かつての敵であった連合国で高い評価を受けています。大松博文氏と共に、日本が誇れる物凄い方だったのです。
大松博文「おれについてこい」「なせばなる」
最高の勝負師が書いた、アマチュアスポーツマン必読の書。この人の日本人離れした徹底的な強さは、日本ではなく中国に受け継がれた。早く日本にもこの人の精神が復活することを願う。
ディール・カーネギー「人を動かす」
大学卒業後に入社した会社で、すぐに読まされた本。社会人になって最初に読んだ名著です。
この本の英文の題名は「How to Win Friends and Influence People」です。カーネギーは、平和的に人とうまくやる方法(処世術)を説きます。しかし、それはやはり「戦い」なのです。人とうまくやるのは勝ち取るべきことであり、自分がいい子にしていれば、周囲との良い関係が勝手に転がり込むわけではない。自分の良い部分を相手に感染させるくらい、積極的に自分から働きかけよ、というのです。
仏教というのはユダヤ教・キリスト教・イスラム教とちがい、真理を説くのではなく、いかに人とうまく付き合うかという「処世術」です。そのため、真理が書かれた聖書はわずか一冊ですが、応用技術である釈迦の言葉は三千巻もの膨大な量になってしまった。読む時間と根気のある人は、読んでみてもいいかもしれませんが、同じ処世術であれば、もっとコンパクトで世界中の人に読まれ、その効果が証明されたこういう優れた本もあります。
カーネギーの教えとは、いわばアメリカナイズされた仏教、もしくは、キリスト教精神に基づいた処世術ともいえます。ですから、カーネギーの本の内容をそのまま引用すれば「仏教の法話」になるというわけです。
「聖書」
なんといっても、世界で最も読まれているベストセラー。シェークスピアもドストエフスキーもデュマもヘミングウェイ、夏目漱石や森鴎外、芥川龍之介も、そしてあの「無神論者」マルクスさえも、これを読むことで偉大な著作が生まれたのです。
(聖書を精神的な糧とする)西洋人の考え方を知るというよりも、聖書を鏡にして日本人的なものの考え方を理解するのです。字が大きいタイプの聖書は、分厚くて重いので、図書館にあるのを一日かけて一気に読むのがいいのでしょう。
旧約聖書はユダヤ教・キリスト教・イスラム教に共通する原点(原典)です。キリスト教では更に新約聖書を読み、イスラム教徒は、更にその上にクルアーン(コーラン)を読みます。
「キリスト教は日本侵略の手先だ」などと言う人もいますが、もしそうならば、なおさら敵を知らねばならない。第二次世界大戦で、日本のお上は「鬼畜米英の本など読むな」といって、英語を始め諸外国の書籍を読むことを禁止しましたが、そういう愚は繰り返さないようにすべきでしょう。
アメリカのアイビーリーグの一つであるコロンビア大学では、二年生までに読むべき本の中に、聖書やコーランまで入っています(文系・理系を問わず)。コーランを燃やせ、などと叫ぶのは宗教で飯を食う者だけであって、将来のアメリカを背負って立とうとする気概のある若者は聖書も大学生としてもう一度読み直し、(キリスト教の敵などとヒステリックに喧伝される)イスラム教さえ、一般教養として学ぼうとするのです。
「六法全書」
日本拳法がケンカ(殴り合い)を律した法であるならば、六法全書は日本社会を規定した法です。自分という人間がどういう規則によって、この日本という国に縛られているかを知る必要がある。具体的な法律の条文を覚えるのではなく、法律の考え方を学ぶのです。
宮本武蔵 「五輪書」
宮本武蔵は真理を主張したが、イエス・キリストのように殺されることはなかった。かといって、釈迦のように「嘘は方便」と、うまく世渡りをして生きのびたのでもない。真理を追究し真実を主張する純粋な心で生きながら、どろどろとした人間社会に抹殺されず生き抜いた。「断固戦いながらも生き延びる」思想。目に見える剣の技術に見せかけた、武蔵の精神(ものの見方・考え方・生き方)を吐露した書なのです。
武蔵の生き方の要点は、「人間の作った神や仏」という権威(宗教)に頼らないということ。そういうものから得られる擬似的な安心感で自分をごまかさない、という生き方です。これは確かに、孤独で辛い。晩年の武蔵の心境は「徒然草」の作者卜部(吉田)兼好のそれと全く同じであった。しかし、孤独とは最高の楽しみでもあったにちがいない。
川島四郎「食べ物さんありがとう」
私が京都の大徳寺で禅坊主の修行をしていた時、高田明甫老師(東洋大学卒)から推薦された本。 動くことをモットーとする私たちスポーツマンは、健康を科学しなければならない。
この老師は日本全国のお師家さんの中でただ一人の、体育会系禅坊主。毎日、二キロの鉄アレイを手に早足で一時間歩くというのは、禅寺の坊さんには珍しい。ただ座るのではなく、最も金のかからない・自然を破壊しない手段によって、動く禅をするところが偉大なのです。
「浅草博徒一代」佐賀純一
慶応大学医学部を出た筆者が、たまたま往診に行った先の患者から聞いた話をまとめた本。
一時、絶版になっていたのですが、地元浅草の熱烈な要望で復刻されました。
「アウトロー」とは、この世の中のいい面ばかりでなく、その裏の部分までをも知っている人。単に面白おかしい裏話ではなく、世の中の真理を教えてくれるという点では、そんじょそこらの哲学書や教養書など比べようもないくらい、奥深い内容を持つ本です。
真理の裏表を知るために日本拳法をやる人であれば、老若男女問わず読むべき必読書でしょう。
本の読み方としては、たとえば「論語」という美しい言葉を読んだら、「厚黒学」という、同じ人生について語るに毒々しいものの見方をする本も読むと理解が深まります。大学日本拳法人は真理の裏表を知らねばならないのですから。
日本映画
黒澤明監督の映画。
外国人に日本人としての自分や日本社会・日本という国を語る際、大きな助けになります。どの黒澤映画も「日本人とは何か」を、必ずテーマの一つにしているからです。
第一作である「姿三四郎」について。
明治の柔道家・姿三四郎を描いているが、黒澤は昭和の日本人(日本という国)を三四郎にダブらせている。田舎から都会に出てきた(極東からいきなり世界の表舞台に登場した)純真な若者である姿三四郎(日本)は、柔道(軍事力)という武器を手にしてどんどん強くなり、とめどない戦いにのめり込んでいく。
映画の中の三四郎は、その愚かさに目覚め、神社で祈る神々しい乙女の美しい心に打たれて、真の人間らしさを回復する。戦時中に作られた反戦映画ですが、その後の黒澤明の気骨ある姿勢を示した、黒澤映画の原点ともいうべき作品です。
アメリカ映画
「ブレードランナー」「マトリックス三部作」
日本の近未来が暗示されています。さすがハリウッド、十年前にオバマの出現を予告していました。果たして、世界の未来はこの通りになるか。
「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」1984年 セルジオ・レオーネ
これぞ、優れた芸術家(イタリア人)と資本家(ユダヤ人)によって作られた、映画史上に輝く芸術品。
黒澤明も脱帽です。
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