第10話 恐怖川柳 「OBを見りゃ、この俺の将来知れたもの」

 この章は「身内ギャク」です。関係者以外の方にはわからないことが多いので、飛ばされることをお勧めします。


 昭和五十一年度卒

 東洋で

 最後のバンカラ

 クマ五郎


 まっつぁんは

 にっこり笑って

 ヤキ入れる


 長崎で

 カステラならぬ

 パンを焼き


 この三人が幹部の時、東洋大学日本拳法部は二部落ちした。

 しかしながら、彼らが拳法を教えた当時の一年生が、二年生の時に一部リーグ復帰を果し、四年生になった時には春秋の大会で準優勝をなし遂げ、全日本に出場する選手が輩出したこともまた、ここに銘記しておくべきであろう。


 幹部交代 in 巣鴨ハワイ四号店(昭和五十三年度 → 昭和五十四年度)

 かつて、東洋大学日本拳法部の幹部交代は巣鴨のキャバレーで行うことになっていた。

 昭和五十三年度卒

 組み打ちは

 ご遠慮ください

 ソファーでは


 下やんは

 パンティー被って

 電卓はじく


 キャバレーで

 人を介護の

 北崎先輩


 オレ日拳

 女の前では

 ボク経法(経営法学)


 五十三年度の代は「良く耐えた」世代であった。

 彼らが二年生の時には三年生がいなかった。そのため、四年と二年の間のクッションとなるべき階層が存在せず、この四人は四年生からヤキを入れられたり、また、この代が四年生となってもOB諸氏からいじめられていた。

 しかしそのおかげで、次の桜井たちの代は、のびのびと日本拳法に打ち込むことができた。ゆえにこの代は、東洋大学日本拳法部の転換点となったのである。


 昭和五十四年度卒

 桜井は

 キャバレーにても

 愛を説く


 ペーターは

 キャバレーにても

 乳搾り


 ふるさとの

 父に似てると

 泣きつかれ


 キャバ嬢に

 ひざ蹴り入れる

 小山(おやま)君


 小松君

「僕の先祖は

 人食い人種」


 三堂地

 ガリバー女に

 押しつぶされ


 正式行事以外ではガクランをやめてジャージにしたり、次の幹部交代の儀礼はキャバレーではなく一流レストランのフルコースにしたり、後輩に煙草の火をつけさせることを強制しないようにしたりと、この代(五十四年度)は東洋大学日本拳法部史上初めて、いくつかの革新的な試みを行いました。それ自体は取るに足らないことでしたが、時代の変化に対応しようと彼らなりに努力したのです。また、体育会委員長となった杉山君は、同じ努力を体育会本部で、保守派の抵抗を押さえながら実行しました。彼らこそ、東洋大学体育会(日本拳法部)のヌーベル・バーグ(新しい波)だったのです。


 昭和五十五年度卒

 審判を

 にらむな中村

 お前の負けだ

 

 主将とちがい

 いつも正直

 小松君

  

 安本は

 勝っても負けても

 神の意志(無表情)

  

 槇君の

 人生すべて

 面突きだ

  

 小山(こやま)君

 通った飲み屋に

 就職し

  

 平栗は

 どこへ行っても

 天国だ


 昭和五十三年度から五十五年度までの三世代が、旧東洋大学日本拳法部から新らしい世代の日本 拳法部への端境期・橋渡しにあたる。創部以来約二十年間の技術的積み重ねと、この三世代が取り組んだ新しい時代の変化への葛藤が、昭和五十五年の一部リーグ優勝という果実となった。戦力的に見れば、この優勝に必然性はなかった。しかし、この代でなければできなかったというのもまた事実。その意味で、時代の必然性から生まれた「申し子」といえよう。


 昭和五十六年度卒

 天国で

 輝け池田

 殊勲賞


 矢部君の

 ひたむきさこそ

 金星だ


 昭和五十五年の優勝時、当時三年生であった池田君は殊勲賞を受賞しましたが、平成十一年の八月、四十歳の若さで夭折されました。

 口でご冥福を祈ると言うのは簡単ですが、それでは、私たち日本拳法部員が学んだ、「一人一人が自分の頭で考えて行動する」という教えの実践になっていないのではないだろうか。


 昭和五十七年度卒

 新潟の

 子泣きじじいは

 組み倒す


 プーさんは

 防具をつけると

 グリズリー


 杉山の

 意志を引き継ぎ

 委員長


 岩田朗

 やさしいスマイル

 剃刀パンチ


 小さくても

 勝負に負けない

 スピリッツ


 この代は全員おとなしい顔をしていたという点で、マムシの三兄弟と呼ばれた昭和五十一年度卒の面々とは、まさに時代が変わったというか、人種が違うという感がある。しかし、ソフトな顔つきの方が、意外とねちっこい、勝負強い拳法をするようだ。昭和五十五年の優勝とは、彼らの食らいつく精神から得た引き分けや勝ち星がものをいったのです。


 昭和五十八年度卒

 沖縄の

 ハリマオと呼ばれた

 當間君


 この代は一人。昭和五十五年の優勝時には一年生として、選手を助けることで活躍しました。沖縄県人特有の、そして勇者ハリマオの持つ、強さとやさしさを兼ね備えたキャプテンでした。

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