第13話

日が落ち切ると、暮色のあとの暗闇の中に人家の灯が一つ谷間に灯っていた。山歩きに備えて、健太はリックの中に小さな懐中電灯をいつも用意していた。灯は近いと思ったのだが、高見から見たのとは違って、歩けば結構の距離があった。その人家の灯にたどりついたときには、とっぷりと暮れて暗黒が支配していた。


玄関の板戸を叩いた。出て来たのは50歳ぐらいの婦人であった。玄関口で道に迷った事情を手短に話した。婦人は入るように促し、土間のあがりかまちに座るように言った。


「それは大変でしたね。お茶でも差し上げましょう」と土間奥に入って行った。言葉は訛っていず、澄んだ綺麗な声だった。茶器を用意して炉辺に座り、健太に上がって座るように言った。


健太は商社員である身分を証し、出張の一日を使って田宮虎彦の小説に書かれている〈苔の湯〉や〈黄山瀬〉という谷を探して、森林鉄道の跡の林道を辿っていて道に迷った事情を詳しく話した。


「『黄山瀬』ですね。わたしもその小説は知っています」と婦人は言って、隣の部屋に立ち、小箱を持って来て開いた。


「これを見て下さい」。出されたのは1枚の書道半紙であった。そこには黄山瀬と達筆な字が書かれていた。健太は驚いた。


「これは私の母が書いたものです」と婦人は云って、言葉を続けた。


「母はこの地で長く中学校の国語の教師をしていました。習字も教えていました。この黄山瀬をよく練習課題としたようです」


「なにか、田宮虎彦氏と関係があるのですか」


「まさか、あの〈きいの〉が私の母とおっしゃるのではないでしょうね。母はずーと秋田です。僅かばかりの山林はありますが、とんでも…わたしのとこは秋田一の山持なんぞではありません」と婦人は軽く笑った。


「母の書棚には、田宮虎彦の全集が一冊ありました。わたしもそれを読んで『黄山瀬』を知ったのです。母は虎彦のその掌編が気に入って黄山瀬を書くようになったのだと、私は思っていました。母は5年前に亡くなったのですが、遺品を整理していたら一つの賞状入れの筒を見つけました。それは母が高校時代、高校生の全国書道展に入選したときのものでした。黄山瀬と書いた作品も一緒に入っていました。その賞状の日付を見て下さい。昭和32年と書かれているでしょう。小説の発表は昭和33年ですわね。母の方が1年早いですわ。私は考えたのですが、虎彦は母の書をどこかで見られたのではないかと。それで作品をインスピレーションされ、母の地を黄山瀬とされ、苔の湯を設定されたと。苔の湯は私も聞いたこともありません。この谷にはもう1軒、与二郎さんと云う家があります、もー一杯飲んで横になっていることでしょう。今日はうちで泊まられて、明日車で送って貰うことにされたらどうでしょう。それとも来た道を帰られますか」と、婦人はいたずらっぽく笑った。

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