第10話
この本は昭和33年、田宮虎彦44歳の時に書かれた。〈きいの〉と云う女性は、男がこころの片隅に抱いている、ひとつの理想の形かも知れない。実在していそうで、でも実際は見つからない女性であろうか。
高校時代、健太はほのかな恋心を抱いた女子学生がクラスにいた。休憩時間にも何か本を広げていた。「何を読んでいるの?」と声をかけた。彼女は黙って、表紙を見せた。田宮虎彦全集であった。
野球部に所属していて、文学や小説とかに関心など全然なかったが、その全集を一冊買ったのである。その中で一番気に入ったのが『黄山瀬』であった。好ましい小説だと思った。代表作『足摺岬』も読んだが、今何も思い出せない。黄山瀬は掌編ということもあるが、あらかたの筋は思い出せた。
高校生の健太にとって、どういいのかと訊かれてもその時はよう答えなかったであろう。ともかく、好ましく思ったのである。どこか心の中にあって、読み直してみたいと思うことがあったが、日々の仕事に追われ、読むとしても経済書や実用書がもっぱらであった。
2年前だかに、この本を取り出して読んでみた。結婚もし、子供も女の子だが二人いる。高校時代読んだのと違った感慨でもって読み終えた。そして、この苔の湯に行ってみたいと思ったのである。
道一郎のように絶望の淵にいるわけでもない。勿論、幹部候補生として前途有望というわけではない。でも、自分なりにはよくやっていると思っている。結婚生活もすべてが順調というわけでもない。妻よしこは職人の家の娘である。家庭にいて子供もきっちり育ててくれている。やりくりも上手。気配りも、気遣いも出来る。しかし、ときとしてそれが仕切りになる。優柔不断なところのある健太だからそれの方が結果よしなのだが、ない物ねだりなのだろうか、ときとして〈きいの〉のような女性に憧れる。
ネットで調べてみたが、秋田県には「苔の湯」たるものがないのである。秋田県だけではない、温泉検索でもヒットしないのである。温泉ガイド本にもくまなくあたってみたがない。ないとなるとよけい行ってみたくなるのが人の常である。山奥の1軒宿の温泉だから、現地に行って聞かないとわからないのだろうと思ったのである。
鳥海山が望める支線といえば昔のJR矢島線、現在の由利高原鉄道の鳥海山ろく線しかないのである。羽越線の羽後本荘で乗り換えて、2両連結のローカル線に乗った。時間にして40分。車内は結構乗客があった。年配の人たちが話す秋田弁は、東北出張で慣れている健太でも何を喋っているのか分りずらいことがある。列車は観光パンフそのままに子吉川に沿って黄金色に染まった穀倉地帯を走った。鳥海山は全山紅葉して勇壮な姿を見せていたが、雪をかぶった鳥海山を見てみたいと思った。
矢島駅舎は想像と違ってモダンな建物であった。「老朽化のため、平成23年に建て替えられたばかりです。前はよくある田舎の駅舎でした」と駅員は笑ながら語った。駅前にバスが止まっていたので、どこ行きかと訊くと、「ならんど行です」「行ってはならんど?」と冗談を云うと、駅員は「菜っ葉の菜にランドです。山菜などの直売所があります。20分ほどで行けます」と、下手な冗談につき合う気などありませんと云う風に生真面目な顔をして答えた。
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