第7話 

主人公の道一郎はビルマのジャングルの中を歩き続ける夢に苦しめられていた。彼は引き揚げて来てからインチキ会社の広告取りをして口をしのいでいた。取って来た広告料の中から渡されるカネは、翌日の飯代にもかつかつの額であったが、帰り道小さな飲み屋で一杯の焼酎をひっかけないではいられなかった。


そんな飲み屋に〈きいの〉はいた。細面の顔で、瞳の淋しそうな感じが道一郎のこころをなんとなくとらえた。歳は30を少し越したぐらいであった。いつからとはなしに二人は一緒に暮らすようになった。〈きいの〉の言葉には東北か北陸か、かすかに北の方の訛りがあった。


人生が妙なところで折れ曲がりさえしなかったら、道一郎はインチキ会社の贋の集金人になどになるわけはなかった。秀才コースと云われた旧制の高等学校から大学へ進んで財閥系の貿易会社に入り、幹部候補として将来が約束されていた。全てを狂わせたのはあの戦争であった。


初めての結婚は、同じ財閥系の銀行の重役の娘で医専を出て大学病院に籍を置いていた。彼がロンドンに行く予定の年に開戦になり、道一郎は新婚2か月目で招集され戦地に行くことになった。夫婦生活が2か月では細やかな愛情がはぐくめなかったのであろう、妻からの手紙はほとんどなかった。


3年後、帰って来たら妻から離婚の申し出があった。父親から病院を作って貰い医院長、同じ研究室だった男が副院長に納まり二人は出来ていた。媒酌人になった上司が中にたったが、道一郎は姦通罪で告訴した。その告訴は結局取り下げることになったが、幾日か二人を留置場に入れたことで自分の意地を貫いたのである。取り下げる代わりにかなりな慰謝料を要求したのである。


2度目の妻は商家の娘であった。サラリーマンの家庭らしい平凡な生活が1年半ほど続いたあと、2度目の招集を受けて道一郎は南方に送られた。男の子が生まれていた。


飢餓戦線から何とか帰還。妻子は無事であったが父母は亡くなっていた。財閥は解体され、貿易会社もなくなっていた。仲間たちで新たな会社を作る話にも道一郎は寄せて貰えなかった。告訴を取り下げる代わりに巨額な慰謝料を手にしたことに、彼への同僚の同情は、妻を売買したと同じ蔑視に変わったのである。


銀行預金が閉鎖され、職もなくした夫に妻は冷たい目を向けた。3つになった子供だけが慰めだった。父が持っていた不動産を売り払い、澱粉工場をやったが上手くいかず、沈没した外国船の引き上げの話に出資したが、残ったのは友人からの借金だけであった。子供がはしかをこじらせ肺炎で死んだのはそんなときであった。弔いを出してやった夜、妻の姿は消えていた。その後、宝くじ売りもしたが、贋当たり券を換金して損をしてしまった。


道路標識社の集金人になったのは、宝くじ売りをやめてからであった。飢えてジャングルの山道を歩き続ける夢を見るようになったのは、生身の道一郎が飢えているからでもあったろうが、自分で自分をどうすることも出来なくなった絶望感がその心の底にあった。

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