第6話 黄山瀬


高浜健太は大手の商社マンで係長席にある。日本でも5本の指には確実に入る商社である。大学時代も楽しそうな友を横目に見て、勉学にいそしみ、入社したことを喜んだ。あれから18年。今年で40歳になる。


昔は出張となると、喜んだものだ。時間のやりくりをつけて温泉で一泊。安いところに泊まって出張費を浮かす。今や東北にも北陸にも新幹線、交通事情が変わったのか、世の中せちがらくなったのか、そんな喜びは消えた。


それでも、健太は念入りに出張コースを組み、時間を作っては、趣味の廃線探訪やローカル線の旅を楽しんでいる。これは彼にとっては明日の仕事の英気をやしなうパワー源なのである。


健太は農学部を出ている。そんなことで果樹の買い付け担当歴が長い。今回の出張は青森、秋田、山形のコース、日本の果樹地帯である。9月、10月は青森リンゴの収穫期である。山形のサクランボは収穫期が終わっているが、来年の作付契約の打ち合わせがある。10月半ば、この時期の出張は果樹担当にとっては、一年で一番大切な出張となる。


秋田に2日の予定を見て課長はけげんな顔をしたが、近年のスイーツブーム、それには秋田のラズベリー生産の現状を調べておく必要があると報告しておいた。秋田はラズベリーが全国ランキングの2位にあり、生産量の30%をしめている。


高浜健太は今回の出張で楽しみにしていることがあった。そのために秋田に1日を余分に入れたのである。羽越本線の羽後本荘駅から出ている由利高原鉄道の鳥海山ろく線に乗ることである。


由利高原鉄道は、昭和60年に国鉄矢島線を受け継いだ第3セクターである。鳥海山を背後に広々とした豊かな米作地帯を走る。春は鳥海山の残雪も美しく、桜、菜の花が咲き誇り、田植えの時期には一面の水鏡が広がり、夏は緑の稲穂が風にそよぎ、秋は一面黄金(こがね)の野に変わる。とは鉄道のホームページに写真と供に記載されている文言である。日本ではわずか3線のみとなったタブレット閉塞の一つが残っていて、鉄道マニアの人気を呼んでいるという。


何故この線かというと、田宮虎彦の掌編に『黄山瀬』というのがある。健太はこの掌編が好きであった。ちょっと長くなるが、粗筋を書いてみる。健太が何故この一日のために、課長にまで嘘を言ったか、その理由が明らかになる。


戦争で人生が折れ曲がり、絶望の淵にあった男が一人の女性と出逢い、ささやかだが、静かな生活を得ることによって癒され、再び生きる希望を抱くという物語である。

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