あの日、空の下で

OK Saito

あの日、空の下で

 「離れ離れになってもいつも同じ空の下にいる」


 東京に出て来てそれが嘘だとすぐにわかった。東京の空には奥行きがない。どことなくくすんだ水色のペンキでむらなく塗りつぶしたかのような天井が、ビルとビルの隙間から私の心を濁らせる。雨が降れば見上げる空などない。晴れの日の空がモノクロームになるだけだ。夜は月しか見えない。まるで地球が果てのない宇宙の中であてどなく彷徨い、他の星たちの光の届かぬ最果てに流れ着いてしまったかのようだ。


 最果てに流れ着いてしまった。


 周りは「東京の大学か、いいなぁ」なんて言っていて、私も期待を胸に上京する若者でいるつもりだった。でも、本当は心のどこかで気がついていた。きっと、大切なものを失うことを。


 出発の日、朝露は名もない草花を濡らし、朝日は高原にうっすらとかかった霧を照らしていた。彼は駅のホームで私を待っていた。二人、ベンチに座って淡々と言葉を交わした。私は、その、彼の言葉の一つ一つを信じたかった。


 無機質な放送が電車の接近を知らせた。このまま電車に乗ったら、私の心は、何もない本当に遠いところに連れてかれる。


「東京、来てくれる?」


立ち上がった私は彼に言った。


「夏休みになったら」


そうじゃない、そうじゃない、そうじゃない、泣きそうになるのを堪えながら、笑顔で言った。


「待ってるね」




 午後五時過ぎ、新宿の本屋を出ると雨が静かに降り出していた。台風の襲来を前に人々は足早に曲がり角に姿を消していく。私は折り畳み傘を広げて新宿駅へと向かった。


 部屋に着いた頃には、折り畳み傘は使い物にならなくなっていた。私の体は雨に濡れ、初秋の気温に震えた。


 シャワーを浴びて、買ってきたサンドウィッチを食べた。窓を打つ雨の音は激しく、風がサッシをガタガタと鳴らす。部屋の電気が暗い。少し寒い。ねえ、電話かけてきてよ。ねえ。ニュース見て飛んで来てよ。ねえ、ねえ。なんで。


 その夜は、鉛のように眠った。その間に世界が消えても、私が消えても、気がつかないくらいに。




 あまりにも明瞭な光がカーテンの間から差し込んで来ていた。カーテンを開けると、果てのない空の青さと何も寄せつけないような白さの雲が目に入った。思わず、部屋着のまま非常階段で屋上へ上がった。


 あの夏の日も、こんな空をしていた。




 高校二年の夏、一緒に帰ろうと言われて、学校の裏手の川沿いの道を彼と歩いたのは、終業式の日だった。素直な太陽の光が私たちを照らして、雲が田んぼに陰影を与えていた。目に染み込むような青さが広がり、その下をぽかりぽかりと低い雲がゆっくりと流れていく。雲は遠く山々の向こう側まで幾重にも連なり、世界の奥行きを謳歌しているかのようだった。


 自転車を押しながら隣を歩く彼が急に立ち止まった。振り返る私。彼の言葉。


「好きだ」


 胸が苦しい。戻りたいな、あの日に。

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