第8話 猶若聚墨 「炭の塊のようである。」
「これはどうしようもない」
少年はあっさりとした表情で呟いた。
少年は諦めが早い方ではあった。
しかし、御使い先の門を押し開けた途端に彼がそう呟いてしまったのは、必ずしも少年の性格だけに起因するものではないはずだった。
御使い先。医者一家の家の門を押し開けた少年の目に飛込んできたのは、そこの家人の骸が屍屍累累と折り重なっている姿だった。
広大な敷地の中で、門から見えるのは玄関口とそれに連なる母屋、そして門から玄関口へと続く飛び石と左右に広がる普段はさぞや風光明媚を誇るのであろう庭だったが、その何処にも等しく死体が転がっている。
と言うか、初めに少年が押し開けてきた門扉の横からして、門番らしき男が喉を掻き斬られて死んでいた。
だから、これはある程度、予測と覚悟は出来てはいたことだった。
だからと言って、如何に構えていようとも、この凄惨な鏖殺現場を見て、吐気や嫌悪を我慢する方が無理な話だろう。
「う、うう、ぐう……」
最初に見せたあっさりとした少年の表情がようやく苦悶に歪む。
じっくりすべてを眺めて、彼は事の重大さに気付き始めていた。
人が、死んで、居る。
もう、誰も、居ない。
それも、ただ死んでいるのではなく、殺されている。
最初は喉を一閃されて、次は袈裟切りにやられて、それから脳天を突かれて、その後は内臓をぶち撒けられて、老若男女区別なく、勝手ばらばら果てている。
彼らに共通しているのは全部が死体であることと、全部が刃物で殺られているらしいことだった。
刃物で、それは一振りの刃物だろうか。
一人が一つの得物でここまでのことが出来るのだろうか。
そもそも、人にこんなことが出来るのだろうか。
出来て、たまるか。
だけどやったのだ。
あいつはこれをやったのだ。
それを少年は最初から知っていたはずだ。
「……僕は」
これからどうしたらいいんだろう。
お使いの品を誰に届ければ良いんだろう。
少年はそれを知らないことに今ようやく気付いた。
どこに届ければ良いかは知っていた。
ここは少年がよく知る場所だから、ここに届ける。知っている。だけど誰に届ければいいのか少年は知らなかった。ここにはもう人っ子一人いないのに。
皆あいつに殺されたのに。
「……悔乃」
あの子はこれから香ばしい匂いがすると言っていた。
あの悪食に、食わせてやるのもいいのかもしれない。
誰にというならあの子に。
もう少年はあの子以外の誰かを思い出せない。
他に妥当な人間を誰一人思い浮かべることが出来ない。
「違う」
もう一人いるじゃないか。
人ならちゃんといるじゃないか。
ここにいるじゃないか。
僕がいるじゃないか。
どうしてそんなことすら忘れてしまったんだろう。
そう思って少年は包みを開けた。
中からは血まみれた一振りの刀が出てきた。
ああ、そういうことか。
彼に課された御使いの本当の意味が、彼の眼前に煌々としてあった。
雨では流しきれない血を全身に滴らせながら少年は刀を振り上げて固まる。
あの少女、よくもまあ香ばしい匂いだなどとほざいたものだ。こんな血なまぐさいものに対して香ばしいとはどこまで悪食なのだ。
理解と同時に忘却が始まる。彼が信じていた記憶の書き換えが始まる。
分捕られていたものを少年は取り戻す。
それは少年の意思と無関係で、きっと分捕ったあいつの思い通りで、それでもそれは少年にとって失いがたいものだった。
少年は走り出した。
「どこだどこだどこだ」
問うまでもない。知っている。本当はちゃんと知っている。
いつもの場所だ。いつものお使いの場所なんだ。少年が届けていたんだ。
他愛のないものを。輝かしいものを。美しいものを。小さなものを。
いつだって少年はここに届けていた。
「ぬい、坊ちゃん」
大切な二人の体が折り重なるように倒れていた。
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