第7話 皆悉隱蔽 「すべては覆い隠されて」
「いまごろ、悔乃さんはお姉さんと再会している頃でしょうねえ」
犬原は刀を手に馴染ませるように振り回しながら、そう言った。型と呼べるような動きではなかったがまあまあ様にはなっていた。
渇虜は懐手のままふふんと鼻を鳴らした。
「マジかよ、梗乃ちゃんこっち来てんの」
「ええ、僕はちらと見ただけですが、お綺麗な方でしたね。悔乃さんとはあまり似ていないそうですが」
「それ悔乃ちゃんの悪口言ってる?」
「悔乃さんは可愛い系ですから」
「まあね」
「姉妹と言われると混乱するくらい似てないですよね」
「まあ異母姉妹だからな。2人とも母親似だしね。梗乃ちゃん今いくつになったんだっけ?悔乃の姉と来たらそろそろ嫁に行ってもいいころじゃないの。こんなところに引っ張り出されてまあ可哀そうに」
「嫁に行けるとお思いで?と梗乃さんなら言いそうなところですが」
「まあ悔乃と不悔のせいであの子はだいぶ宙ぶらりんだもんなあ」
「倉居梗乃、毒使い。怖いですよね、毒」
「怖かったよ、毒」
渇虜は思い出す。悔乃の陣営に与して梗乃と敵対して受けた毒の数々を思い出す。しかし渇虜はそれらをすでに克服している。
倉居梗乃は渇虜の敵ではない。心情ではなく能力の問題で。
「悪食と毒殺の相性ってどんなもんなんでしょうね。ちょっと興味はありますが……!」
世間話をそのままに流れるように犬原は渇虜を切りつける。
対する渇虜は一歩後ろに飛ぶ。
ぬかるんだ地面に着地、渇虜は足を取られたようにふらつき倒れそうになるのを踏ん張るも、やはり雨に濡れた地面に翻弄されて姿勢を崩す。
それに向かって犬原はじりじりとすり足で堅実ににじり寄る。
ジタバタと犬原から距離を取ろうとする渇虜に確実な一撃を喰らわせるための間合いを探る。
渇虜は苦笑いをしながら地面を眺める。これはなるほど相性が悪い。刀相手に素手であろうとも積み上げた技が負ける気はしない渇虜だったが、この状況はすこぶる不味い。技を繰り出すいとまがない。雨はいつから降っていただろうか。渇虜はこの期に及んで思いを巡らせる。この戦いはいつから仕掛けられていたのだろうか。
「今更か」
いつからと強いて言うなら多分それはあの野郎に出会ってしまったあの日からなのだから。もうとっくの昔の話になってしまうのだから。
渇虜の足は今や完全に取られていた。地面がぬかるんでいるにしてもあまりにあんまりな失態だった。大きくよろけ大きく転ぶ。犬原の刀が軽く撫でるように渇虜の正面に傷をつけていく。
致命傷には至らない。しかし足掻くのをやめればその刀は渇虜の急所を突くだろう。
「一転攻勢……といきたいもんだ」
渇虜は小さく呟くと姿勢を保つために左右に広げていた腕を正面に回す。
刀から急所を腕で庇う動き。
体勢の維持を諦めて前のめりに犬原に突っ込む。
状態の勢い。足にはもう頼らない。腕という鎧に刀が食い込んででも犬原の動きを止める。
しかし頼りの腕は不意にぶらんと下に落ちた。
「ちっ」
舌打ちでは済まないような深い切り傷を渇虜は正面に喰らう。
額から腰上にかけて勢いよく振り下ろされた刀は渇虜の血に濡れる。
「心技体の分捕り、体」
犬原は淡々とその事実を告げる
「体でもってあなたの腕を分捕りました」
「うーん。お前が体の方ってのは何よりもあいつらしいね」
「あいつらしい……?」
「本当にあいつらしくて反吐が出る」
渇虜は心底憎々しげにそういった。
犬原は少し怪訝に思う。
こいつは何の話をしているのだろう。
警戒心がよぎる。
何よりどうしてこの人は知っているくせにこの余裕を保てるのだろう。
犬原は心技体の分捕りのうち体の発動間隔を早める。
渇虜もすでに知覚していただろうが、渇虜の足はとっくの昔に分捕られている。
今は腕、次はどこにしよう。
わざわざ選ぶまでもない。
全部だ。
「順番はどうでもいい。全部です。分捕ります。あなたの体からすべてを。渇虜さんさようなら。短い間でしたが退屈はしませんでしたよ、ありがとうございました」
渇虜は唇を噛み締める。
五体から力は抜けた今や視覚も聴覚も触覚も嗅覚さえも分捕られた。
痛みすらもう自分のものではない。そればかりはありがたい気もしたが。
しかしそれでも血の味がする。
敵対するのに奪うまでもないと判断されたのだろう味覚。
「馬鹿だなあ……」
自分の声ももう聞こえないけれど、ろくに言葉になってるか自信はないけれど、渇虜は犬原のために言葉を発した。
「致命的だよ」
口の中が血の味がする。
渇虜は別に好きではない味。
それでもそこに味があるのなら。
食うべきものがあるのなら。
「ごきげんよう使いっ走りのお兄さん。倉居悔乃です。美味しい匂いがしたのでやってきましたが、これは一体どういう状況でしょうか?」
倉居悔乃はそこに来る。
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