冬の章・15 本当に雪が降る
「……精神年齢的には、彼の方が上じゃない?」
「いいえ! 男性の精神年齢は実年齢より低めで見ないといけません! だから結構年上じゃないと」
「誰がそんなこと言ったの?」
「うちの母です!」
橘と眞子は意外にも気が合うらしい。妙齢の女性二人は恋愛談義で盛り上がっている。
「俺、最近洋楽しか聴いてないから、今ヒットしてるの知らないんだよね」
「そっかあ。わたしも最近の曲あんまりわからないなあ。あ、うちの弟はアニソンばっかり歌ってるよ」
「うーん、古いのしか知らないかも。これとか?」
「あ! 知ってる! 弟、これ歌ってた」
「え~弟さんいくつ?」
「17だよ」
若い二人はカラオケによく行くようで、何を歌おうかと盛り上がっている。
次に場を移したのはカラオケ店だった。
カラオケなんて、一体いつぶりであろう。
大声を出しても周囲に迷惑を掛けず、酒も料理も出てくるといえば、確かにカラオケ店が適切であった。しかし、誉自身はカラオケは苦手であった。
なぜ、上手くもない歌を聴かなければならないのか。
なぜ、上手くもない歌を歌わされなければならないのか。
学生の頃は、主に篠原に付き合わされたものだが、社会人になってからは行かなければいけない状況がなかったため、行かずに済んでいたというのに。
誉は溜息を飲み込むと、アイスコーヒーのグラスを手に取った。苦いばかりの味に思わず眉を潜める。
「誉くん、もう飲まないの?」
「小休止だ」
酔い覚ましには丁度いい。苦いアイスコーヒーをストローで啜りつつ、順也の歌声にぼんやりと耳を傾ける。
「さすが小原くん。何をしてもソツがないなあ」
生ビールのジョッキを傾けつつ、篠原は感心したように呟く。
まったくその通りだ。世の中には秀でたものをいくつも持つ人間もいれば、何もかも足りない人間もいる。まったく不平等であるが、世の中そんなものである。
今更顔の造作を羨む気持ちはないと思っていたが、ひなたと一緒にいる順也を見ていると、若い頃に抱いていたコンプレックスが再び疼き出す。
やっぱり彼女に自分は相応しくない。
やはり、若い者は若い者同士がお似合いだ。客観的に若い二人を見ていると、嫌でもそう思えてくる。
しかし、順也がひなたを好きなのだと思っていたが、どうやら相手は橘のような素振りである。
単にからかっているだけのように思うが、順也の本心はわからない。
こちらも教員と学生で問題は多いにあるが、橘はまだ若いし、考え方も柔軟だ。学生が相手でも、上手く付き合うことは可能であろう。
だか、自分は?
自分とでは、きっと話が合わないことも多いだろう。
そもそも、自分と一緒にて、彼女は楽しいのだろうか?
顔の造作は可もなく不可もない程度。性格はクソが付く真面目。ファッションセンスに気を遣う興味も無い。楽しい話題を提供も出来ない。
せめて篠原くらい社交性……コミュニケーション能力があればと思うが、残念ながら自分才能がないのだろう。
「あの! 先生は何か歌いますか?」
タブレットを手にして、ひなたがくるりとこちらを振り返る。
そろそろ順也の歌も終盤に差し掛かっているのだろう。
せっかくひなたに話を振って貰ったのは嬉しいが、人前で歌など歌ったのは、中学校の音楽の時間が恐らく最後だ。
はっきり言うと、恥ずかしくてカラオケなんて御免である。
これまでも付き合いで足を運んだことはあっても、歌うことは頑なに拒否していた。とはいえども、ここで嫌いだからと拒否して、彼女の顔を曇らせたくはない。
「……音痴なんだ。申し訳ないが遠慮する」
できるだけ穏便な言葉で、断りを口にする。
「そうですか、わかりました。篠原さんは如何ですか?」
「いやー僕も今は飲みたいから、また後で」
「りょーかいです!」
意外にも、あっけらかんとした笑顔で彼女は頷くと、タブレットを操作し始める。恐らく自分が歌う歌を探しているのだろう。
「誉くん、また変なこと考えていない?」
不意に告げられた篠原の言葉が的中していて、アイスコーヒーを喉に詰まらせる。
誉が咳き込む姿に、篠原はやれやれと首を竦める。
「図星なんだ」
その通りなので、反論もできない。
「あんだけ良い感じになっているのに、なんでそう自信がないのかな」
「……どうしてそっち方面だと言い切れる」
「だってさあ、ずっとあの二人のこと眺めているからさ。やっぱり若者は若者同士が……なんて考えているんだろうなって。もう若さは戻ってこないわけだからさ、無いものねだりはしても無駄っていうか、不毛っていうか」
「別に、そういうわけでは」
「若くなくても、イケメンじゃなくても、コミュ障の気があっても、相手が良いっていうんだから気にすることはないんだよ」
立て続けに失礼なことを言われた気がするが……事実は事実だ。反論の余地はない。
「まあでも、未成年に手を出したら犯罪だからね。心得ておいてよね」
そうだ。法律的にも問題があった。
一体どうすればいいのだろう。
山田ひなたとの間には、難問があり過ぎる。
この難問を解決するのは、時間しかない。
しかし、彼女はまだ若い。交際をしても問題が無い年を迎えたとしよう。果たして彼女の気持ちは今のままであろうか。
答えは否だ。これからたくさんの出逢いを経て、彼女の心が変わるのは当然のことだ。
「誉くん?」
「わかっている」
わかっている。自分が取るべき道は嫌なほどに。
「そういう意味で言ったわけじゃないんだけどな……まったく、クソ真面目だねえ。もっと巧くやっている先生方はいるよ?」
「他人は他人、自分は自分だ」
「うんまあ、誉くんらしいね」
篠原は苦笑すると、テーブルに乗っていたメニューを誉に差し出した。
「そろそろ飲む?」
「……そうだな」
「んーじゃあ、日本酒にする? あんまり種類ないけど」
「熱燗にするか」
「付き合うよ」
「ありがとう」
「誉くんにお礼を言われるなんて、明日は雪が降りそうだね」
「冬だから降っても不思議はないだろうが」
「まあまあ」
二時間後、店を出ると小雪がちらついていた。
「ホントに雪が降った」
自分で言い出したくせに、篠原は呆気に取られたように、雲に覆われた暗い夜空を見上げる。
「……だから今は冬だから不思議はない」
「あははは」
とはいえ、篠原にあんなことを言われた直後に降ったものだから、誉の心境は複雑である。
「ちょっと真人くん。遅い」
つい雪に気を取られていたが、先に店を出ていた眞子がうんざりした声を上げる。
小さな折り畳み傘で、ひなたと二人相傘をして待っていたようだ。しかし、一緒に先に店を出たはずの橘と順也の姿がない。
「あれ? 橘先生と小原くんはどうしたの?」
「先に帰ったわよ。小原くんが送って行ったわ。間違いなく送り狼に変貌ね」
あっさりと恐ろしいことを言わないでほしい。
「へえ、小原くん攻めるなあ」
篠原は感嘆の声を上げるが、ここは感心するところではない。
「若者ゆえの一途さっていいわね、青臭くて」
しみじみと眞子は呟く。
「おい……無責任なことを言うな」
順也の名誉を守るために二人を諫めるが、眞子は相手にしない。
「じゃあ、わたしは真人くんに送ってもらうから。飛沢くんは山田さんを送ってあげてね」
「ああ」
誉の手に折り畳み傘を押し付けると、篠原の腕を取る。
「じゃあね、山田さん気を付けて。飛沢くん、あなたも送り狼にならないようにね。あなたの場合は犯罪だから」
「……なりませんよ」
不機嫌に返事をしながら、ひなたを傘の中に入れる。
「じゃあね山田さん。誉くん、また」
「ああ」
小さく手を振ると、二人は寄り添いながら雪の中を歩いてゆく。
今まで気にしていなかったが、あの二人は付き合っているのだろうか。
これまで黙っていたひなたが、誉と同じ疑問を口にした。
「あのお二人……お付き合いしているのですか?」
「さあな」
実際のところ、本当に二人が付き合っているかどうかは知らない。だが、それはそれでいいんじゃないかとは思う。
「じゃあ、雪がひどくなる前に帰るとしようか」
「はい」
二人で肩を並べて歩き出す。
もっと寄り添った方が濡れなくて済むが、それをしてはいけない気がする。彼女の方へ傘を傾けると、次第に降り積もり始めたアスファルトの上を歩き始めた。
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