冬の章・13 クソ真面目で朴念仁

 ひとり飛沢と篠原の友人が来ると聞いていたが、てっきり男性だと思い込んでいた。

 ところが可愛らしい雰囲気の女性で、服装もオフィスカジュアルというのだろうか。少女めいた甘さと大人らしい落ち着きが相まって、一言でいえば「素敵な女性」だ。

 こんな素敵な女性と、十年も友達で済むであろうか。


「何頼むか、決まった?」

 順也の声にはっとする。

「ええと……梅酒にしようと思うんだけど、迷ってて……」

 すると、どれどれと順也もメニューを覗き込む。

「じゃあ、まずはスタンダードなこれがおススメ。ソーダ割でどう?」

「うん、じゃあそうしよっかな」

「じゃ、わたしは熱燗もう一本」と橘。

「俺も三花先生と同じで。飛沢先生と篠原さんは中生でいいですよね?」

「俺はオッケーだよ! 眞子さんはどうする?」

「寒いから熱燗がいいわ」

「誉くんは?」

「ビールでいい」

「あ、じゃあ店員さんに伝えてきますね」

 注文を頼みに行こうと、立ち上がった時だった。

「ちょっと待って」

 加藤と名乗り、眞子と呼ばれた女性が呼び止める。振り返ると、真っ直ぐな視線とぶつかる。

「あなた……山田さん。まだ未成年よね?」

「は、はい……」

 戸惑うひなたに、至極真面目に彼女は言った。

「お酒は駄目よ。ジュースにしておきなさい」

 命令を下すような口調に、思わず怯んでしまう。

「まあまあ、せっかくの忘年会なんだから、少しくらいいいじゃない」

 篠原がすかさず助け船を出すが。

「駄目よ篠原くん。これだけ大人が揃っているのに、未成年の飲酒を見逃してはいけないわ」

 まさに正論である。篠原は返す言葉もなく苦笑いを浮かべている。

 確かに眞子の言うことはもっともだ。でも、メニューを選んでいる時に忠告してくれてもいいはずだ。

 なのに。

 皆の前に立っている状況で、責めるように言わなくても。

 まるでみんなの前で断罪されているような気さえする。

 思わず飛沢にすがるような視線を送ってしまう。しかし飛沢は、メニューに目を落としたまま、ひなたには目もくれない。

「もう、お二人とも真面目ですねー。でも確かにまだ未成年の山田さんに配慮が足りなかったのはわたしですから。ごめんね山田さん」

 意外にもフォローしてくれたのは、橘だった。

「いえ……大丈夫です」

 辛うじて答える。こんなことで声が震えるなんて。

 息をぐっと飲み込むと、ひなたは無理やり笑顔を作る。

「お酒、やめておきますね。他の、先に注文してきます」

 駄目だ、泣きそう。

 眞子は当たり前のことを言ったまでだ。それに、そこまでお酒が飲みたいわけじゃない。むしろ母親が作る梅ジュースの方が好きなくらいだ。

 だから、泣くなんておかしい。ぐっと息を呑み込んだ時だった。

「……確か、そうだな」

 飛沢がぽつりと呟いた。

「昔、自家製の梅ジュースがあったんだ。この店には」

 唐突な飛沢の発言に、全員が目をぱちくりとさせる。

「山田さん、もしあればだが……梅ジュースはどうだろう?」

 飛沢の提案に戸惑いつつも、ひなたは答える。

「す、好きです……」

「よし」

 飛沢はひとり頷くと、のっそりと立ち上がる。

「メニューにないからわからないが、念のため聞いてみようか」

 さっさと座敷から降りると、店のサンダルを突っ掛けて行ってしまった。

 数秒ぽかんと立ち尽くしていたひなただが、はっと我に返って飛沢を追い掛ける。

「あの、先生」

 追い付いた。ひなたは飛沢の袖を引く。

「どうした?」

 振り返った飛沢と目が合う。一瞬驚いたようだが、柔らかく細めた目がひどく優しい。

「すみません、先生。わたし、あの……」

「いや、配慮が足りなかったのはこっちだ。申し訳ない」

 ぽん、と頭に手を乗せる。

 わ、わわわ……!

 すぐにその手は頭上から消えてしまったが、大きな手の感触と近づいた距離に、ひなたの心臓は鼓動を早くする。

「先生、ここのお店、来たことあるんですか?」

「ああ。子供の頃、この店に来たことがあって。両親が酒を飲んでいるのに、自分だけジュースじゃ嫌だと駄々を捏ねていたら、店の人が出してくれたんだ。だから……今も作っているといいんだが」

「先生が、駄々を捏ねたりしたんですか?」

 子供の頃も想像が付かないけれど、駄々を捏ねる姿はさらに想像が付かない。

「子供の頃の話だ」

 少し照れくさそうな横顔を見ていたら、ささくれ立っていた気持ちが嘘みたいに穏やかになっていた。

 飛沢はカウンターまで行くと、中にいる店員に声を掛けた。

「すみません。今も自家製の梅ジュース、扱っていますか?」


* * * *


「眞子さん。今の、ちょっと意地悪くない?」

「あら、そう? 当然のことを言ったまでよ」

 ひなたが出て行き、追い掛けるように行った誉を見届け、眞子は満足そうだ。

「でもまあ、結果オーライなんじゃないの?」

 可愛い顔立ちには似合わない、不敵な笑みを浮かべる。

 やれやれと肩を竦める篠原に、橘はテーブルに身を乗り出して訊ねる。

「あの、篠原さん。あの二人ってどうなんですか?」

「ん? どうってどういう意味ですか?」

 にこり、と篠原はしらばっくれる。

 橘は、あーうーと唸って、懸命に言葉を探す。

「えーと、ですから……うーあーええと」

「何? つまりはあの二人がデキているのかってこと?」

 ズバリと切り込む眞子の言葉に、橘は大きく頷く。

「はい、はい! その通りです! で、どうなんでしょう?」

「あのクソ真面目な朴念仁に、女子大生に手を出す度胸なんてあるわけがないでしょう?」

 嘲笑うように告げる言葉は、その可愛らしい容貌からは想像が付かない。橘と順也は思わず顔を見合わせる。

「……ということは、小原くんの勘違い」

「違いますよ」

「えええ……でも」

 戸惑う橘に、順也はニコリともせず断言する。

「だから、諦めた方がいいですよ。というか諦めて」

「ええええぇ…………」

 がっくりと項垂れる橘と、普段は見せない順也のふて腐れた様子に、篠原は不思議なものを見るかのように目を瞬かせる。

「えーと、イマイチ状況がわからないんだけど」

 質問を始めたが、それは眞子によって中断された。

「……痛いんですけど」

 メニューで頭を小突かれた篠原は、恨みがましい目で眞子を見据える。

「ほら、さっさと決めて、食べる方も」

「はいはい」

 篠原は諦めたように首を竦める。自分を小突いたメニューを広げると、順也も一緒になって覗き込んだ。

「揚げ出し豆腐とモツ煮込み、かなあ」

「せっかく串焼きのお見せなんだから、本日のおススメアラカルト串焼き五本セットは外せないわ」

「寒いから鍋もいいですね」

「六人もいるんだから、全部頼んじゃいましょう!」

 四人でワイワイと酒の肴を選び、注文をし終えた頃に、ようやく二人が戻ってきた。

「おかえり」

 篠原の呼び掛けに、誉はちらりと視線だけ動かす。

「ああ」

「梅ジュースはあった?」

「ああ」

 誉は淡々として変わらない様子だが、ひなたの様子を見ると、いつもの笑顔が戻っていた。

 この二人、一体どこまでどうなっているんだろうなぁ……。

 取り敢えず、クソ真面目で朴念仁の友人は、安易に未成年の学生に手を出すような男ではないはずだ。

 面白がって煽るだけ煽ったが、まさかこんなにいい雰囲気になるとは思ってもみなかった。

 あーあ、眞子さん面白がっちゃっているよ……。

 静かにほくそ笑む女友達の横顔を、篠原は何とも言えない気持ちで溜息をかみ殺した。

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