冬の章・12 忘年会

 橘が送ってきた地図によると、今夜の忘年会の会場となる店はここで間違いない。

 店は地下にあり、入口へ続く階段の壁には、お酒のラベルがあちこちに張り巡らされている。

 よく考えたら、個人経営の串焼き屋なんて初めてだ。

 店の名前も間違っていない。何度か確認をして、間違いなくここであることを確信する。

 足を踏み入れようとした時、下から誰かが階段を上がってくる気配がする。足を止めて待っていると、現れた人物は橘であった。

「あ、山田さん!」

「こんばんは、橘先生」

 ぺこりとお辞儀をする。

「こんばんは! 早くおいで」

「は、はい」

 まだ十分前だから余裕があると思っていたのに、他の方々はさらに早かったようだ。

「すみません、お待たせしてしまって……」

「違うよー、まだわたしと小原くんだけ。ちょっと先に一杯やりたかっただけだから」

「そうなんですか」

「そうそう」

 橘と一緒に店内に入ると、「いらっしゃいませ」と朗らかな声が迎え入れてくれる。小さなお店だが、カウンター席とテーブル席はすでに埋まっていた。

「山田さん、こっちこっち」

「あ、はいっ!」

 先を進む橘に付いていくと、そこはお座敷だった。狭い畳敷きの部屋で、順也が笑顔で出迎えてくれた。

「こんばんは」

「こんばんは、ひなたちゃん」

 テーブルには、すでにお銚子と杯が並んでいる。

「日本酒?」

「うん熱燗。皆が来る前に、ちょっと身体を温めておこうと思ってね」

「駆けつけ一杯ってことで、ちょっと飲んでみる?」

「うう、日本酒はちょっと……」

 なみなみと注がれた杯を差し出されるが、慌てて辞退する。

 初めての合コンの時、確か日本酒を口にして大失敗したのだ。だから、日本酒にはちょっとした恐怖心がある。

「こらこら、無理強いは良くないぞ」

「やだなー、橘先生じゃあるまいし」

「お、言ったな」

 すかさず順也から杯を取り上げると、くいっと一気に熱燗を飲み干してしまう。

「くぅーっ! 五臓六腑に沁みわたるぅ」

 実に美味しそうだ。順也も手酌で自分の杯を満たすと、やはり美味しそうに飲んでいる。

 やっぱり順也くん、いける口なんだなあ。

 ひなたや智美と飲む時はビールやサワーだ。合わせてくれていたんだと思うと、ちょっと申し訳ない気持ちになってきた。

「ほら、ひなたちゃんも座んなよ。すぐに飛沢先生たち来るからさ」

「う、うん」

 さて。どこに座ろう。

 六人が座れる掘り炬燵。三対三の対面で座る席だ。順也と橘は奥の席で対面に座っている。後から来る人のことを考えると、すぐに移動しやすい席に座るのがベストだろう。

「失礼します……」

 橘側の通路に近い席に、ちょこんと座る。

「山田さん、隣りにおいでよ」

 橘は手招きするが、ひなたはゆるゆると首を振る。

「えっと……後から来る方もいらっしゃるので、すぐに出れる場所がいいかと」

「えー、気にしなくていいからさ」

 しつこく誘おうとする橘に、順也はすかさず手刀で脳天を一撃する。

「いたい……」

「あんまりしつこいと嫌われますよ」

 頭を押さえる橘と、悪戯っぽく笑う順也。二人の親しげな姿にちょっと驚いた。

 順也くん、橘先生と仲が良かったんだ。

 意外な組み合わせに、ひなたが目を瞠っていると、店員の「いらっしゃいませ」という声の中に飛沢の声を聴いた気がして、思わず腰を上げていた。

「先生がいらしたようなので、声掛けてきますね」

「うん、よろしくー」

 パタパタと店のサンダルを突っ掛けて行くと、コート姿の飛沢の姿が見えた。

「せ……」

 視線の先には、飛沢と篠原と、見知らぬ女性がそこにいた。

 誰だろう……。

 小さくて華奢で、恐らく年上だろうが可愛らしい印象の女性。

 何か話している。飛沢が苦い顔になると、その女性は楽しそうに微笑む。

 何だか親しそうだ。途端に胸がもやもやする。

 もしかして、あの人が「もう一人加わるメンバー」なのかな。

 ふと飛沢こちらに目を向ける。一瞬目が合ったような気がしたが、思わず目を逸らしてしまった。

 ……何をやっているんだろう。

 たちまち自己嫌悪に陥る。

 今のは明らかに感じが悪かった。いや、もしかして目が合ったことに、飛沢は気付いていないかもしれない。気付いていないといい。

「あ、山田さーん」

 ひなたに気付いた篠原が、ひらひらと手を振りながら近づいてきた。

「こ、こんばんは」

 深々とお辞儀をする。篠原の背後にいる飛沢と顔を合わせずらいのを誤魔化すためだ。

「橘先生と小原くんは?」

「一番乗りで来ていますよ」

「そっか。席はどこかな?」

「はい、この奥です」

 三人が通れるように、通路の端に身を寄せる。飛沢の視線を感じるが、気まずくて顔が上げられない。

 女性が通り過ぎた時、ふわり、と大人びた甘い匂いが鼻を掠める。俯いている視界の中に、ピンクベージュのフレアスカートと、ピカピカしたエナメルのパンプスが入ってくる。

 デニムじゃなくて、もっとお洒落をしてくればよかった……。

 この日のために購入したデニムのスカートと、赤いスニーカーがたまらなく幼く感じてしまう。

 今になって後悔してもどうにもならないが、後悔せずにはいられない。

 もう通り過ぎたと思って顔を上げると、足を止めた眞子がじっとこちらを見つめていた。

「あなた、飛沢くんのところでバイトしている子?」

 突然話し掛けられ、ひなたは狼狽える。

「え、あ、はい。山田と申します」

 再び頭を下げる。

「丁寧にありがとう。加藤です。飛沢くんと篠原くんとは、かれこれ十年以上の腐れ縁なの」

 十年以上の付き合い。だからあんなに親し気だったのか。

 不意に、さっき目にした親密な様子を思い出し、胸がぎゅっと痛くなる。

「今、歳いくつ?」

「……19歳です」

「若ーい!」

 わ、と驚いたように両手を口に添える。少々わざとらしさを感じる仕草に、ムッとしてしまう。

 何かを口にしようと言い掛けた時、篠原の呑気な声がそれを止める。

「おーい眞子さん、山田さん。早くおいでよ」

「あ……」

「はいはい、今行きまーす。さ、山田さんも行きましょう」

 ポン、と肩に置かれた手は、すぐに離れて行った。

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