冬の章・07 合わせる顔は、どんな顔?
「で、それから何か進展はあったの?」
「う、うん」
「え? 本当? なになに?」
「手を」
「手を?」
「繋いだ」
「はあ? 何それ! 手なんて小学生でも繋ぐよ! ちょっと仲良ければ繋ぐよ! 順也くんだって繋ぐでしょ?」
「うん、繋ぐー。ひなたちゃん、智美ちゃん、今度手を繋いで帰ろうか」
「いいよー」
「ええっ!」
「いや、そのくらいいいでしょ」
「そういうものなの?」
「ま、俺は普通に仲良い女の子と手を繋ぐけど、ひなちゃんが気になる人はそうじゃないってことなんじゃない?」
「もしかして相手は中学生?」
「違います……」
飲み会の帰りに、例の気になる人と会った。
智美につい溢したら、速攻で学食に連行された。そして、示し合わせたかのように順也も学食に居て、戸惑う間もなく報告会になってしまった。
自分だけだと、どうしたらいいのかわからなくて。
飛沢の名前は伏せてあるから、大丈夫だろうと思っていたから。
でも、いろいろ話しているうちに、気になる相手が飛沢だとバレてしまうだろう。
でも先生のことまで、笑うなんてひどい。
もう、余計なことは言わない。言わないんだから。
ひなたは、カラカラと笑う二人を軽く睨み付ける。
「なんてね。冗談だよ、冗談」
順也は笑いながら、ひなたの頭にポンと手を乗せる。
「その人は、ひなたちゃんのことがものすごく大事なんだろうね」
「えっ……」
順也の言葉で、一気に顔が熱くなる。
でも、飛沢とはそういう関係ではない。先生と学生、単にそれだけなのだから。
「ところでさ、まだ相手に好きって言っていないんでしょ?」
「あの、まだ……」
好きなのか、まだわからない。
そう告げようとしたが、言葉が喉元で詰まる。
違う。わからない、なんて……。
もうとっくに自覚していた。でも、自覚してしまった途端に顔を見るのが恥ずかしくなってしまいそうで、自分の気持ちを誤魔化していた。
でも、あの日。偶然飛沢と二人で過ごした夜。
一緒にいる時間が心地よくて、あたたかい手を離したくなくて、この時間がずっと続けばいいのにって。
……飛沢先生が、好きなんだ、わたし。
「うわ、なんだか……恥ずかしくなってきた」
自覚したひなたは顔を両手で覆う。頬が熱い。きっと真っ赤になっていることだろう。
「おお、とうとう観念したか。ひなた」
テーブルに突っ伏したひなたに、智美はわざと意地悪く笑う。
「相手の人もさ、ひなたちゃんが好きだから、下手に手出しができなかったんだろうね」
「違う違う、そんなことないってば」
頭の上で手を振って否定するが、順也もまた否定する。
「いやいや、絶対好きだから、その人。男の俺が言うんだから間違いないよ」
「で、でも」
「うん。間違いない。間違いなく両想いだから、もう告白しちゃえ」
「えぇ……」
「そうだよ、ひなた。頑張れー!」
「ええぇ…………」
二人は大いに盛り上がってるが、ひなた本人は置いてけぼりだ。
やっと自分の恋愛感情を自覚したばかりなのに。
今度のバイトで、飛沢とどんな顔をして会えばいいのかすらわからないのに。
告白なんて、無理!
それに、先生がわたしのことを、好き……なんて。
駄目だ。想像もできない。
「晴れて彼氏になったら、紹介してね!」
智美の言葉に、ひなたは返事に詰まる。
まさか、相手が飛沢准教授だとは夢にも思っていないだろう。
「あはははは……」
言えない。身近過ぎる故に言えない。好きな相手が飛沢先生だなんて、言えない。
「はい、返事は?」
「…………もし、そうなったらね」
飛沢と恋人同士になれる日なんてくるのだろうか。
駄目だ。やっぱり想像できない。
「楽しみにしてるね!」
「うん、俺も」
順也は意味ありげにニコニコとしている。
……もしかすると、順也くんは気付いているのかもしれない。
しかし「わたしの好きな人、誰かって気付いていますか?」なんて聞くこともできない。何とかこの話題を逸らしたり、誤魔化したりしながらやり過ごすしかないと、ひなたは腹を括るのだった。
困っているのは、ひなただけではなかった。誉もまた、大いに困っていた。
あの時、感情のままに手を繋いでしまった自分を殴り飛ばしてやりたい。だが。
『もう少し、このままで……いいですか?』
こんなことを言われて、手を振り払う男がいるだろうか。いや、いるはずがない。
結局、あの後すぐにタクシーが見つかったお陰で、手を繋ぐ以上の行為に発展せずに済んだのだが。
危なかった……。
理性を保てるところでタクシーが見つかってよかった。
しかし、ひなたはどのような考えで「このままで」と言ったのだろう。
可能性はいくつかある。
一、寒かったから。
二、好意を持っているから。
寒かったから、という理由が有力ではある。しかし、山田ひなたは寒いからといって、異性の手をカイロがわりに使うような女性ではない。
ということは……。
都合よく解釈してしまいたくなるが、もしかすると他の可能性だって考えれる。主観が入っているから、他の理由が見えないだけかもしれない。
しかし、こんな質問を誰かにすることもできない。
「…………よし」
こんな時はインターネットだ。誉はさっそく検索を掛ける。
付き合っていない男性と手を繋ぐ、このキーワードでいいだろうかと思いながら、早速検索サイトに入力する。
「……出た」
すごい。これだけで五万件近くの情報が出てくるとは。
できるだけ上位の中から、繋がれた女性の心理について書かれたものを探す。しかし、女性と手を繋ぎたがる男性の心理の記事が目立つ。試しにその記事を読んでみると、まるで誉の気持ちを代弁したかのような内容だった。
好きな女性に触れたいから。
女性に好意を持っているから。
女性の反応を確かめたいから。
まさにその通りだ。これを無意識にやってしまうとは……我ながら恐ろしい。
気を取り直して、女性の反応について調べてみることにする。
自分が手を握った時の、相手の反応を思い出してみる。
手を離せないままでいた自分に、彼女は何と言った?
思い出しただけで顔から火が噴き出しそうだが、これは検証であるのだと自らに言い聞かせる。
ちょうど「手を繋がれた時の、女性の対処法」という記事を見つける。
好意があれば、握り返す。
好意がなくても、心細い、不安な時は繋いでしまう。
「なるほど……」
二人で歩いた道は、暗くて不安を抱くような状況だった。時折、彼女が不安そうにしていたことを思い出す。
自分としては前者であって欲しいと願うが、当時の状況を考えると後者である可能性の方が高い。
「………………はあ」
冷静になれ。自分はひと回り以上年上で、しかも教員だ。頼りにはするかもしれないが、恋愛相手には当てはまらない。
危ない。また勘違いをするところだった。
ふと、パソコンの片隅に表示された時刻に目をやった。あと十分もしないうちに、ひなたはやってくる。
まったく、仕事もしないで馬鹿なことを調べてしまった。
誉は閲覧履歴を削除して、ブラウザを閉じる。これで証拠は隠滅された……はずだ。
気持ちを切り替えよう。珈琲でも淹れるかと、席を立った時だった。
コンコン。
背を向けた研究室のドアがノックされた。もしや、もうひなたが来たのかと思って慌てて振り返る。
「こんにちはー、篠原でーす」
声と共にドアを開いたのは、篠原だった。
「……何だ、お前か」
すぐさま背を向け、珈琲のドリップに専念することにする。
「何だお前か、とは失礼ですよ、先生。せっかく山田さんも来たっていうのに」
考えるより早く振り返ったのは、ほぼ条件反射に近かった。
篠原の背後から姿を現したひなたは、誉の顔を見た途端、頬を赤らめる。
「こ、こんにちは……」
赤らんだ頬のまま、控えめに、はにかむようにほほ笑む。
その様子は自分に会えて嬉しいと自惚れてしまいそうで、たちまち体温が上昇するのを自覚する。
「……こんにちは」
駄目だ。直視できない。
「すまない、今珈琲を淹れていて……君たちの分も淹れようか」
その間に赤らんだ顔を冷まそうという考えである。しかし。
「じゃあ、わたしがやります。先生」
頼むから、熱が引くまで待っていて欲しい。すると。
「まあまあ山田さん。先生が淹れてくれるっていうなら、お言葉に甘えようよ。ね、飛沢先生?」
「遠慮は無用だ」
「ほらね」
「え……あの、はい。では、お言葉に甘えて」
「そうそう、甘えちゃいなさい」
どうやら誉の意図を酌んでくれたようだ。篠原に借りを作るのは癪だが、今だけは感謝する。
取り敢えず、二杯分の珈琲を淹れ終えた。カップを持って振り返ると、そこには篠原の姿はなく、ひなたしかいなかった。
「……篠原は?」
「用事を思い出したとかで、事務所に戻られました」
「そうか……」
気付かなかった。いつの間に。
そして、この研究室で、ひなたと二人きりになってしまったことに気が付いた。
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