秋の章・02 結婚式当日
眠い……。
立ったままで余裕で眠れそうだ。しょぼつく目を瞬かせながら、こみ上げる欠伸をかみ殺す。駅のホームの電光掲示板を見上げ、まだ電車が到着しないことを確認すると、自動販売機に向かう。
昨夜は散々だった。
無糖の缶コーヒーを買い、ぐびりと一口飲み込んだ。また欠伸がこみ上げてきた。カフェインの効果が現れるのを期待しつつ、もう一口。
篠原のせいで寝不足だ。なぜならば、奴のくだらない講義を受けたせいだ。
良さそうな女性を見極める術。初対面の女性と良い感じになる会話術……他にも色々あったような気もするが、空が白んでくるまで語られたのだから堪らない。
半分以上船を漕ぎながら篠原の話を受け流し、二時間くらいは横になったものの眠気はますますひどくなっただけだった。一方篠原は異様なほど元気で、朝食の仕度をし、誉のヘアセットを仕上げたのだった。
確かに篠原が言うだけあって、仕立ての良いスーツである。黒い光沢のあるシングルジャケットは、奇跡的にサイズがぴったりだった。仕立てが良いせいだろうか、普段のスーツ姿よりもスタイルが良く見えるのは、多分気分のせいかもしれない。
白いシャツの袖には白蝶貝のカフス釦。カフス釦なんて、これまで一度も付けた試しなど無い。いや、一度くらいあるかもしれないが、興味があまりなかったせいで忘れてしまっているのかもしれない。ネクタイは駅の売店で購入したものとは違い、淡いシルバーだ。胸元から覗くポケットチーフは勿論シルク。革靴もすっきりとしたデザインの、非常に履き心地が良いものだ。
眼鏡を外せと言われたらどうしようと思っていたが、特にこれに関しては注文を付けられなかった。だからいつもの銀縁眼鏡を掛けている。
……なんだか、仮装でもしている気分だな。
普段着慣れない服装のせいだろう。肌触りのいいワイシャツの感触でさえ、妙に落ち着かない。誰も気にしやしないのに、人から見られているような気さえするが、きっと気のせいにちがいない。
電車が到着するというアナウンスが入る。
「よし」
缶に残ったコーヒーを飲み干すのと、電車がホームに入ってくるのはほぼ同時たった。ホームを駆け抜ける風を受けながら、自販機に寄り添うゴミ箱に缶を投げ入れた。
* * * *
会場で受付に立っていたのは、誉と歳の近い男性と女性の二人組だった。確か父圭介の教え子だと聞いている。
なんというか、気恥ずかしい。
自分の父親が、親子ほど歳が離れたかつての教え子と結婚。しかもその嫁と歳が変わらない息子は未だに息子は未婚。
父に先を越された息子というものが、世間様の目にはどう映るかわからない。いや、もしかしたらどうとも思っていない可能性だってあるというのに。
自意識過剰なのはわかっている。だが気にせずにはいられない、己の小心が情けない。
ひとまず「父がお世話になりました」、いや「お世話になっております」の現在形か。もしくは「今日は父のために、お時間を割いていただいてありがとうございます」か。
どう受付の人物に声を掛けるべきか考えた末、最後に考えた文言にしようと心の決めた矢先だった。
「あの、飛沢先生の息子さんですか?」
口を開く前に、受付の女性に先手を打たれてしまった。女性の目は好奇に満ちている。
「はい、飛沢の息子です」
やっぱり、と隣りの男性とアイコンタクトを取る。
まだ名乗る前だというのに、なぜ息子だとわかったのだろう。それは、すぐに受付の女性が謎を解いてくれた。
「やっぱり似ていますね。飛沢先生と」
「そう……でしょうか」
「はい。昔の先生を見ているようで懐かしいです。ね、梅田くん」
梅田くんと呼ばれた男性も、うんうんと何度も頷く。
「飛沢先生の方が、もっとのほほんとした雰囲気でしたけど、似てますねー。やっぱり」
親子だから似ていてもおかしくはない。おかしくはないのだが。
「そう、ですか」
「息子さんも先生やっているんですよね」
「ええ」
「やっぱり血は争えないですよね。じゃあ息子さんも飛沢先生って呼ばれているんですね」
「……そうですね」
こういう時、実に反応に困る。父親に似ていると言われて、嬉しいかと言われると、実はあまり嬉しくはない。だからと言って嫌だというわけでもない。少々複雑な気分である。
しかも、歳が大して変わらない相手に「息子さん」と連呼されるのも妙なものだ。
「今日は父のために、ありがとうございます。よろしくお願い致します」
これ以上この二人の前にいるのは、妙に気恥かしい。簡単ではあるが礼を述べ、逃げるように一目散に受付を後にした。
式を行うチャペルへ直行する。親族用だという席に座ると、やっとひと息吐いた。
飛沢家の親族席は、誉ただ一人だ。友紀の方は、初老の女性が一人と、若い女性が一人。恐らく彼女の職場の人間であろう。
当初は身内だけで簡単にという話だったから、親戚への連絡は事後報告と圭介と話していたのだ。
結局、友紀の職場の親しい人間と、圭介が当時担任を持っていたかつての教え子たち十数人が集まることになっていた。
友紀の職場の人たちに、挨拶くらいした方がいいだろう。ベンチシートから腰を浮かせた時、不意に若い女性がこちらを向いた。まだあどけなさを残したその顔は、確かに見覚えがあるものだった。相手も誉に一瞬遅れて気付いたようだ。大きな目を、さらに大きく見開く。
どうして、彼女がここに?
「せんせい……?」
少し低めの、甘さを残した柔らかな声が耳朶に響く。
「山田さん……どうしてここに?」
今日の彼女はいつもよりも少し大人びて見えた。
髪をアップにしているせいもあるかもしれない。淡い桜色の、わずかに光沢があるワンピースのせいかもしれない。柔らかな色合いのワンピースは彼女の白い肌によく映えていた。装うとずいぶん雰囲気が変わるものだ。
「飛沢、先生です……よね?」
ひなたは不安そうに、確認するように、誉を見上げる。
「ああ」
「どうして、こんなところにいるんですか?」
どうして、って。それはこっちの台詞だ。
「山田さんこそ、どうしてここに?」
どうして彼女が父と友紀の結婚式にいるのだろう。
しかし彼女は質問には答えてはくれず、焦った表情で詰め寄ってきた。
「わ、わたしのことはいいんです! 先生、そろそろ式が始まっちゃいますよ」
「ああ。そろそろ時間だな」
「だから、あの! 始まっちゃいますよ!」
何をそんなに焦っているのだろう。もしかすると、写真撮影でも頼まれているのかもしれない。しかし、ひなたは特にカメラ等は所持している様子もない。
「大丈夫。あと五分も経たないうちに始まるだろうから」
「ええっ!」
慌て気味な彼女の様子に、思わず首を捻る。腕時計を見ると、すでに挙式開始時刻だ。入口に目を向けると、恰幅のいい外国人である牧師が姿を現した。
その後に続くのは、シルバーグレイのタキシードに身を包んだ初老の男性。普段よりも若々しく見えるが、まぎれもなく誉の父、飛沢圭介である。背筋をしゃんと伸ばし、表情は少々緊張気味に強張っている。手袋を握る指先がかすかに震えているのは、恐らく気のせいではないだろう。
父親の新郎姿を見る息子という図式は、滅多にないだろう。苦笑まじりに父の晴れ姿を眺める。
「新郎って……あの」
一体どうしたというのだろう。ひなたは茫然と、聖壇に向かって進む新郎を見つめていた。
「あの、あの方……新郎はどなたですか?」
彼女があまりにも驚いていたので、なぜ招待された結婚式の主役の名を知らないのだろうと考えもしなかった。
「あれは……私の父親なんだ」
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