秋の章・03 ブーケトス

 私の父親だと告げた途端、ひなたは大きな瞳をさらに大きく見開いた。

「……どうして先生のお父さんが、ご結婚されるんですか?」

「うちの父は独身だから問題ないんだ」

「え……?」

 どういう意味かと問いたげだったが、父が独身である理由は、めでたい席では避けた方が無難であろう。

 式が始まっているので、この辺りで会話は控えるべきかと思ったが、ひとつ疑問に思ったことがある。

「ところで山田さんは、どうしてここへ?」

 声を潜め、改めて訊ねる。

「わたしは……」

 戸惑うように瞳を揺らすと、ふと視線を動かした。ひなたの向ける視線の先を追うと、ちょうど新婦が入場するところであった。父親らしき白髪のご老人のエスコートで、ゆっくりとヴァージンロードを進んでいく。

 あのヴェールや、友紀が手にしているブーケも、レースの手袋も、これだと決めるまでにどれだけ試着を重ねたことやら。

 友紀の試着に付き合った時のことを思い出す。苦労しただけあった。長身の彼女に、すっきりとしたデザインのウェディングドレスはよく似合っていた。

 ところで、彼女の両親はすでに他界していると聞いている。ではあれのご老人は誰だろう?

「わたしの祖父です」

 ひなたが、そっと囁いた。

「花嫁さんと一緒に歩いているの、わたしの祖父なんです」

「……?」

 どうして彼女の祖父が、友紀とまるで親子のようにヴァージンロードを歩いているのだろう。色々聞きたいことはあったが、すでに式が始まっている。この辺りで会話は終了にした方がいいだろう。

 ひなたに目配せをすると、すぐに誉の意図を汲んでくれたようだ。小さく頷くと、視線を今日の主役たちに向ける。

 緊張気味に表情を強張らせながらも、眩しげに友紀を見つめる圭介。自分の父親だというのに、別の人間を見ているかのようで、妙に居心地が悪い。

「素敵ですね」

 小さく呟いたひなたの声には、素直な気持ちが滲んでいた。誉から見れば父親の新郎姿など気恥かしいばかりだが、ひなたが素敵だというなら、きっと素敵なのであろう。

 新郎の元までたどり着いた友紀は、エスコート役のひなたの祖父から送り出されるように、そっと圭介の腕を取る。

 緊張気味の圭介を見上げ、幸せそうに微笑む友紀。親子ほどの年齢差がある二人だが、こうして見るとなかなかお似合いではなかろうか。

 響き渡る賛美歌。誓約の言葉。指輪交換と式は進行していく。隣の存在が気になって仕方がない。つい隣を盗み見ると、なんと涙ぐんでいるではないか。少し驚いたが、二人の姿に感動しているのであろう。

 女性は他人の挙式でも、感動して涙するものなのであろうか。余計なことを考えつつ、ひなたが涙の始末に困っている様子が伺えた。

 すぐに目についたのは、胸ポケットに差したシルクのハンカチくらいのものだった。飾りではあるが、ハンカチはハンカチだ。使えなくはない。

 胸ポケットからハンカチを抜き取ると、それを無言で差し出す。唐突に表れたハンカチに驚いていたように、おずおずと涙目で誉を見上げる。

 潤んだ瞳で見つめられた途端、一気に胸の鼓動が速くなるのを自覚する。しかし長年培ったポーカーフェイスのお陰で、みっともない動揺は表に出ることはないはずだ。多分。

『ありがとうございます』

 声には出さず、唇が語る。そして涙を滲ませたたまま、彼女がほほ笑むものだから、どこに目をやったらいいのかわからなくなる。

 慌てて正面に目をやるが、ちょうど新郎が新婦のヴェールを上げるシーンだった。

 形式的なものとはいえ、父親があれをするシーンを見るのはいかがなものか。目のやり場に再び困っていると、隣に並んだ細い肩が笑いを堪えて震えていた。


* * * *


「先生も照れること、あるんですね」

 使ったハンカチを洗ってから返す、いやこのままで構わない、などというやり取りの後の何気ない彼女の言葉に、一気に血の気が引いた。

 まさか鉄壁のポーカーフェイスが見破られたか。実際目のやり場に困ったのは事実だ。自分では上手く誤魔化せたと思っていたというのに。

 誉の心に羞恥の嵐が吹き荒れていることなど、ひなたは知らない。

「自分の親のって、ちょっと恥ずかしくて見れませんよね」

「……あ、ああ」

「わたしも親の結婚式の写真……特にあのシーンの写真は、何だか見ちゃいけないものを見ているような気がして。いまだにまともに見れません」

「……」

「ものすごく、目のやり場に困っていましたね。先生」

 そう告げると、はにかむように笑った。

 どうやら圭介と友紀の誓いの……を目にして照れていると思われたようだ。

 鉄壁のポーカーフェイスは健在ではなかったが、彼女を見てデレデレしていたと知られるよりましだ。どっと、身体の力が抜けて、このまま座り込んでしまいそうになる。

「確かに……恥ずかしいからな」

 ははは、と乾いた笑いを浮かべる。

「それにしても、世間って案外狭いものなんですね」

「まったくだな」

 先程ひなたに話を聞いた誉は、大いに同意する。

 まさか友紀が勤務する老人ホームに、ひなたの祖父が入居しているなんて。しかも、エスコート役である祖父の付き添いで、父の結婚式に彼女まで参列しているとは。

 夢にも思わないだろう、普通。

 当たり前のように隣りに立つ、ひなたの姿に、さりげなく目を向ける。

 淡い桜色のシンプルなワンピースの裾から覗く、白くて細い足。大きく開いた襟ぐりからは、華奢な鎖骨がくっきりと見える。セミロングというにはやや短めの髪は、どうやったのかわからないが、上手いことまとめてアップになっている。

 普段は目にすることがない襟足は、片手で掴めそうなほど細い。頬がふっくらしているから気がつかなかったが、全体的に華奢だったのだと今更ながら気がついた。

 普段はふんわりした服や、重ね着が多いせいか、身体の線がわかるような服装というのは初めて目にしたような気がする。

 ずっと見ていたいが、そんなことは出来ない。出来るはずもない。できれば目に焼き付けておきたいが、変態にはなりなくない。

 誉の葛藤など露ほども知らないひなたは、目を輝かせて緑と薔薇で溢れる庭を見渡し、感嘆の息を吐く。

「わたし、結婚式って初めてなんです。チャペルもですけど、お庭もやっぱり素敵ですね」

 彼女は夢見るように、うっとりと目を細める。

 淡い色合いの小さな薔薇、素朴な花を咲かせたハーブ。野趣溢れる雰囲気ではあるものの、まるで物語に出てくるような幻想的な雰囲気のイングリッシュガーデンに仕上がっていた。ひなたがうっとりするのも、なるほど頷ける。

 この後は記念写真の撮影と、ブーケトスで式は終わる。披露宴はもともと予定していなかったが、圭介の教え子たちが居酒屋を押さえているらしい。詳細は圭介たちも知らないようだが、気楽な会を用意してくれたようだ。

「そういえば、山田さんのお祖父さんは?」

 付き添いで来たのだから、一緒にいた方がいいのではなかろうか。しかし一緒に来ていたはずの彼女の祖父と、友紀の上司である女性の姿が見当たらない。

「それが……」

 ひなたは困った顔になる。

「急に具合が悪くなったから帰るって……タクシーで帰っちゃいました」

「具合が悪いって、大丈夫なのか?」

 ところがひなたは心配するどころか困ったように「そうじゃないんです」と困ったように眉を潜める。

「実は、お二人の誓いのあれを見て……ショックだったみたいです」

 誓いのあれ。その単語を口にするのもはずかしいのか、少々頬を赤らめている。

「しかし……どうして」

「廣瀬さん、老人ホームのおじいちゃん達のアイドル的存在なんです。今日のエスコート役も、誰がやるって揉めていたみたいで……将棋で対戦してうちの祖父に決まったみたいです」

「大した人気だな……」

 どうやら友紀は年配の男性に人気があるようだ。確かに友紀は美人である。それだけではなく、人に好かれるような要素が彼女にはある。

「あの、先生。わたしも、そろそろ帰らせて貰おうかと思います」

 ひなたの思いがけない発言に、一瞬うろたえる。

「どうして?」

 これからブーケトスがあるというのに。だが彼女はまだ若い。新婦のブーケが欲しいかは謎であるので、この誘いにのるかはわからない。

「これからブーケトスがあるそうだ」

 結局適切な言葉が見つからず、ブーケトスが口をついてしまった。

 彼女は小さく「あ」と漏らした。意外にもブーケトスに興味があるようだ。しかし、そんな自分を恥じらうように、彼女は首を振った。

「でも、わたし、部外者ですし……おじいちゃんもホームの方もいませんし」

 語尾が小さくなると共に、俯いてしまう。

 遠慮をしているのか、本当に帰りたがっているのかわからない。

 帰りたがっているなら帰した方がいいのかもしれない。でも。

「部外者じゃないさ」

 とん、と細い肩を叩く。ひなたは、驚いたように顔を上げる。

「さあ行こうか」

「は、はい!」

 少々戸惑っているようではあるが、元気のいい返事が返ってきて安堵すると同時に、彼女を引き留めようと必死になっていた自分に驚いた。

 胸の中に漂う曖昧な想い。少しずつ形になっていくのを自覚していたものの、その想いに背を向けていた。

 しかし、そろそろ限界かもしれない。いつの間にか彼女の姿を目で追ってしまう。いなければいないで、もしかしてと思って探してしまうこともしばしばあった。

 駄目だ。これ以上考えては余計に深みに嵌まっていく。

 己の思考にストップをかけると、気持ちを落ちつけようと静かに息を吐き出した。

 すでに新郎新婦の周りには、人の輪が出来上がっていた。数人の女性たちが、ブーケが飛んでくるのを今か今かと待ち構えている。

「君も行ってきなさい」

 軽く彼女の背を押して促すものの、ひなたはつんのめるように立ち止まる。

「せ、先生も一緒に行かないんですか?」

 まるで置いてけぼりにされた子犬のような目で見上げる。

「私が出る幕ではないだろう」

 思わず笑ってしまう。 

「さあ」

 それでも何か言いたげな様子のひなたの頭に、ぽんと手をのせる。ひなたはくすぐったそうに身を竦める。

「ここで待っているから」

 途端、頭にバサッと何かが落ちてきた。慌てて落ちてきたものを受け止める。

「これは……」

 手の中に落ちてきたものを目にして驚いた。

 白い花を基調にして作られたブーケだった。女性陣の痛いほどの視線を感じつつ、ブーケを投げた花嫁を見る。当の本人もまさか誉が受け取るとは思わなかったらしく、驚きに目を見張っているが、どこか愉快そうな様子だ。

「先生」

 彼女は呆気に取られたように、誉の手の中にあるブーケを見つめ、ぽつりと呟いた。 

「先生が、次の花婿さんですね?」

「おいおい」

 ブーケを受け取ったからには、そういうことになるわけなのか。いや、そういうわけにはいかないだろう。

 手にしたブーケを、無言で彼女に差し出した。

「あの、先生?」

 それでもきょとんとしている彼女の手を取ると、ブーケをその手に握らせた。

「こういうものは、やはり女性が受け取らないと」

「え、え、ええっ?」

 自分の手の中に納まったブーケと誉を交互に見ながら、ひなたは戸惑うように訊ねる。

「あの、これ、わたし……いいんですか?」

「もちろん」

 やはり女性が持っていた方が、いや、彼女が持っていた方がブーケだって嬉しいだろう。

 ひなたは感極まったのか、頬を紅潮させて涙ぐむ。本人も自覚をしたのか、慌てて涙を隠すかのように瞬きをする。

「……先生」

 潤んだ瞳を隠すように、ブーケに視線を落とす。

「ありがとうございます」

 おずおずと視線を上げると、はにかむようにほほ笑んだ。

 その笑顔があまりにも綺麗で……もっと上手い言葉で形容できればいいのだろうが、今の自分では上手い言葉や形容詞などで表せそうにない。

 ああ、やっぱりそうか……。

 蓋をしていた想いの正体を、改めて自覚する。

 どうやら自分は、彼女に恋をしているのだ、と。

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