夏の章・05 どこもかしこも合コンか

 まさか、こんなところに知った人間がいるとは。

 しかし、よくよく考えてみれば、ちっともおかしなことじゃない。大学の近場でアルバイトをする学生は多いのだから、うっかり遭遇する機会だってあるだろう。

 迂闊だった……。

 頭を抱えたくなるが、誉から家庭の事情を暴き出した篠原は、まったく気にする様子もない。それどころか、思わぬところで知人と会ってむしろ嬉しそうですらある。

「あれー小原くん。ここでバイトしていたんだ」

「はい。近場の方が通いやすいんで」

 なるほど、そうかのか。

 住まいをこの界隈に選んでしまったことを、今更ながら後悔する。あまりだらしない格好で買い物に行かないよう気をつけるべきであろう。

「そっかあ。じゃあ注文お願いしたんだけど、いい?」

「焼き鳥の盛り合わせと、枝豆、キムチ、鳥の唐揚げ。後はプレミアムモルツでしたよね」

 どうやらこっちで話していた内容を、しっかり聞いていたようだ。

「おお、ご名答!」

 小さく拍手する篠原に、ニコリと人懐っこい笑顔を向けると、通る声で厨房へ注文を通す。

「先にドリンク持ってくるので、少々お待ちください」

 ドリンクメニューは順也が用意するらしい。順也が廚房の奥へと姿を消すのを見計らって、篠原は困ったようにこめかみを掻く。

「いやあ、まさかこんなところに小原くんがいるとはね」

「大学の近くなんだ。おかしくは無いだろう」

 素っ気なく返すと、篠原は意外そうに目を見開く。

「小原くんに聞かれちゃっても、いいの?」

 今更お前が何を言う。

「今更仕方がないだろう」

 うっかり口を滑らせたのは自分だ。それに篠原が聞き出そうとしなかったとしても、多少アルコールが入ったら、誉の方から口を滑らせていただろう。

 多分、誰かに愚痴を零してしまいたかったのだと思う。絶対に誰にも話したくなかったら、篠原から飲みに誘われたところで断っていた。

「それに、聞かれたところで面白くもない話だ。興味すら持たないんじゃないか?」

 自分が気にする程、他人は気にしないものだ。

「そうかなあ。俺は面白かったけど」

「お前な……」

 本人はフォローのつもりなのかもしれないが、まったくフォローになっていない。

「それでさあ」

「なんだ」

 篠原は順也の姿がないことを確認すると、耳を貸せと言わんばかりに、小さく手招きをする。仕方がなく、少しだけ篠原の方へと顔を傾ける。

「来週さ、合コンがあるんだけど」

 声を潜めて篠原が囁いた台詞に、誉はたちまち顔をしかめる。

「断る」

「でも、もうメンバーに加えてあるんだよ」

「外してくれ」

「合コンがあったら、誘ってくれって言ってたくせに」

「言っていない」

「誉くん連れてこないと、眞子さんに怒られるんだってば」

「あの人は苦手だ」

「まあまあ、そう言わないでよ。いつも眞子さんが、女性メンバー募ってくれているわけなんだし。それに眞子さんなりに、いつまでも彼女ができない誉くんをなんとかしてやりたいと思っているみたいだし」

「世話焼き婆か、あの人は」

「まあ、そうとも言うかな」

 篠原が苦笑したところに、ビールグラスを手にした順也が、カウンターから顔を出した。

「プレミアムモルツお待たせしました」

 またこんな話をしている時に、なんてタイミングが悪いのだろう。

「おお、待ってました」

 一方、まったく意を介した様子も無い篠原は、冷たいビールの到着を素直に喜んでいる。

「この後、枝豆が出るから待っていてくださいね」

 順也はカウンターから身を乗り出し、店のロゴが入ったコースターを並べ始める。続いて黄金色の液体が満たされたジョッキを並べながら、二人の顔を交互に眺める。

「先生も合コンするんですね」

「…………」

 咄嗟に返事に詰まってしまう。

「そりゃそうだよ。社会人になると出会いの場が少ないからね」

 誉に代わって、篠原はもっともらしい受け答えをする。

「自分から機会を作らないといけないから、大変なんだよ」

「……威張って言うことか」

 つい突っ込んでしまったが、篠原の意見も一理あるとは思う。

「ふうん、そんなもんですか?」

 篠原の意見に賛同できないのか、順也は不思議そうに首を傾げる。

「大学だって、出会いはあるんじゃないですか?」

「いやーナイナイ」

 篠原は首を振りながら、顔の前で大きく手を振る。

「職員の女の人とか、いっぱいいるじゃないですか」

「うーん。新卒の女の子でも入ってきたら、可能性はあるかな」

「石原さん、去年きたばっかりじゃないですか? 結構可愛いし」

「残念ながら、彼氏いるんだって」

「えー、奪っちゃえばいいのに」

「さすがイケメンは言うことが違うなあ」

 冗談めかして言っているが、果たしてどこまで冗談なのかは不明だ。できればこちらに振らないでくれと祈っていたが、それは無理な願いだった。

「飛沢先生の方はどうですか?」

 とうとう話の矛先が、誉に向いてしまった。

「先生同士や職員さんと結婚している先生も、何人かいますよね?」 

「……いるにはいるが、それだけだ」

 確かにいるかもしれないが、誉自身といえば事務的なこと以外、職員と話す機会など大して無い。教員にしても、学部以外の委員会やらで顔を合わせることはあっても、それ以上の接触はない。中には学部の枠を越えて誰とでも親しくしている非常に社交的な人物もいるにはいるが、誉には到底真似できそうにない。

「そんなことよりも、そろそろ仕事に戻ったらどうだ」

「じゃあ、学生は?」

 誉の忠告をさらりと受け流し、新たな問いを投げ掛けてきた。

「……論外だ」

 考えるまでもない。学生など相手にしたら、それこそ大問題だ。アカハラ、パワハラ、セクハラ……考えただけでも恐ろしい。

「そうそう。犯罪者にはなりたくないからね」

 誉の意見に、篠原も賛同する。

「でも俺の知り合いで、先生と付き合って結婚した人もいますけど」

 父圭介と友紀のことを言われたようで、一瞬どきりとする。一体どこまで話を聞かれていたのだろうと思うと、変な汗が吹き出そうになる。

「否定はしないが、最初から学生の中から付き合う相手を見つけようと思ったわけじゃないだろう」

「だよねーやっぱりリスクが大きいし。結婚まで行っちゃえば結果オーライだけど、途中で別れちゃったら面倒だしさ」

「ふーん、そんなもんですか……あ、そろそろヤバイかも」

 順也の視線を追って、カウンターの奥へ目をやると、店員の男性が無言で睨みを利かせている。

「すみません持ち場に戻りますね。また注文があったら声掛けてください」

 そそくさと持ち場へ戻っていく順也の背中を見送ると、誉はおもむろに椅子から立ち上がった。

「あれ、どこ行くの?」

「便所」

「いってらっしゃーい」

 篠原に見送られながら、店の奥へある手洗いへと向かう。途中、何やら騒がしい様子の広間が簾越しに垣間見える。年若い男女の声の様子から、話題に上ったばかりの合コンでも開いているのだろうと推測する。

 喧騒を背に手洗いの暖簾をくぐると、手前には男性用、奥には女性用のドアが並んでいる。幸い空いていたので、さっさと用事を済ますことができた。

 再び暖簾をくぐって手洗いを後にしようとした時、背後からドアが勢い良く開いた。

 驚きのあまり、思わず振り返ってしまう。すると、続いて中から若い女性が、ふらついた足取りで姿を現した。肩の辺りできれいに切り揃えた栗色の髪。俯いた首のラインが、ひなたに似ているような気がした。

 大学から近い居酒屋なのだから、彼女が居てもちっともおかしくはない。しかし、さすがにそうタイミング良く会いはしないだろう……と思っていたが。

「あ」

 誉を見るなり、その女性は大きく目を見開いた。

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