夏の章・04 お疲れ様の会

 ようやく自宅最寄駅に到着し、改札口を通過した時だった。

「あれ? 誉くん」

 行き交う人波の中から聞き覚えのある声が上がる。足を止めた瞬間、知らん振りをすればよかったと後悔するがもう遅い。

「おーい。待ってよ」

 鮮やかな蛍光色のボディーバッグが目に眩しい。篠原はTシャツとハーフパンツにスニーカーという学生のような出で立ちで、小さく手を振りながら駆け寄ってきた。

 今更逃げも隠れも出来やしない。誉は諦めて、自らも篠原の方へと歩き出す。

「どうしたの、休みなのにパリッとしたスーツなんか着ちゃって」

「ちょいと野暮用でな」

「あ、わかった。お見合い」

「違う」

 すぐさま否定する。

 こういう場合、「もしかして、デート?」と訊ねるべきところではなかろうか……と考えていると、まるで誉の心のうちを読んだかのように。

「だって、デートだったらこんな堅苦しい恰好しないでしょ」

 悔しいが、確かにその通りである。

「……そういうお前は、今日はどうした?」

 反撃のつもりで問いかけてみたが、篠原から返ってきたのは、至極まっとうな理由だった。

「仕事だよ。今日はオープンキャンパスだったんだ」

「お前もちゃんと仕事をしているんだな」

 感心したように呟くと、篠原は不満そうに眉をひそめる。

「ちょっとー先生、勤勉な職員に対して、あんまりな言い様ですよ」

「ああ、すまないな」

 心無い詫びの言葉を口にすると、篠原は何かを企むようにニヤリと笑う。

「じゃあ、休日返上で頑張った勤勉な職員を労って欲しいな」

 どうやら誉に拒否権は存在しないらしい。有無を言わさず、そのまま近くの居酒屋へと連行されたのだった。  


 * * * * *


 時間帯は飲み始めるには少し早いくらいだったが、土曜日のせいかすでに店の中は若者たちで賑わっていた。

 駅から近く、値段も手頃で、味もなかなかなもの。その上、店の雰囲気も和風で落ち着いた雰囲気な上、比較的新しい店だから小奇麗だ。学生だけではなく、仕事帰りらしいスーツ姿の集団もちらほらと見える。

 いつどこに知った顔がいるのではないかと少々落ち着かないが、案内された席に腰を落ち着けた途端、どっと疲れが押し寄せてきた。

「そっちも、ずいぶんお疲れのようだね」

「まあな」

「それで、今日はめかし込んでどこへ行って来たわけ?」

 ……出来れば誰にも言いたくはない。特にこの男には。

「今日は……暑かったな」

 店員に差し出されたおしぼりで顔を拭くと、すかさず篠原が指摘する。

「誉くん、オヤジ臭い」

「いちいち五月蠅い。どうせオヤジだ」

「うわ、開き直ってる」

「お前だって同じだろうが」

「俺はまだオヤジじゃないです……って、あのさ。話逸らそうとしてない?」

 篠原の鋭さにドキリとする。

 自分の話はうやむやにしようと思っていたが、そうは問屋がおろしてはくれなかった。しかも、恐ろしいことに篠原は誘導尋問の達人だった。あれやこれやと質問を積み重ねられ、結局今日の出来事を一部始終語る羽目になってしまった。

「誉くん、気の毒過ぎる!」

 篠原は大爆笑の後、目の端に浮かんだ涙を拭いながら訊ねる。

「それで、結局何着ドレス試着したの?」

「……二十着くらいはしたんじゃないか」

 溜息を吐く代わりに、手元のジョッキをぐいっとあおる。

 もっと多かったような気もするが、もはや何着目かカウントする気分にもなれなかった。

 自分の嫁だったらまだしも、何が悲しくて他人の嫁のドレス選びなんかしなくちゃいけないんだ?

 途中、何度そう思ったことか。だがこれは親孝行の一環だと思って、どうにかやり過ごしたが、正直言ってもうこんな経験は二度とご免だと思った。

「疲れてるねー、そんなに大変だったんだ」

 誉が漂わせる疲労感に、篠原は同情の眼差しを向ける。

「ああ……」

「でも、自分の時の予行練習が出来たと思っておけばいいんじゃない? ああ、でも、今のご時世だと自分の時は無いっていう可能性もあるか」

 たちまち渋面になった誉の顔を見て、篠原は一応フォローしたつもりらしいが、まったくフォローになっていない。

「それは……どういう意味だ?」

「意味も何も。ずっと独り者っていう可能性もあるでしょ」

 一生独り者なんて、恐ろしいことをさらっと言わないで欲しい。しかも、その可能性が無くもないから、なお一層恐ろしい。

「不吉なことを言うな」

「加納先生や篠田先生とか、文学部の教授連中で、独り者って多いじゃん」

 自分たちよりもひと回り年上の教員らの顔を思い浮かべる。

「……確かに」

 悲しいことに、その可能性も十分にあるのだと悟ってしまった。

「それで、お姫様ドレスはどうだったの?」

「……結局、マーメイドで落ち着いた」

 誉の言わんとしていることを察した篠原は、なるほどね、と苦笑する。

 友紀が希望するプリンセスタイプのドレスは、気の毒なほど壊滅的に似合わなかった。

 彼女は可愛らしいというタイプではないが、美人であることは間違いない。しかし、ふわふわの可愛らしいドレスは、恐ろしいほど彼女の顔立ちにはマッチしなかった。

 よく言えば華やか、悪く言えば派手な顔立ちのせいもあるだろうが、華奢だが意外としっかりとした肩や上腕も一因なのかもしれない。

 とにかく、友紀自身も納得せざる追えない結果となり、最終的にはシンプルなデザインのドレスに落ち着いたというわけだ。

 しかし、ドレスだけを決めればいいというものではない。髪飾りを始めとするアクセサリー類、ヴェール、手袋やブーケなど、決めなければならないものは山のようにあった。

 式場に入った時は、まだ高かった陽が、出た頃にはすでに沈み掛けていた。

「はいはい、お疲れさん」

 篠原は項垂れた誉の肩をポンポンと叩くと、メニューを手渡した。

「さあ、飲みねえ飲みねえ。親孝行な誉くんのために、付き合ってあげるからさ」

「お前の奢りか?」

「ぶー。勤勉な職員を労いつつ、親孝行や先生を労うってことで、お互い様ってところじゃないの。ということは、ワリカンですよ」

「なるほど」

 ワリカンでも何でもいい。今は飲みたい気分だった。誉はメニューをひと睨みすると、メニューを篠原に突き返した。

「プレミアムモルツ」

「了解! じゃあ俺も~。すみませーん」

 篠原はカウンター越しから店員に声を掛ける。

「プレミアムモルツのグラス二つと、焼き鳥の盛り合わせに枝豆とキムチに鶏の唐……あれ?」

 驚いた篠原の声に、誉もつられて顔を上げた。

「あー」

 カウンターの中の店員と目が合い、誉も驚きの声を上げてしまう。

「どうもです」

 軽やかかつ、爽やかな笑顔。

 着物と半被を足して二で割ったような紺色の制服を身に纏った見目麗しい青年。

 そう。誉たちががよく知る人物、小原順也でであった。

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